カクレマショウ

やっぴBLOG

「パピヨン」その1─あぁ…パピヨン!

2005-09-27 | ■映画
昨日触れた「スティング」はロバート・レッドフォードとポール・ニューマンという、当代きってのスターの共演あってこその映画でしたが、その頃の2大スターの共演といえば、同じ年(1973年)に公開された「パピヨン」も忘れられません。スティーブ・マックィーンとダスティン・ホフマン。「コンフィデンス」のダスティン・ホフマン見て、改めて年取ったなーと思いましたが、30年以上も前に作られた「パピヨン」では、たぶん今と同じくらいの年齢を演じているのですよ…。

「パピヨン」。
監督 フランクリン・J・シャフナー
出演 パピヨン/スティーブ・マックィーン ドガ/ダスティン・ホフマン

私にとっては、「恐怖の報酬」と並んで、「最初の映画体験」(といってもテレビでしたが)として忘れようにも忘れられない映画。

スティーブ・マックィーンといえば、「脱走」が頭に浮かびます。「大脱走」(1961年)、「ネバダ・スミス」(1966年)、「ゲッタウェイ」(1972年)、どれもこれも彼は「逃げて」います。「パピヨン」も「無実の罪で捕らわれた男が脱獄を試みる」という物語なのですが、その状況があまりにもソウゾウを絶するのです。しかもこれが事実を元にしているというのですから。

原作者のアンリ・シャリエールは、1931年10月26日、身に覚えのない殺人容疑で終身刑を言い渡され、南米のフランス領ギアナの監獄に送られます。彼は胸に蝶の入れ墨を彫っていたため、「パピヨン」(蝶)と呼ばれていました。

南米北部に位置するフランス領ギアナ。フランスがこの地を支配下に入れたのは17世紀にさかのぼります。南米は、19世紀初頭までにそのほとんどが欧米列強の植民地になりましたが、20世紀前半までには独立を達成しています。ところが、仏領ギアナだけは現在もフランス領のままなのです(「海外県」という位置づけ)。

ギアナは、フランス革命直後から、重罪犯の流刑地となります。日本の「流刑地」といえば、隠岐島や八丈島。しかし、ギアナは本国フランスからはるばる大西洋をまたいでの流刑地ですから、徒刑囚にとっては、まさに「地の果て」だったことでしょう。ギアナに送られた囚人の数は8万人とも言われていますが、そのうち本国に生きて戻れたのは4分の1程度だそうです。「ギアナに行く」ということは、ほとんどその地で生涯を閉じることを意味していたのです。まして、地の果てから逃げて来るなんてあり得ない話…。

…なんて、そんなことはずっとあとになってから知った話で、中学生のボクは、スティーブ・マックィーンの不屈の精神力にただただ、あぜん、ぼうぜん、がくぜん。「自由」っていったい何なんだ!…(当時の独白)。そしてあのラストシーン。崖の上でひしと抱き合うパピヨンとドガ…涙。タラララーラーラーン((←テーマ曲))。涙涙。断崖から身をひるがえすパピヨン。「こんちくしょう、俺はまだ生きてるぞ!!」 涙涙涙。



これもずっとあとになって気づいてしまったのですが、海の上を漂うパピヨンが乗っている手作りのいかだの下に、何やら黒い影。

あぁー!

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