
2008年/日本/139分
製作国 日本
【監督・脚本・撮影】 木村大作
【原作】 新田次郎『劔岳 点の記』(文春文庫刊)
【出演】 浅野忠信/柴崎芳太郎(陸軍参謀本部陸地測量部測量手) 香川照之/宇治長次郎(測量隊案内人) 松田龍平/生田信 モロ師岡/木山竹吉 仲村トオル/小鳥烏水(日本山岳会) 宮崎あおい/柴崎葉津よ(柴崎芳太郎の妻) 夏八木勲/行者 役所広司/古田盛作(元陸軍参謀本部 陸地測量部測量手)
(C)2009「劔岳 点の記」製作委員会
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実は、レンタルで最初借りたときに、間違って「撮影記」の方を借りてしまったらしく、おや、本編と同じDVDに特典として入ってるんだ、これはラッキーなんて思ってしばらく見ていたのですが、いつまでたっても本編が始まらず、メニュー画面で確認して初めて「撮影記」だけのDVDであることが判明。あちゃ~と思いながらも、こちらのドキュメントもなかなか面白く、最後までしっかり見てしまいました。本編の前に「撮影記」を見る人も滅多にいないと思うのですが、逆に本編を見たいという気持ちにさせられたので、結果としてはオーライかな。
「撮影記」は、監督・木村大作のこの映画にかける思いと、実際に劔岳(標高2999m)に登っての撮影がいかに過酷を極めたかという撮影隊の苦労ぶりを記録したものです。それは、この映画で描かれる明治時代の陸軍測量部による劔岳登頂が、登山そのものが目的ではなく、山頂に測量のための三角点を設置する使命を帯びていたことと重なります。頂上を究めてから、彼らの「本当の仕事」が始まるのです。撮影隊のスタッフや俳優たちにとってもそれは全く同じことで、苦しい思いをして山を登り切ると、すぐに俳優たちは衣装に着替え、スタッフはあわただしく撮影の機材の準備やセットの設営に取りかかる。感慨にふけっている暇もない。
映画では、初登頂を争う「ライバル」として「日本山岳会」のパーティが登場します。陸軍測量部は、彼らは「遊び」で山に登っているにすぎない、としてライバル心をむき出しにしていました。「撮影記」ではさすがにそういうライバルは登場してきませんが、しかし、監督以下スタッフたちの「俺たちは映画を撮りに山に登っているんだ」というプライドのようなものは、彼らの言葉の端々からひしひしと伝わってきました。

この映画、新田次郎の同名小説を原作にしています。新田次郎といえば、あの『八甲田山死の彷徨』ですが、この小説を映画化した「八甲田山」は、木村監督の撮影によるものです。自然の美しさとそれと裏腹の脅威は、この映画でも十分にカメラに収められていたと思いますが、肝心の人間ドラマの部分が少し薄いのは残念でした。
「日本山岳会」との和解(というよりそもそも確執の部分がよくわからない)や、案内人・宇治長次郎(香川照之)の息子の理解に至るまでの経緯とかが明らかに説明不足だし、陸軍参謀本部陸地測量部の測量手、柴崎芳太郎と長次郎の妻同士の交流も中途半端。そもそも、なぜ長次郎は「登ってはいけない山」にあえて登ろうとするのか。そのへんの描写も欲しかった。それと、何より、柴崎の劔岳測量に対する情熱というものがあんまり伝わってこない。ま、柴崎を演じた浅野忠信が、もともと、淡々とした自然な演技をする俳優だからということによるところも大きいとは思うのですが、それにしても、「内に秘めた思い」といったものを表現するすべはもうちょっとあったのではないかと…。唯一、それまで献身的に案内人を務めてくれた長次郎が、頂上を目前にして柴崎に先頭を譲ろうとする場面はちょっと感動的でしたけどね。ところで、長次郎役の香川照之、彼についてはもう何も言うことはない。どんな役でも自分のものにしてしまうのは、天性の資質というほかないでしょう。

