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「迫害」の証としての姓─人名に見る世界史(6)

2006-06-05 | └人名に見る世界史
『人名の世界地図』(21世紀研究会編、文春新書)には、「名前でも迫害されたユダヤ人」という章が立てられています。『人名の世界史』(辻原康夫、平凡社新書)でも、「ヨーロッパ人の姓」という章でユダヤ人の姓について詳しくその歴史と特徴が書かれています。今回は、「流浪の民」ユダヤ人の姓についてまとめてみたいと思います。

ユダヤ人って、つくづく不思議な民族だと思います。国が滅ぶと民族も同時に「消滅」することが当たり前の歴史の中で、ユダヤ人だけは異彩を放っています。今でこそイスラエルという母国を持っていますが、1,800年以上ものあいだ、彼らには民族的な「祖国」がなかった。にもかかわらず、彼らが示すあの強いアイデンティティは一体なんなのでしょうか? 

ユダヤ人の求心力となったのは、ユダヤ教という宗教であったことはまちがいありません。強烈な選民思想(神によって選ばれた民であるという意識)を持ち、厳格な戒律を持つユダヤ教は、まさに「民族宗教」として、世界各地に散らばったユダヤ人の間で脈々と受け継がれてきたのです。しかし、そもそも彼らが1世紀にローマ軍によって国を失い、流浪の民とならざるを得なかった理由がその排他的な信仰にあったように、彼らは行く先々で常に迫害と差別の対象となりました。特に教会を中心としたキリスト教が社会を支配していた中世ヨーロッパにおいては、裏切り者ユダを生んだユダヤ人は、信仰上のみならず、俗世界においても敵とみなされる存在でした。シェークスピアの「ベニスの商人」のシャイロックに象徴されるように、「欲深い金の亡者」は常にユダヤ人でなければならなかったのです。もっとも、「金貸し業」は、教会がキリスト教徒に禁じていたため、ユダヤ人にそれを強制したという背景があるのですが…。

20世紀にはヒトラーによる大規模な迫害に辛酸をなめたユダヤ人は、第二次世界大戦後にようやく「祖国」イスラエルの建国を果たします。しかし、それは同時に、空き家となったパレスティナ地方に新たに住みついていたアラブ人(=イスラム教徒)を難民として追いやることとなり、「中東問題」と呼ばれる現在まで続く両者の鋭い対立を生むのです。

しかし、もともと、イスラム教徒とユダヤ教徒は決して対立する関係にはありませんでした。唯一絶対の神を信仰するという点で共通するものを持っていたからです。イスラム教徒の言う「アッラー」もユダヤ教徒の言う「ヤーヴェ」も同じ絶対神だし、いずれも「アブラハム」という共通の祖を持つと考えられていました。ユダヤ人は長い間、姓を持つ慣習がなかったのだそうですが、姓を名乗るようになったのも、アラブ人の影響でした。8世紀前半からイスラム教徒が支配するようになったイベリア半島(現在のスペイン・ポルトガル)で、この地に住みついたユダヤ人が姓を使うようになったのです。彼らは、信仰を認めてもらう代償として、税を支払い、アラビア語を話し、アラブ風の名前を名乗ったのです。

しかし、カトリックのレコンキスタ(国土回復運動)により15世紀末にイベリア半島からイスラム教徒が最終的に駆逐されると、ユダヤ教徒も同時にこの地を追われることになりました。彼らの一部は、新教派が多数を占め、貿易国家として頭角を現していたオランダに逃げ込みます。17世紀オランダの哲学者スピノザSpinozaもそんなユダヤ商人の息子でした。

一方、ローマ時代にドイツや東欧に定住したユダヤ人は、長い間姓を持つことを禁じられていました。興味深いのは、裕福なユダヤ人に姓を「売る」人たちがいたということです。たとえば、オーストリアのハプスブルグ家は、「商才に長ける富裕層の多いユダヤ人に対して、徴税目的に姓の登録を義務づけ、同時に登録料兼使用料を徴収するというあざといやり方」をしていたと言います(『人名の世界史』)。

ユダヤ人の姓の売買については、『人名の世界地図』では、「すぐにユダヤ人とわかるように、その名を植物名と金属名に限ったりもした」とあります。ローゼンタールRosental(薔薇の谷)、リリエンタールLiliental(百合の谷)、ブルーメンガルテンBlumengarten(花園)、ゴールドシュタインGoldstein(金の石)、シルバーシュタインSilverstein(銀の石)、ルビンシュタインRubinsteinなど、よく聞くユダヤ系の名前に花や宝石名が多いのはそういうわけだったのです。なお、"stein"というのは、タールtal(谷)、ハイムheim(家)、バウムbaum(木)といった単語と同様、アインシュタインEinstein(1つの石=石ころ)、エイゼンシュタインEizenshtein(鉄の石)などユダヤ人の姓の語尾によく使われます。

しかし、一見優雅に思えるこれらの姓を名乗るためには「法外な料金」が必要で、フツーの庶民には、ラングLang(背が高い)、グロスGross(大きい)、クラインKlein(小さい)、シュヴァルツSchvarz(髪の黒い)、ゾンタークSonntag(日曜日)といった身体的特徴や生まれた日を表す「単純で分類しやすい姓」を与えられるだけでした。中には、エーゼルコプフ(ロバの頭)、クラーゲンシュトリヒ(絞首台のロープ)、カナルゲルッフ(どぶの悪臭)といったとんでもない姓を当てられたユダヤ人もいました。また、ドイツではユダヤ人の姓として職業を表す看板の絵に由来するものも多かったようです。「赤い盾」を意味するロスチャイルド、「ハシボソカラス」を意味するカフカなどがそうです。

イスラエル建国後、世界中から故地に戻ってきたユダヤ人たちは、それぞれの支配者から押しつけられた姓を捨て、ユダヤ人の伝統的な名前に改姓する人も多かったそうです。ユダヤ人の強烈なアイデンティティをこんなところにも感じます。


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1 コメント

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ユダヤ商人について (石山みずか)
2008-04-05 07:03:32
17世紀オランダの東インド会社というのはユダヤ人に関係があるのでしょうか。何処でも排斥されていたユダヤ人が、オランダではそれなりに暮らせたようですが、どんなことをしていたのでしょうか。お分かりでしたらお教えください。
スピノザと東インド会社の関係に関心があります。
スピノザは友人の支援で暮らしていたとか聞きますし。
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