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パトロニミックの世界─人名に見る世界史(2)

2006-05-20 | └人名に見る世界史
『人名の世界史』では、副題に「由来を知れば文化がわかる」とあるように、世界の様々な人名の由来を解き明かしてくれます。アフリカ編、エチオピアの人名について、こんなことが書いてありました。

アトランタ五輪女子マラソンの優勝者をロバ選手と記すのは、名・姓の記載順による明らかな思い込みが招いた誤解である。彼女のフルネームはファツマ・ロバ(Fatuma Roba)だが、アラビア語で、「慎み深い」を意味するファーティマのオロモ語訛りが個人名で、「(雨が)降る」の意のロバは父親名であって、姓でもなければ彼女の個人名でさえない。したがって、ロバ選手という表記は誤りで、正確にはファツマ選手あるいはファツマ・ロバ選手とよぶべきであろう。

エチオピア人の名前は「個人名+父親名(+祖父名)」が基本、ということを「知らなかった」ことによる「誤り」の例です。このように、父親名を含む名前の表記方法(「誰々の子ども」)は、中東のアラブ・イスラム圏を中心として広く見られ、これを「パトロニミック(patronymic)」と呼ぶのだそうです。パトロニミックは、家父長が絶対的な権限を持つ父系社会である遊牧民の制度に端を発しています。

パトロニミックが徹底しているイスラム圏では、父、祖父、祖父の父、祖父の父の父…と名を重ねていきます。「名前自体が壮大な家系図ともいえる」のですが、それではあまりにも不便なので、現在では「本人・父親・祖父三代までの個人名を順に記し、最後にニスバという氏族名または出身地名でうち止めにする省略形が多数派を占める」のだそうです。「誰々の息子」の「の」にあたるのがibn(イブン)とかbin(ビン)です。国際的テロリスト、オサマ・ビン・ラディン(Osama bin Ladin)の「ビン」がそうですね。ただ、彼の名は正式には「オサマ・ビン・ムハンマド・ビン・アワド・ビン・ラディン」といい、「ラディン一族のアワドの息子のムハンマドの息子のオサマ」ということになります。つまり、「ラディン」は父親名ではなく、部族の名前ということになります。

同じパトロニミックでも、ヨーロッパ系の民族では、父親名に接辞を付してそのまま姓とする形が多いようです。たとえば、イングランド系では、"son"が父称接辞として使われます。ジョン(John)の息子がジョンソン(Johnson)、ジャック(Jack)の息子がジャクソン(Jackson)といった感じです。スウェーデンやノルウェーなど北欧系では"sen"が使われます。アンデルセン(Andersen)、ハンセン(Hansen)、アムンゼン(Amundsen)…。ドイツ系ではメンデルスゾーン(Mendelssohn)の"sohn"。スペイン系によく見られる名前、ゴンザレス(Gonzalez)、マルティネス(Martinez)の"ez"や"es"も父称接辞です。

フィンランドのジャンプ選手のニッカネン(Nikkanen)やアホネン(Ahonen)の"nen"も父称接辞(※話がそれますが、Ahoというのは「牧草地」という意味のフィンランドではごくありふれた姓だそうです。で、ヘンナ(Henna)やミンナ(Minna)はこれまたありふれた女性の名前。ってことは、フィンランドにはヘンナ・アホさんやミンナ・アホさんがたくさんいるということですな!)。

東欧では、パトロニミックの姓がより多くなります。ロシア人の人名の7割以上に見られるという"-ov"、"-ev"ももともと父称接辞です。イワノフ(Ivanov)、チェーホフ(Chekhov)、パブロフ(Pavlov)、ニコラエフ(Nikolaev)…。ロシア人の人名では、これにミドルネームが加わりますが、これもまた父称を用います。ミドルネームの場合は、父親の名前に"-ich"が接尾詞として添えられます。たとえば、「イワン家のイワンの息子のイワン」という名前は、「イワン・イワノヴィッチ・イワノフ」となるわけです。「ピョートル・ウラジミロヴィッチ・モロトフ」(モロトフ家のウラジミルの息子のピョートル)、「レオニード・ミハイロヴィッチ・アンドレーエフ」(アンドレ家のミハイルの息子のレオニード)など、すべてこのパターンです。ロシア人の名前、いくらでも作れそう…。

同じ旧ソ連でも、ウクライナ人の場合は、"-enko"が用いられます。生物学者のルイセンコ(Lysenko)、旧共産党書記長のチェルネンコ(Chernenko)は、姓からウクライナ系だということがわかるのです。旧ユーゴスラビア系では、"-ovic"、"-evic"。ミロシェヴィッチ(Milosevic)、ストイコヴィッチ(Stojkovic)。かつて独裁者チャウシェスク(Ceausescu)がいたルーマニアでは"escu"。

一方で、東欧でもチェコやポーランドといった西スラブ系の国では、現在は父称がほとんど使われていないそうです。ちなみに、チェコ人では"-ek"、"-ak"が語尾につく人名が多い。ノバック(Novak)、ドプチェク(Dubcek)、ドヴォルザーク(Dvorak)。ポーランド人に多いのは、"-ski"で、映画監督のポランスキー(Polanski)、舞踏家ニジンスキー(Nizhinski)など皆ポーランド系です。

そのほか、父称接辞を冒頭に持ってくる例もあって、たとえば、スコットランド系の"Mc-"、"Mac-"。マクドナルド(McDonald)、マッカーサー(McArthur)、マッキントッシュ(McKintosh)。アイルランドでは"O'-"です。オサリバン(O'Sullivan)、オハラ(O'Hara)、オブライエン(O'Brien)。北欧系に見られるフィッツジェラルド(Fitzgerald)の"Fitz-"、フランスの"De-"、ユダヤ系の"Ben-"もすべて父称接辞。

イチローの父を「チチロー」と呼んだり、日本では有名人の父親が一躍脚光を浴びることがよくありますが、父権を大切にするパトロニミックの世界では、「誰々の父親」という言い方は奇異に映るのかもしれませんね。


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