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『PLUTO』覚書その5─「人間は、つらい記憶をためこんでいくと、生きていられなくなる」

2007-05-31 | └『PLUTO』覚書
ブランドの壮絶な死にショックを受けつつも、ゲジヒトは気晴らしに、前から希望していた妻との日本旅行を申し込もうとします。ところが、旅行代理店は、二人が2年前に日本への旅行を申し込んでキャンセルした記録が残っていると言う。ゲジヒトも妻も、まったく「覚え」がない。2年前と言えば、ユーロポールの研修で1年間スペインにいたはずだ…。当時の写真をめくる二人だが、どこか違和感を感じる。どうも写真が多すぎるのだ…。何かがおかしい。

そもそもロボットには「忘れる」ということがない。「記憶」は、「消去」でしか消えることはないのです。自分の「記憶」に不安を覚えたゲジヒトは、自分を作ったホフマン博士にメンテナンスを依頼します。ホフマン博士は言う。「人間は、つらい記憶をためこんでいくと、生きていられなくなる。…で、忘れるわけさ。だがロボットの場合はそうはいかない」。

ゲジヒトの人工知能に異常がないと告げるホフマンに、ゲジヒトは、人工知能に事実と違う記憶を入れることはあり得るかと尋ねる。ロボットにも今や「人権」がある以上、それはないと答えるホフマン博士。しかし、ゲジヒトは、自分が時折見る「悪夢」は、知らず知らずのうちに埋め込まれた「ウソの記憶」が原因ではないかと疑う。

彼が見る「悪夢」。そのイメージはこれまで何度も登場しています。こちらに手を差し出し、「一体500ゼウスでいいよ」と言う老人。それが何を意味するのか、ゲジヒトにはわからない。もちろん読者にも明らかにされていません。メンテナンスを終えたゲジヒトは、再び人工知能矯正キャンプに向かいます。人間を殺した唯一のロボット「ブラウ1589」に面会するためです。ゲジヒトは、ブラウ1589に記憶チップの交換を申し出る。改ざんされた形跡を確かめてもらおうとしたのです。しかし、ブラウ1589は、その答えをはぐらかし、帰ろうとするゲジヒトの背中に向かって言う。「一体500ゼウスでいいよ」…。

その頃、トラキア合衆国では、再選されたアレキサンダー大統領のテレビ演説が行われていました。「真の平和」を呼びかける彼の肩越しに、ブラウ1589の言う、「文字通り、本当のブレーン(人工知能)」であるクマのぬいぐるみ、“Dr.ルーズベルト”がちょこんと座っているのが見えます。このへんの、映画的な描き方は、浦沢直樹、面目躍如といったところですね。

さて、ホフマン博士は、上司であるユーロポール・ドイツ支局長をつかまえ、ゲジヒトの人工知能に何をしたのか問いつめます。しかし、支局長は、「彼には莫大な金がかかっているんだよ」という謎めいた言葉を残して去っていく。ゲジヒトのメンテナンスだけをしていればいいんだと言われたホフマンは、思わず、「ゲジヒトに何をしたんですか!! 何を隠しているんですか!!」と叫ぶのでした。

さて、このあたりまでが単行本で言うと、第2巻までとなります。そのラインナップをもう一度おさらいしておきます。

  Act.8 鉄腕アトムの巻
  Act.9 お茶の水博士の巻
  Act.10 ヘラクレスの巻
  Act.11 回線をつなげの巻
  Act.12 家族の肖像の巻
  Act.13 記憶の手違いの巻
  Act.14 Dr.ルーズベルトの巻
  Act.15 敵の部品の巻

単行本には、どの巻末にも、様々な「関係者」によるあとがきが寄せられています。第1巻では(株)手塚プロダクション社長の松谷孝征氏、第2巻では手塚眞氏、第3巻では漫画家の夏目房之助氏、第4巻では西原理恵子氏という顔ぶれです。西原氏が「浦沢さんとわたし」と題して寄せたあとがき漫画では、本心かどうかわかりませんが、相当痛烈に浦沢氏をけなしています。「作品に華がない」だとか、「しんきくさい」とか、「話が長い」とか…。「話が長い」というのは、確かに、浦沢氏の他の作品にも言えることですが、『PLUTO』でもそのセンはしっかり貫かれています。第2巻まで来て、ようやく全体像がおぼろげですが見えてきたって感じです。もちろん、「謎」が多すぎて、それらがどうやって、いつ解決されるのかは、皆目見当もつきませんが。

さて、第2巻の最後には、まだ登場していなかった重要人物の一人が満を持して登場します。その名はウラン。そう、ウランちゃん。アトムのかわいくて生意気な妹。その「性能」を、第3巻では遺憾なく発揮してくれます。

次回に続きます。

 

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