ちまたではあまり評判がよろしくないようですが、「ブラザーズ・グリム」。でも私は十分に楽しめました。
テリー・ギリアム流のブラック・ユーモアがそこここに散りばめられていて、「くすっ」と笑えるシーンがいくつもありました。それだけで十分です。
予想通り、この映画は「グリム兄弟」を登場人物に借りてきたファンタジーでしたが、しかし、ナポレオンの支配下にあった「ドイツ」(厳密に言えば「ドイツ」という国はまだ存在しないのですが…)の痛みが背景に描かれていたり、グリム童話の数々のエピソードが下敷きにされていたり、やっぱり「グリム兄弟ならでは」の物語でした。
「未来世紀ブラジル」でサムを演じていたジョナサン・プライスが、今回はフランス軍の将軍ドゥラトンプを演じ、拷問好きの悪役に徹しています。それより、彼の部下カヴァルディ役のピーター・ストーメアにオーバーアクション演技賞を捧げましょう。途中から、主役の二人よりずっと存在感を感じさせてくれました。
それよりなにより、500歳の女王を演じたモニカ・ベルッチの完璧な美しさ。美しさと邪悪さは紙一重で、鏡に映った「美しい自分」は、鏡が割れるとともに邪悪さをさらけ出してしまう…。「世界一美しい女優」と言われる彼女自身がインタビューでいみじくも語っています。「美しさなんて見る人によって違うから、誰がいちばんなんて無意味です。それに表面的な美しさなんて誰でも年とともに衰えるし。鏡の女王は自分が年老いていく現実を受け入れられない。男性を誘惑するけど、本当は誰も愛していない。愛してるのは自分の容姿だけ」(映画パンフレットより)
500年女王の美しい顔が、鏡に映ったままの表情のまま粉々に砕け散っていくシーンがとても印象的でしたが、もちろんCGで作られた映像です。この映画は、テリー・ギリアム監督が初めてCGを多用した映画です。雑誌「インビテーション」12月号にテリー・ギリアムと紀里谷和明の対談が載っていますが、その中で彼はこんなことを言っています。「僕はいつも品質を落とすということにポイントを置くんだ。アニメーターたちはきれいな線や、きれいな動きを作りたがるけど違うんだよね。木とか枝とか、全ての物はそんなに滑らかじゃない。微妙なところを出したいんだ」。なるほどね。テリー・ギリアムらしい言葉ですね。
「グリム童話」は、実際にはドイツ固有の民話というより、フランスから亡命してきた新教徒の子孫たちから聞いた物語も多いらしいです。彼らは、小さい頃にペロー(1628-1703)の童話を母親から聞かされていました。たとえば、眠る森のお姫さま(「眠り姫」)のお話や、灰だらけ姫(「シンデレラ」)、赤ずきんちゃん…。それらはグリム兄弟によって少し形を変えながら、ドイツの民話として語り継がれていくことになります。
『本当は恐ろしいグリム童話』(桐生操)という本に書かれてあるとおり、二人は、本来残酷で人間の本性(特に性的な部分)をさらけ出すような物語を巧みに覆い隠し、なおかつ多くの物語をハッピーエンドにしています。それは、ドイツ人の母親が子どもに話して聞かせるということを前提にしていたからです。
この映画は、グリム童話のように、ハッピーエンドでいったん終わります。ところが、そのすぐあとに“Well Maybe Not”というクレジット。「じゃないかも…」。ギリアムの手にかかれば、グリム兄弟でさえ、おちょくりの対象になってしまうのですね。
テリー・ギリアム流のブラック・ユーモアがそこここに散りばめられていて、「くすっ」と笑えるシーンがいくつもありました。それだけで十分です。
予想通り、この映画は「グリム兄弟」を登場人物に借りてきたファンタジーでしたが、しかし、ナポレオンの支配下にあった「ドイツ」(厳密に言えば「ドイツ」という国はまだ存在しないのですが…)の痛みが背景に描かれていたり、グリム童話の数々のエピソードが下敷きにされていたり、やっぱり「グリム兄弟ならでは」の物語でした。
「未来世紀ブラジル」でサムを演じていたジョナサン・プライスが、今回はフランス軍の将軍ドゥラトンプを演じ、拷問好きの悪役に徹しています。それより、彼の部下カヴァルディ役のピーター・ストーメアにオーバーアクション演技賞を捧げましょう。途中から、主役の二人よりずっと存在感を感じさせてくれました。
それよりなにより、500歳の女王を演じたモニカ・ベルッチの完璧な美しさ。美しさと邪悪さは紙一重で、鏡に映った「美しい自分」は、鏡が割れるとともに邪悪さをさらけ出してしまう…。「世界一美しい女優」と言われる彼女自身がインタビューでいみじくも語っています。「美しさなんて見る人によって違うから、誰がいちばんなんて無意味です。それに表面的な美しさなんて誰でも年とともに衰えるし。鏡の女王は自分が年老いていく現実を受け入れられない。男性を誘惑するけど、本当は誰も愛していない。愛してるのは自分の容姿だけ」(映画パンフレットより)
500年女王の美しい顔が、鏡に映ったままの表情のまま粉々に砕け散っていくシーンがとても印象的でしたが、もちろんCGで作られた映像です。この映画は、テリー・ギリアム監督が初めてCGを多用した映画です。雑誌「インビテーション」12月号にテリー・ギリアムと紀里谷和明の対談が載っていますが、その中で彼はこんなことを言っています。「僕はいつも品質を落とすということにポイントを置くんだ。アニメーターたちはきれいな線や、きれいな動きを作りたがるけど違うんだよね。木とか枝とか、全ての物はそんなに滑らかじゃない。微妙なところを出したいんだ」。なるほどね。テリー・ギリアムらしい言葉ですね。
「グリム童話」は、実際にはドイツ固有の民話というより、フランスから亡命してきた新教徒の子孫たちから聞いた物語も多いらしいです。彼らは、小さい頃にペロー(1628-1703)の童話を母親から聞かされていました。たとえば、眠る森のお姫さま(「眠り姫」)のお話や、灰だらけ姫(「シンデレラ」)、赤ずきんちゃん…。それらはグリム兄弟によって少し形を変えながら、ドイツの民話として語り継がれていくことになります。
『本当は恐ろしいグリム童話』(桐生操)という本に書かれてあるとおり、二人は、本来残酷で人間の本性(特に性的な部分)をさらけ出すような物語を巧みに覆い隠し、なおかつ多くの物語をハッピーエンドにしています。それは、ドイツ人の母親が子どもに話して聞かせるということを前提にしていたからです。
この映画は、グリム童話のように、ハッピーエンドでいったん終わります。ところが、そのすぐあとに“Well Maybe Not”というクレジット。「じゃないかも…」。ギリアムの手にかかれば、グリム兄弟でさえ、おちょくりの対象になってしまうのですね。
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