
"INTO THE WILD"
2007年/米国/148分
【監督】 ショーン・ペン
【原作】 ジョン・クラカワー 『荒野へ』(集英社刊)
【脚本】 ショーン・ペン
【撮影】 エリック・ゴーティエ
【出演】 エミール・ハーシュ/クリストファー・マッカンドレス
(クリス="アレグサンダー・スーパートランプ")
マーシャ・ゲイ・ハーデン/ビリー・マッカンドレス
ウィリアム・ハート/ウォルト・マッカンドレス
ジェナ・マローン/カリーン・マッカンドレス
キャサリン・キーナー/ジャン・バレス
ヴィンス・ヴォーン/ウェイン・ウェスターバーグ
クリステン・スチュワート/トレイシー
ハル・ホルブルック/ロン・フランツ
<2008-11-20 シネマディクトにて鑑賞>
**************************************************************
映像に力がある、とはこういう映画のことを言うのでしょうね。それは、何もスクリーンに切り取られた映像が、底知れぬ存在感を示す大自然の風景だからというだけではなく、大自然に比べたらまことにちっぽけな人間が持つ大きな可能性さえも感じさせてくれるからです。
原作は読んでいませんが、実際にあったことを題材にしているらしい。1992年、アラスカの荒野に放置されたバスの中で一人の若い男の死体が発見された。彼は裕福な家庭に育ち、大学を優秀な成績で卒業したあと、行方不明になっていた。若者はなぜ家族を捨て、社会を捨てて荒野に向かい、そして孤独な死を迎えるに至ったのか?
監督のショーン・ペンは、原作のみならず、実際に彼と出会った人々に取材し、そのエピソードを丹念に再現していったという。マクドナルドでアルバイトをするクリスが靴下を履いていないことを見つけ、規則に違反していると注意する同僚の女の子の話なんか、それほど意味はないのかもしれない。あるいは、公衆電話で妹に電話をかけようとしているクリスの横で、老人が妻らしき人間と込み入った話をしている・コインがもうないんだ、と話している老人に、クリスは自分が使おうとしていたコインを差し出す。そういう何でもないシーンを、ショーン・ペンはあえて見せる。クリスが決して単なる人間嫌いではなく、普通に過ちを犯すし、普通に困っている人に手を差し伸べることができることを示そうとするかのように。
クリスが社会を捨てた理由は、確かに両親の偽善にあったかもしれません。それだけで?と思う人も中にはいるかもしれない。けれど、「それだけの理由」で自殺する人よりはよっぽどましだと私は思う。彼は少なくとも「前向き」に生きようとしています。家族に背を向け、キャリアを捨て、大切な友人さえも振り切って、クリスは自然の中に自ら身を投じ、一人で生き抜こうとします。だから、この映画には、ありがちな「暗さ」を微塵も感じない。厳しい自然さえ、そんな彼を暖かく迎えてくれるかのようです。
クリスが"magic bus"つまり「魔法のバス」と呼んだ住み処で過ごした数週間は、結果的に彼の人生にとって最高の時間でした。トルストイやロンドンといった愛読書をひもとき、日記に思いを気ままに書き付け、かつての父と母のやりとりを一人芝居で再現してみる。自分が生き延びるためだけに狩りをし、火を熾す。生まれて初めて感じる「自由」。映画のエンディング・ソングとしてエディ・ヴェダーが歌う「ギャランディード」の最初の歌詞はこうです。
♪ひざまづいていては
自由になれない
空のグラスを高々とかかげて
どこへ行こうと自分らしくいよう
自由でいるために
アラスカに来る直前に出会った老人フランツに、彼は「人生の楽しみは人間関係だけじゃない」と言い放ちます。そう、確かにそうかもしれない。荒野に抱かれて、たった一人で生きることを人生の喜びととらえる人もいる。クリスはそれを実現した。
でも、もし彼が生き延びていたら?
クリスは、死ぬ間際に思い描いたように、家に戻って、満面の笑顔で両親の抱擁を受けたかもしれない。そして、しかるべき会社に就職して、結婚をし、父親になっていたかもしれない。彼は荒野で死んだから「物語」になったのであって、死ななければ、案外、すんなりと社会にUターンしていたかもしれない、と思う。"into the wild"したおかげで、彼は逆に人間の絆を感じたのではないのか。アラスカに来る前に出会ったたくさんの素敵な人たちのような人間がいることも知り、何より、彼らから、両親との葛藤を乗り越えられるだろうことも学べたわけですから。
ただ、表面的には社会に戻ったとしても、クリスはこれまでのクリスではないでしょう。荒野の中で彼は「自由」を手に入れたから。たとえ数週間、数ヶ月であったとしても、彼は自分が自分らしくあることを実感として感じたから。
ひょっとしたら、クリスは、荒野に立ち、叫んでみたかっただけなのかもしれない。俺はここにいるぞ!と。誰も聞いていないところで。誰も聞いていないからこそ。それは私も憧れる。とてもとても憧れます。"into the wild"してみたい。それは若者だけの特権ではないはず…ですね?
