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カクレマショウ

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「人口減少」、「少子高齢」をどういう切り口でとらえるか

2006-12-25 | ■社会/政治
50年後の日本の人口は9,000万人を割り込み、そのうち4割が高齢者であるという人口推計が先日、国立社会保障・人口問題研究所から発表されました。参考値として、100年後(2105年)には人口4,459万人となり、現在の3分の1程度に縮小するという推計も出されています。

「少子高齢社会」に関する政府の発表やそれを報じるマスコミ報道は、一様に、「このままではマズイ」、「何とかせねば」という「危機感」をあおるような論調に終始しています。

そんな中、日経ビジネスオンラインのコラムで、ソフトブレーン株式会社の創業者、宋文洲氏が「人口が減ってどこが悪いのでしょう」と主張しています。「日本列島にもう十分に大勢の人々が住んでいることは、通勤や居住など日々の生活の実感や、データなど定量面から見ても分かること」とし、「しかし、不思議なことに多くの人々が、人口増こそが日本にとって重要だと考えてしま」っていると宋氏は言います。宋氏の論説に寄せられたコメントを見る限りでは、賛成・同感する人が圧倒的に多いようです。

江戸時代の250年間に1,000万人しか増えなかった人口が、明治以降の130年余で9,000万人以上も増加したということ自体が歴史上まれにみることですが、その反動、引き戻しがいずれやってくることは容易に予想されたことです。また、コトは人口に限りませんが、何でも「右肩上がり」こそ善であり、それを目指すのが当然であるという思い込みがいまだに私たちの中に存在することも事実でしょう。歴史上初めて、「人口が減る」時代を迎えつつある今、そういう価値観から脱却していく必要はあります。人口減少を「悪いこと」ではなく、前向きにとらえましょうという見方も必要かもしれません。

ただ、宋氏の考えは、「人口が減ればそれだけ物理的・社会的に余裕が生まれるから、それだけ暮らしやすくなる」という極めて単純な図式を示しているだけです。たとえば、50年後の人口ピラミッドのいびつな形がいったい何を意味しているのか、つまり、人口の4割が高齢者という社会がどんなものなのか、生産者世代が減ることによって産業構造にどんな変化がもたらされるのか、といった点について、氏はほとんど言及していません。問題なのは、単純な人口減少ではなく、そうした社会構造の変化ではないかというコメントも見られました。

もちろん、高齢者ばかりになると社会が停滞する、というのも思い込みにしかすぎません。世界の「長寿村」と言われる村がどんなに生き生きしている(=活性化している)かを引き合いに出すまでもなく。彼らを少ない現役世代がどう「支えていくのか」という考え方にしても、そもそも高齢者は「支えられなければならないのか」という視点で考えればまったく別のとらえ方ができるでしょう。高齢者がその気にさえなればきちんと働くことができ、収入を保障する社会づくりをすればいいからです。

もう一つ、宋氏の論調で気になるのは、これはあくまでも「都会中心」の考え方だなあという点です。氏が日本の人口過多を象徴するイメージとして触れている「世界でも珍しい狭い住宅に住み」、「世界でも珍しい混み合う電車に乗り」といったことは、東京や大都市には当てはまるかもしれませんが、「地方」に住む多くの日本人に言わせれば、「それは都会の話でしょ」、なのです。また、氏の言う「豊かな暮らし」というのが「別荘を持ったり、ヨットを楽しんだり」といった画一的なイメージでしかないことも、どうかと思います。要するに、「都会&欧米」的な見方からしか論じていない。

先日の報道によれば、東京都の人口は今後10年間増え続け、2015年ごろにピークの1,308万人に達するという推計が出たとか。日本全体では人口は減りますが、東京への一極集中はますます進む。「世界でも珍しい混み合う電車に乗り」が解消されるどころではない。全体の人口は減るのだから、相対的に「地方」の人口減少はますます進み、地域によっては過疎に一層の拍車がかかる。人口の地域格差だけではなく、それは経済や暮らし向きといった格差にもつながってくるはずです。宋氏がまさかこのことをよしとするとは思えません。

ともあれ、宋氏の見方・考え方は、これまで「常識」と思い込んでいたことを、少し立ち止まって考えさせてくれるきっかけになりますね。「人口減少」、「少子高齢」という未体験の社会は、切り口によっていろんなとらえ方ができるのです。


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