カクレマショウ

やっぴBLOG

湊かなえ『告白』─私たちの「心の闇」を見せてくれる。

2010-06-09 | ■本
先日行ったビアガーデンで、同僚が面白くて一晩で読んだと話していました。その2~3日後、わざわざ持ってきてくれて、私も、その日のうちに一気に最後まで読んでしまいました(眠い目をこすりながら)。

文章は多少荒削りのところはありますが、設定といい、構成といい、展開といい、確かに一気に読ませる力を持っている小説です。

愛美は事故で死んだのではありません。
このクラスの生徒に殺されたのです。


先週から公開されている映画の予告編として、テレビでも何度も流れているこのセリフ。こんなショッキングなことを言っているのは、主人公、森口悠子先生。人の興味を引きつける上では、申し分ない惹句ですね。本を読んで、絶対映画は見たくない(怖すぎて)と思ったのが鈴木光司の『リング』でしたが、『告白』は、逆にこの物語の映画化ならちょっと見てみたいと思わせるものがありました。主役・松たか子だし。しかも、メガホンを取っているのが中島哲也監督だし、いったいどんな映画に仕上がっているのか。

第1章 聖職者 森口先生の「告白」(1)
第2章 殉教者 美月の森口先生宛の手紙
第3章 慈愛者 直樹(少年B)の姉の日記~直樹の母の日記
第4章 求道者 直樹の日記
第5章 信奉者 修哉(少年A)の日記
第6章 伝道者 森口先生の「告白」(2)

何と言っても、それだけで独立した短編になりうるような第1章が一番いい。びっしりと改行なしでまくしたてる森口先生の「告白」。緊迫感の勝利。

そんな彼女の独白を前後に据えて、第2章から第5章では、「事件」の関係者がそれぞれの視点から「事件」を語る。当然、同じシーンが何度も出てきて、くどいなと感じないこともないのですが、同じ出来事を体験していても、見ているところが全く違ったりするのは面白い。考えてみれば当然のことですけどね。

直樹と修哉の関係にしてもそうです。読んでいると、「表層的な会話」のむなしさをつくづく感じます。人がいかに仮面をかぶることができるか。それは中学生同士だから? いえ、大人同士の関係でも同じですよね。上っ面だけのつきあいでありながら、お互いに信じ合おうとする。もしくは、信じ合っていると思い込もうとする。

そういうコミュニケーションの希薄さ、のほかにも、この物語には、中学生や大人をめぐる様々な「問題」がモチーフとして描かれています。少年による凶悪犯罪はもちろん、いじめ、引きこもり、過保護、ネグレクト、児童虐待、家庭内暴力、学校への携帯電話の持ち込み、学力低下、キャリア教育、あるいはHIVや子育て支援のことまで。

こう書くと、盛りだくさんのように思えますが、どの問題を深く掘り下げるというわけでもなく、この物語を起こすために、淡々とそれらの問題が配置されている、という感じ。その中で、中学生たちが翻弄され、追い詰められて、行き場を失っていく。結局は、こういう問題のすべては、大人社会が生み出したものに過ぎないのに。今朝の新聞でも、母親にそそのかされて学校のガラスを割りに行った女子中学生の事件が報道されていました。「学校がうざいならガラスでもぶっ壊してきたら? 私たちの代にもやってたんだよ」などど、「母親」とは思えないようなことを言ったのだという。これは極端な例かもしれませんが、大人の「病」が子ども社会にも影を落としていることは間違いないでしょう。

それから、身内を殺された人間の、犯人に対する私的な「復讐」の是非についても考えさせられました。特に、犯人が「少年」だった場合。森口先生は「告白」の中で、「K市・児童殺傷事件」(これは実際にあった事件ですね)と、「T市・一家五人殺傷事件」(架空の事件:13歳の少女が青酸カリをカレーに混入して一家5人を殺害。少女がブログで使っていた名前から「ルナシー事件」と呼ばれた。)を引き合いに出して、それらの事件を引き起こした犯人である未成年の子供をめぐる報道について語る。

ご大層な名前をつけられたこの事件は、犯人が未成年ということで顔や実名を伏せたまま、残忍な事件の内容と推測でしかない少女の心の闇が大袈裟に取り沙汰されただけで、肝心な真相は何もわからないまま、風化してしまいました。こんな報道でいいのでしょうか。この事件の報道は一部の子供の心の闇に、ルナシーという人間味をまったく感じさせない猟奇的犯罪者の存在を植え付けただけ、愚かな犯罪者を崇拝する哀れな子供たちを煽っただけ、なのではないでしょうか。私は、未成年だからといって顔写真も名前も公表しないなら、犯人が調子に乗ってつけた名前も公表しなければいいと思います。ブログでルナシーと名乗っていたとしても、実名を少年A、少女Aと表すのなら、その部分もモザイクをかけて、ヌケ作だのノグソだの、みっともない仮名をつけてやればいいのです。

森口先生、極めて冷静に、すごいことを言っていますね。これらの事件と同じように、未成年の少年に娘の命を奪われた母親の憤り、やるせなさがゾクゾク響いてきます。彼女が最も許せないのは、そういう少年少女たちの「自己陶酔」感。勝手に一人で自己陶酔していればいいものを、それを殺人という形で表そうとするばかりか、自分の引き起こした事件がマスコミの興味を煽ることを、彼らが十分に知っていることが許せないのです。しかも、「13歳」であれば、どんなに残虐な殺人を犯しても、「児童自立支援施設かどこかで作文でも書いていれば、数年後、何食わぬ顔をして社会に復帰して」来る。

もちろん、私的な復讐が是か非かと言ったら「非」に決まっているわけですが、でも、森川先生の気持ちもわからないでもない。たぶん、多くの人がそう感じることでしょう。この物語は、そういう多くの人の気持ちを代弁してくれているからこそ、共感を呼ぶのでしょうね。まさに「心の闇」です。

1つだけ気になったことがあります。「HIV」のこと。あんなふうにHIVを取り上げていいものかと思いました。ネタバレになりますが、あんなふうに「武器」として使われるべきではない。

さてさて、怒りの「告白」に始まった彼女の復讐劇。いったい、それは完結するのでしょうか…?

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