カクレマショウ

やっぴBLOG

『プチ哲学』─日常の中で「考えてみる」こと

2007-04-05 | ■本
佐藤雅彦さんってのは、ホントに日常を「考えながら」生きている人なんだなと思います。

『プチ哲学』(中公文庫)というのがあります。お得意の絵(漫画)と文章でつづる日常の一コマから糸をたぐり寄せるように「哲学」にアプローチしていく。「モノ」が意識を持っていろんな行動をするのが最高に楽しい。

たとえば、テレビ売り場のリモコンが、1台だけスイッチの入っていないテレビを「あいつだけさぼって寝ている」なんて言ってスイッチを入れてやる。すると…。

このテーマは「同じ情報、違う価値」。なるほどね。

あと、「結果と過程」っていうのも面白い。神様の前でカエルが願い事をする。「あこがれのケロ子ちゃんと一生を添い遂げたいのです」。すると神様は「よし、叶えてやろう」と言って、2人を一瞬のうちに老人に変身させてしまう…。「そうじゃなくって…」 同じシチュエーションで、子ざるのリッキー(「バザールでゴザール」の…)。「一度でいいからバナナをおなかいっぱい食べてみたいのです」と願い事。すると神様は、リッキーのおなかをたちまちのうちにふくれさせてくれる…。

大事なのは「結果」じゃなくて「過程」! 結果よければすべてよし、というのはやっぱりチガうんだよな~。

ではここで問題です。「中身当てクイズ」。

階段上の台の3段それぞれに1個ずつコーヒーカップが並んでいます。ポットが話しかけます。

「君たちは自分に何が入ってるかわかりませんね」。
─「はーい、わかりません」。
「コーヒーかミルクのどちらかが入ってます。ただし三人ともみんな同じということはありません。」

一番上のカップは、下の2つのカップに何が入っているかが見えます。真ん中のカップは、一番下のカップに何が入っているかが見えます。一番下のカップには何も「情報」がありません。さて、この状態で、ポットがカップに問いかけます。

「実は、君たちの中で一人だけ自分の中身がわかる人がいます。」「わかったらその人は手をあげなさい」。
─「うーん」…

しばらくして手をあげたのはいったいどのカップでしょうか?

…カップだから「手」はあげられない、というのは正解ではもちろんありませんヨ。これは、「情報がない、という情報」というのがテーマ。最後の「うーん」が実は最大のヒントなのです。つまり、誰からも答えが出ないということは…。

ほかにも、絵を見てこその楽しさだったり、読んでこその「なるほど」だったりという「プチ哲学」が盛りだくさん。「考えなければならないこと」では決してないけれど、日常の中でちょっと「考えてみる」ことの大切さを教えてくれます。

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