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地名で見る世界史 #11 南京

2004-12-22 | └地名で見る世界史
「ヒロシマ」といえば原爆。「アウシュビッツ」といえば「ユダヤ人強制収容所」。そして「南京」といえば「虐殺」。

都市の名前がそのまま戦争における悲劇の代名詞となっていること自体、やるせない話ですが、「南京」というまちには、忌まわしい事件の舞台というだけではない長い長い歴史があります。

東西南北-京のうち、最初に使われたのはたぶん「南京」だと思います。中国の古代史は華北を中心としていましたので、江南を拠点とした王朝は、「北」に対抗する意味からも、「南京」という名称を用いたのではないかと考えています。「北京」の項で述べたように、「北京」が逆に「南京」に対抗して名付けられたというのもおもしろいですけど。

南京の歴史は、戦国時代(前770-前403)に楚がこの地を「金陵」と名付けたことに始まります。史上初めて南京に都を置いたのは、3世紀、いわゆる「三国時代」の一角をなした呉という国でした。もっとも、当時は「建業」と称していました。三国を平定した晋の一族が江南に建国した東晋という王朝は「建康」と改名してここに都を据え、以後「南朝」と総称される宋、斉、梁、陳のいずれもが建康を都としています。いわゆる「六朝」とは、呉を含めてこの地に都を置いた6王朝を指しますが、「六朝文化」の中心はもちろん建康でした。

また、もともと江南地方は、後漢末の混乱期に戦乱を避けて移住した農民たちによって開拓が着々と進められていましたが、この時代にさらに人口も増加し、中国の「穀倉」となる地盤が築かれていったのです。

隋・唐から五大十国、宋、元の時代には、政治的な重心は華北に置かれましたが(この間、現南京を首都にしたのは十国の一つ南唐のみ=「江寧府」)、経済的にはますます発展します。隋の煬帝(ようだい)が築いた大運河は、黄河と長江を直結する大動脈としての機能を十二分に果たし、江南は中国の「台所」としてますますその重要性を増すことになります。

14世紀後半、明の太祖朱元璋(しゅげんしょう)は、この地を根拠地として元を北方に追い落とすことに成功し、当時「集慶」と称されていたこの地を「応天府」と改称して都を置きます。その後北京に都が移されたいきさつは「北京」の項で述べたとおりですが、たびたび北方民族の侵入の危機に見舞われていた明朝は、北京の異変に備え、南京を「副都」的な都市とみなしていたようです。

19世紀から20世紀にかけて、南京は政治的な表舞台に何度も登場することになります。

まず1842年の南京条約。清朝は、イギリスが仕掛けてきたアヘン戦争に敗れ、この地で屈辱的な不平等条約を締結することになります。この条約で清は5港の開港を強いられますが、天津条約(1858)でさらに10港が開港され、その中には南京も含まれていました。

実はこの頃、南京は「天京(てんけい)」と呼ばれていました。南京条約以降、重税に苦しんだ貧農たちがキリスト教的結社である上帝会を中心に「太平天国」を叫んで反乱を起こし(1851年)、1853年には南京を占領して天京と改称していたのです。彼らは清朝打倒と因習の撲滅、平等主義を掲げ、「革命」的な施策を打ち出しますが、内紛でくずれ、1864年に鎮圧されます。

太平天国の乱の鎮圧に功を上げた郷勇(義勇軍)のリーダーたちは、その後、洋務運動と呼ばれる近代化の中心的な役割を果たしますが、付け焼き刃的な改革は日清戦争(1894-95)ですぐに弱点が露呈し、清は滅亡への道を転げ落ちていくのです。

1911年、辛亥革命が起こり、翌年"ラストエンペラー"宣統帝溥儀が退位して清は300年間の中国支配の幕を閉じます。革命の指導者孫文は臨時大総統に就任し、「中華民国」の建国を宣言、首都を南京に定めました。南京市の郊外には、中山陵と呼ばれる孫文(孫中山)の陵墓があります。なお、現在「中華民国」の名称は台湾が主張していますが、南京は現在でもその名目上の首都とされています。

1937年7月の盧溝橋(ろこうきょう)事件を契機に日中戦争が勃発すると、日本軍は優勢に兵を進め、12月には南京を占領します。この時、南京占領部隊が捕虜や一般市民の多数を虐殺したことが米国等のマスコミで報じられました。戦後、東京裁判における多くの証言により、この事件は「南京虐殺」として広く知られるようになります。虐殺の規模については数万人から30万人という説まで様々だし、そもそも「南京虐殺」自体フィクションだという完全否定説までありますが、何らかの形で、日本軍による、南京市民に対する集団的、意図的な虐殺が行われたことはもはや否定できないと考えています。

中国の長い歴史の中で、前後して10の王朝が都を南京に置いていたことになります。現在の南京市は、人口500万人を数え、江蘇省の省都となっています。

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