ワンカットワンカットがすべて計算され尽くした見せ方。BGMに控え目に鳴り響くカントリー・ミュージックも、それらの映像をより引き立てています。ショーン・ペン、恐るべし。
2007年/米国/148分
【監督】 ショーン・ペン
【原作】 ジョン・クラカワー 『荒野へ』(集英社刊)
【脚本】 ショーン・ペン
【撮影】 エリック・ゴーティエ
【出演】 エミール・ハーシュ/クリストファー・マッカンドレス
(クリス="アレグサンダー・スーパートランプ")
マーシャ・ゲイ・ハーデン/ビリー・マッカンドレス
ウィリアム・ハート/ウォルト・マッカンドレス
ジェナ・マローン/カリーン・マッカンドレス
キャサリン・キーナー/ジャン・バレス
ヴィンス・ヴォーン/ウェイン・ウェスターバーグ
クリステン・スチュワート/トレイシー
ハル・ホルブルック/ロン・フランツ
<2008-11-20 シネマディクトにて鑑賞>
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映像に力がある、とはこういう映画のことを言うのでしょうね。それは、何もスクリーンに切り取られた映像が、底知れぬ存在感を示す大自然の風景だからというだけではなく、大自然に比べたらまことにちっぽけな人間が持つ大きな可能性さえも感じさせてくれるからです。
原作は読んでいませんが、実際にあったことを題材にしているらしい。1992年、アラスカの荒野に放置されたバスの中で一人の若い男の死体が発見された。彼は裕福な家庭に育ち、大学を優秀な成績で卒業したあと、行方不明になっていた。若者はなぜ家族を捨て、社会を捨てて荒野に向かい、そして孤独な死を迎えるに至ったのか?
監督のショーン・ペンは、原作のみならず、実際に彼と出会った人々に取材し、そのエピソードを丹念に再現していったという。マクドナルドでアルバイトをするクリスが靴下を履いていないことを見つけ、規則に違反していると注意する同僚の女の子の話なんか、それほど意味はないのかもしれない。あるいは、公衆電話で妹に電話をかけようとしているクリスの横で、老人が妻らしき人間と込み入った話をしている・コインがもうないんだ、と話している老人に、クリスは自分が使おうとしていたコインを差し出す。そういう何でもないシーンを、ショーン・ペンはあえて見せる。クリスが決して単なる人間嫌いではなく、普通に過ちを犯すし、普通に困っている人に手を差し伸べることができることを示そうとするかのように。
クリスが社会を捨てた理由は、確かに両親の偽善にあったかもしれません。それだけで?と思う人も中にはいるかもしれない。けれど、「それだけの理由」で自殺する人よりはよっぽどましだと私は思う。彼は少なくとも「前向き」に生きようとしています。家族に背を向け、キャリアを捨て、大切な友人さえも振り切って、クリスは自然の中に自ら身を投じ、一人で生き抜こうとします。だから、この映画には、ありがちな「暗さ」を微塵も感じない。厳しい自然さえ、そんな彼を暖かく迎えてくれるかのようです。
クリスが"magic bus"つまり「魔法のバス」と呼んだ住み処で過ごした数週間は、結果的に彼の人生にとって最高の時間でした。トルストイやロンドンといった愛読書をひもとき、日記に思いを気ままに書き付け、かつての父と母のやりとりを一人芝居で再現してみる。自分が生き延びるためだけに狩りをし、火を熾す。生まれて初めて感じる「自由」。映画のエンディング・ソングとしてエディ・ヴェダーが歌う「ギャランディード」の最初の歌詞はこうです。
♪ひざまづいていては
自由になれない
空のグラスを高々とかかげて
どこへ行こうと自分らしくいよう
自由でいるために
アラスカに来る直前に出会った老人フランツに、彼は「人生の楽しみは人間関係だけじゃない」と言い放ちます。そう、確かにそうかもしれない。荒野に抱かれて、たった一人で生きることを人生の喜びととらえる人もいる。クリスはそれを実現した。
でも、もし彼が生き延びていたら?
クリスは、死ぬ間際に思い描いたように、家に戻って、満面の笑顔で両親の抱擁を受けたかもしれない。そして、しかるべき会社に就職して、結婚をし、父親になっていたかもしれない。彼は荒野で死んだから「物語」になったのであって、死ななければ、案外、すんなりと社会にUターンしていたかもしれない、と思う。"into the wild"したおかげで、彼は逆に人間の絆を感じたのではないのか。アラスカに来る前に出会ったたくさんの素敵な人たちのような人間がいることも知り、何より、彼らから、両親との葛藤を乗り越えられるだろうことも学べたわけですから。
ただ、表面的には社会に戻ったとしても、クリスはこれまでのクリスではないでしょう。荒野の中で彼は「自由」を手に入れたから。たとえ数週間、数ヶ月であったとしても、彼は自分が自分らしくあることを実感として感じたから。
ひょっとしたら、クリスは、荒野に立ち、叫んでみたかっただけなのかもしれない。俺はここにいるぞ!と。誰も聞いていないところで。誰も聞いていないからこそ。それは私も憧れる。とてもとても憧れます。"into the wild"してみたい。それは若者だけの特権ではないはず…ですね?
ワンカットワンカットがすべて計算され尽くした見せ方。BGMに控え目に鳴り響くカントリー・ミュージックも、それらの映像をより引き立てています。ショーン・ペン、恐るべし。
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