「日本山岳会」のメンバーは、すべてヨーロッパ仕込みの近代的な装備を身につけていました。ワラジにミノという長次郎の格好に比べたら、同じ時代の山登りとは思えないほどです。本当にあんな薄っぺらのコートみたいな格好で登ったの?という疑問は残るものの、この装備の差は、当時の日本の置かれた状況を端的に表しているのかもしれません。
陸軍が劔岳の測量にこだわったのは、防衛上、国内の地理を押さえておきたいという腹があったからです。日本は、日露戦争(1904-05年)で勝利し、いよいよ欧米列強と肩を並べていきます。軍備から生活用品まで、あらゆるところにヨーロッパの物品を導入することが急務とされていました。古いモノが捨てられ、新しい技術や考え方が導入されていく。思えば、今から約100年前のあの頃が、日本という国が変わっていくターニングポイントだったような…。
陸軍の古い装備による一行は、近代的装備の山岳会に先駆けて見事劔岳初登頂を果たすのですが、それにしたって、実は「初」ではなかったという痛烈なオチがつく。頂上には修験者の残した錫杖(しゃくじょう)が残されていました。てっきり、映画の中に出てくる修験者(夏八木勲)がいつのまにか登頂していたんだな、と思いましたが、実はそうではなく、その錫杖はなんと1,000年も前のものだという…。これも実際の話なのだそうですが、初登頂でなかったと判明したとたん、陸軍の幹部たちは彼らの登頂をなかったことにすると言い出す始末。メンツにこだわる軍の姿勢が、こんなところにも表れています。その後、日本軍部は、ほとんどメンツだけで戦争への道をまっしぐらですから。
『剣岳 点の記』≫Amazon.co.jp
製作国 日本
【監督・脚本・撮影】 木村大作
【原作】 新田次郎『劔岳 点の記』(文春文庫刊)
【出演】 浅野忠信/柴崎芳太郎(陸軍参謀本部陸地測量部測量手) 香川照之/宇治長次郎(測量隊案内人) 松田龍平/生田信 モロ師岡/木山竹吉 仲村トオル/小鳥烏水(日本山岳会) 宮崎あおい/柴崎葉津よ(柴崎芳太郎の妻) 夏八木勲/行者 役所広司/古田盛作(元陸軍参謀本部 陸地測量部測量手)
(C)2009「劔岳 点の記」製作委員会
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実は、レンタルで最初借りたときに、間違って「撮影記」の方を借りてしまったらしく、おや、本編と同じDVDに特典として入ってるんだ、これはラッキーなんて思ってしばらく見ていたのですが、いつまでたっても本編が始まらず、メニュー画面で確認して初めて「撮影記」だけのDVDであることが判明。あちゃ~と思いながらも、こちらのドキュメントもなかなか面白く、最後までしっかり見てしまいました。本編の前に「撮影記」を見る人も滅多にいないと思うのですが、逆に本編を見たいという気持ちにさせられたので、結果としてはオーライかな。
「撮影記」は、監督・木村大作のこの映画にかける思いと、実際に劔岳(標高2999m)に登っての撮影がいかに過酷を極めたかという撮影隊の苦労ぶりを記録したものです。それは、この映画で描かれる明治時代の陸軍測量部による劔岳登頂が、登山そのものが目的ではなく、山頂に測量のための三角点を設置する使命を帯びていたことと重なります。頂上を究めてから、彼らの「本当の仕事」が始まるのです。撮影隊のスタッフや俳優たちにとってもそれは全く同じことで、苦しい思いをして山を登り切ると、すぐに俳優たちは衣装に着替え、スタッフはあわただしく撮影の機材の準備やセットの設営に取りかかる。感慨にふけっている暇もない。
映画では、初登頂を争う「ライバル」として「日本山岳会」のパーティが登場します。陸軍測量部は、彼らは「遊び」で山に登っているにすぎない、としてライバル心をむき出しにしていました。「撮影記」ではさすがにそういうライバルは登場してきませんが、しかし、監督以下スタッフたちの「俺たちは映画を撮りに山に登っているんだ」というプライドのようなものは、彼らの言葉の端々からひしひしと伝わってきました。

この映画、新田次郎の同名小説を原作にしています。新田次郎といえば、あの『八甲田山死の彷徨』ですが、この小説を映画化した「八甲田山」は、木村監督の撮影によるものです。自然の美しさとそれと裏腹の脅威は、この映画でも十分にカメラに収められていたと思いますが、肝心の人間ドラマの部分が少し薄いのは残念でした。
「日本山岳会」との和解(というよりそもそも確執の部分がよくわからない)や、案内人・宇治長次郎(香川照之)の息子の理解に至るまでの経緯とかが明らかに説明不足だし、陸軍参謀本部陸地測量部の測量手、柴崎芳太郎と長次郎の妻同士の交流も中途半端。そもそも、なぜ長次郎は「登ってはいけない山」にあえて登ろうとするのか。そのへんの描写も欲しかった。それと、何より、柴崎の劔岳測量に対する情熱というものがあんまり伝わってこない。ま、柴崎を演じた浅野忠信が、もともと、淡々とした自然な演技をする俳優だからということによるところも大きいとは思うのですが、それにしても、「内に秘めた思い」といったものを表現するすべはもうちょっとあったのではないかと…。唯一、それまで献身的に案内人を務めてくれた長次郎が、頂上を目前にして柴崎に先頭を譲ろうとする場面はちょっと感動的でしたけどね。ところで、長次郎役の香川照之、彼についてはもう何も言うことはない。どんな役でも自分のものにしてしまうのは、天性の資質というほかないでしょう。

「日本山岳会」のメンバーは、すべてヨーロッパ仕込みの近代的な装備を身につけていました。ワラジにミノという長次郎の格好に比べたら、同じ時代の山登りとは思えないほどです。本当にあんな薄っぺらのコートみたいな格好で登ったの?という疑問は残るものの、この装備の差は、当時の日本の置かれた状況を端的に表しているのかもしれません。
陸軍が劔岳の測量にこだわったのは、防衛上、国内の地理を押さえておきたいという腹があったからです。日本は、日露戦争(1904-05年)で勝利し、いよいよ欧米列強と肩を並べていきます。軍備から生活用品まで、あらゆるところにヨーロッパの物品を導入することが急務とされていました。古いモノが捨てられ、新しい技術や考え方が導入されていく。思えば、今から約100年前のあの頃が、日本という国が変わっていくターニングポイントだったような…。
陸軍の古い装備による一行は、近代的装備の山岳会に先駆けて見事劔岳初登頂を果たすのですが、それにしたって、実は「初」ではなかったという痛烈なオチがつく。頂上には修験者の残した錫杖(しゃくじょう)が残されていました。てっきり、映画の中に出てくる修験者(夏八木勲)がいつのまにか登頂していたんだな、と思いましたが、実はそうではなく、その錫杖はなんと1,000年も前のものだという…。これも実際の話なのだそうですが、初登頂でなかったと判明したとたん、陸軍の幹部たちは彼らの登頂をなかったことにすると言い出す始末。メンツにこだわる軍の姿勢が、こんなところにも表れています。その後、日本軍部は、ほとんどメンツだけで戦争への道をまっしぐらですから。
『剣岳 点の記』≫Amazon.co.jp
すごくタイムリーな体験にびっくりです。
測量の体験なんてなかなかできませんよね。「山を歩いて測る」ですか。なかなかいい言葉ですね~。