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カクレマショウ

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「消えた画(え) クメール・ルージュの真実」─"絶望"を体験した少年

2014-08-31 | └歴史映画

"L'IMAGE MANQUANTE" "THE MISSING PICTURE"
2013年/カンボジア、フランス/95分 

【監督・脚本】リティ・パニュ 
【音楽】マルク・マルデル
 (C) CDP / ARTE France / Bophana Production 2013 - All rights reserved
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カンボジア人監督のリティ・パニュは、クメール・ルージュ(武闘左翼勢力)による恐怖政治、大虐殺の真っ只中に少年時代を過ごしました。過酷な強制労働により、両親や兄弟を亡くし、自身は辛うじて生き延びたパニュ氏。彼は当時の様子を記録するため、ドキュメンタリーを製作しました。犠牲者が葬られた土から作られたクレイ人形を使った映像をメインに、当時の記録フィルムや新たに撮影したシーンを巧みにつなぎ合わせ、「虐殺の野」の真実を明らかにしています。 

  

「虐殺の野」と言えば、「キリング・フィールド」という映画がありますが、そちらと併せて見ると、カンボジアの当時の状況がより鮮明に分かります。それにしても、「当時」と言っても、ほんの40年ほど前のことなんですね。パニュ監督は、私とほぼ同年代。私たちが平和な中学校、高校生活を送っていた頃、カンボジアの少年たちは想像もできないような境地に置かれていたことに、改めておののく思いがします。同じアジアでそんなことがあったという事実を、私たちはもっときちんと知っておく必要がありますね。

カンボジア。 

この国も、「昔は栄えたことがあった国」の一つです。あのアンコール・ワットが作られたのは12世紀。この頃がカンボジアの最盛期といっていいでしょう。あとは、タイ、ベトナムという二つの隣国の圧力のもとでどんどん弱小国化。19世紀後半以降は、ベトナムと同じように、フランスの植民地、日本軍による占領と、大国の利害に翻弄されていく。 

そんな中、がんばったのがシアヌーク国王という人です。シアヌークは、苦労の末に1953年にフランスからの独立を勝ち取ると、対外的には米ソの冷戦のはざまの中で非同盟中立を貫きます。しかし、隣の国ベトナムを舞台に、米ソが代理戦争を始めると、そう構えてもいられなくなってきます。米国の後押しのもと、親米派のロン・ノル政権が樹立されるとシアヌークは亡命を余儀なくされ、米国軍はいよいよカンボジアにも侵攻してきます。シアヌークは、亡命先の中国でロン・ノル政権の打倒を目指し、かつて自ら「クメール・ルージュ(赤いクメール)」と呼んで軽蔑し弾圧していた共産主義勢力と手を結び、カンボジアは内戦状態となっていきます。 

1975年4月、米国はベトナムで敗れるとともに、カンボジアの首都プノンペンからも撤退します。ロン・ノル政権ももちろん崩壊、ついにクメール・ルージュが政権を掌握します。しかし、もともと一枚岩ではなかったクメール・ルージュは、内戦を通して急進派が台頭しており、そのリーダー、ポル・ポトが実権を握っていました。ポル・ポト政権は、反対派はもちろん、クメール・ルージュの他のグループまでも次々と粛清、過激な思想による支配体制を敷いていきます。ポル・ポトが目指したのは、「原始共産主義社会」。都市部の人々は「新人民」と呼ばれ、農村での強制労働を課せられました。そこでは、学校、病院、宗教、結婚、家族制度などこれまでの制度や風習やすべて否定されました。知識人つまり「物事を考えたり知っていたりする人」は危険分子であるとして、医師や学者、芸術家、教師、技術者などを次々と虐殺していきました。ポル・ポト時代に虐殺された人々は100万人とも200万人とも言われています。

貧しいながらも、平和に暮らしていたパニュ監督の一家も、農村に送られ、「オンカー」と呼ばれる「組織」のもとで、強制労働に従事することになります(「オンカー」は、「キリング・フィールド」では「アンカ」と呼ばれていましたね)。そこでも生活については、「キリング・フィールド」でもリアルに描かれていましたが、この映画では、自分の母親を摘発する子ども、飢えて死んでいく少女、診療所の悲惨さといったエピソードが、「動かないクレイ人形」によって表現されていたのが、オンカーによる絶望的な支配の状況をより鮮明に教えてくれるような気がしました。

絶望的。

まさに、パニュ少年にとって、かすかな光さえ望むことのできない絶望的な生活だったのでしょう。少年は夢を見る。きょうだいたちと空を自由に飛ぶ夢。明るい青空の下を、満点の星空の中を彼らはどこまでも風に乗って飛んで行く。それは、昔の楽しい我が家の思い出に直結していきます。夢の中でしか彼は自分を見出すことができなかった。それは、子どもにとって絶対あってはならない境遇だと思う。

この映画に登場する記録フィルムの中のポル・ポトは常に笑顔です。満面の笑顔で拍手をしながら国民に答えるポル・ポト。その姿は、文化大革命当時の毛沢東や、あるいは北朝鮮の指導者たちのそれと重なります。崇高な理想国家を掲げながら、国民や子どもたちに我慢と犠牲を強いる手法の欺瞞。改めて強い憤りを感じますね。

こういう作品を残してくれたリティ・パニュ監督に感謝したいと思います。


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