カクレマショウ

やっぴBLOG

暴力性と銃社会

2007-04-18 | ■社会/政治
どうにもやりきれない事件が長崎と米国で起こりました。

伊藤一長・長崎市長の銃撃事件。自分に思うとおりにならなければ暴力にモノを言わせるという最も卑劣な犯行です。ニュースステーションでは、容疑者の元妻なる女性が「子煩悩で本当にいい人」と語っていました。そういうインタビューを放映する意図が今一つわかりませんが、だからいったい何だと言いたいのでしょう? 妻にとって「いい人」だったかもしれませんが、卑劣な犯行をしでかしてしまった事実は取り返しがつかないのです。

それにしても、犯行当日の昼にテレビ朝日に届いたという容疑者からの書類を取り扱いには疑問を投げかけざるを得ません。少なくとも、警察に届け出るべきだったのではないでしょうか?もしかしたら未然に防ぐことができたかもしれないのです。

未然に防ぐと言えば、米国・ヴァージニア工科大学の無差別発砲事件もそうです。1度目の犯行のあと、犯人が発見されていないのに、大学当局はなぜ2時間以上も放っておいたのか。ああいう状況の中で通常通り授業が行われていたというのはどう考えてもおかしいと思うのですが…。大学が速やかにキャンパスの封鎖などの処置をとっていれば、少なくとも2回目の惨劇は未然に防げたかもしれないのです。

それはそうと、米国の事件では、またぞろ「銃社会」が取り沙汰されています。銃がなかったら、32名もの人間の命を次々と奪うことはできません。そもそも、殺意を持って、もしくは自衛のためといういかんを問わず、人を殺傷することが可能な武器を簡単に手に入れることを許している社会は、それを個人がきちんと管理したり取り扱ったりすること、つまり自己責任に委ねているということですから、そういう意味では成熟した社会と言えないこともない。しかし、現実には、すべての人がきちんとした自己責任能力があるわけではないわけで、だから今回のようなとんでもない事件がまま起きるのです。

長崎の事件のように、「銃社会」ではない日本でも、不法に銃を所有している人がいるのはもってのほかとしても、自己責任という大義名分のもとで銃の所有を認める米国の「弱さ」を見たような気がします。

ま、それ以前に、「非暴力」を唱え、実践したガンジーやマーティン・ルーサー・キングでさえ凶弾に倒されてきたという現実を振り返ってみると、つくづく人間の根本的な「暴力性」を感じるところです。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
紹介します (70171)
2007-04-24 19:56:56
ご存知かも知れませんが、佐藤弘弥先生のHP「義経伝説」のエッセイがおもしろく読んでいます。やっぴ先生の取り上げるテーマと良く似ております。良かったら訪ねてみてください。

http://www.st.rim.or.jp/%7Esuccess/yositune.htm

             70171
返信する
義経伝説 (やっぴ)
2007-04-24 23:32:14
70171さま
ご紹介ありがとうございました。

義経伝説は、東北の歴史と深く関連していますので前から興味があり、とてもおもしろく拝見しました。
エッセイもおもしろいですね。テーマは似ているものもあるかもしれませんが、内容的には格調と掘り下げ方という点でこちらはとても及びません。

勉強させていただきます。
返信する

コメントを投稿