という、東奥日報紙の見出し(2007年9月15日付け)。「青森市が県内40市町村で唯一、社会教育委員を置いていないことが、14日に同市で開かれた県社会教育研究大会で話題になった。」
開会行事のあいさつの中で、県社会教育委員連絡協議会の会長が、「県内でたった一つの未加入の自治体があり、参加を求めていきたい」と発言したことに対し、開会行事終了間際、ある参加者から「それはどこの市町村なのかはっきりしてもらいたい」というイレギュラー発言。会長は、「某県庁所在地」した上で、「常識的に考えて委員を置くのは当然。今後とも働きかけていきたい」と答えました。質問者も、それが青森市であることを知っている上での発言のようでした。
東奥日報紙では、その後青森市教育委員会に取材もしたらしく、青森市がなぜ社会教育委員を置いていないか、その経緯も説明されています。青森市は、2005年に隣町と合併した際、社会教育委員の設置条例を新たに制定したのですが、それにもかかわらず、社会教育委員を設置していません。その理由は、青森市が別に設置している「生涯学習推進委員会委員」と役割が似ており、同じような委員を設置するのは行政改革の観点から好ましくないということのようです。
社会教育委員って、存在すら知らない方が多いと思います。「え、教育委員じゃないの?」──はい、教育委員とは違います。教育委員は、教育に住民の声を反映させるための制度ですが、社会教育には、より住民のニーズを把握することが求められるため、社会教育行政に対する住民の代弁者としての社会教育委員が存在するのです。教育委員は、なぜか「学校教育」だけにしか関与しない向きもありますが、本来は社会教育も含む御意見番の役割を負っているはずです。つまり、社会教育には、住民の声を教育行政に反映させるための仕組みとして、教育委員、社会教育委員という二重の仕組みがあるということになります。
社会教育委員は、社会教育法で都道府県、市町村に「置くことができる」と定められている非常勤の特別職の地方公務員です。このへんが法律のいやらしいところで、「置くことができる」ということは、必置制度ではないということで、実際、青森市だけでなく、全国の都道府県や市町村には社会教育委員を置いていない自治体も存在します。
ただ、社会教育法には、「地方公共団体が社会教育関係団体に対し補助金を交付しようとする場合には、あらかじめ、地方公共団体にあっては教育委員会が社会教育委員の会議の意見を聴いて行わなければならない」という規定もあります。ほとんどの自治体は、子ども会とかボーイスカウト、PTAなどの社会教育関係団体に何らかの補助金を出してきましたから、その場合には、事前に社会教育委員の皆さんに集まっていただいて、了解を得なければならないのです。ということは、団体への補助金を予算化している自治体は、必ず社会教育委員を置かなければならないわけで、この規定が事実上の「必置」の根拠となっていました。
ただ、実際には、すべての自治体がこの規定を厳密に守っているとは言えません。社会教育委員を設置していないのに補助金は交付しているとか、社会教育委員を置いているのに意見を聴いていないとか…。これは明らかなルール違反です。もっとも最近は、財政難から補助金を取りやめている自治体もあるようで、この規定が社会教育委員の「必置根拠」とは必ずしも言えなくなっていることも事実ですが。
社会教育委員が教育委員など他の「委員」とは明らかに異なる点が1つだけあって、それは、「独任制」だということです。つまり、普通は、「教育委員会」などという「会議体」があって、そのメンバーとして「委員」が任命されるのですが、社会教育委員の場合は、「会議体」ありきではないということ。社会教育委員は、あくまでも「個人」として任命されるのです。個人として社会教育行政に対して意見を述べることができるのです。ただ、実際には会議も招集されます。たとえば、先ほど述べた社会教育関係団体に対する補助金の交付については、個人ではなくて「会議」として意見を述べることとされています。個人として何か意見を述べたり調査をしたりというのは現実にはむずかしい。
その「会議」にしても、自治体によって開催回数や内容はまちまちです。年1回、形式だけの会議しか開いていないところもあるし、社会教育委員が自主的に会合を持って活発に活動しているところもあります。社会教育委員自身の意識もあるでしょうが、私は、やっぱり事務局としての行政側の熱意の差ではないかと思っています。社会教育委員の本来の役割をきちんと理解して、積極的に「活用」しようとしているまちは、社会教育活動そのものが活発に行われています。
ところで、青森市が設置しない理由として挙げているという「生涯学習推進委員」とやらですが、詳しくは知りませんけど、名称からして社会教育委員とはその役割は違うのではないかと思います。「生涯学習の推進」は、本来、学校教育も含めて、人々の生涯にわたる学習活動全体をコーディネートすることです。社会教育は、もちろん、生涯学習の推進において中核となるものですが、イコール生涯学習では決してないのです。社会教育委員は、生涯学習社会をきちんと見据えた上で、「地域」においてどんなふうに子どもたちの教育や女性教育、成人教育、高齢者教育を進めていくべきかについて意見を述べる義務があります。
ただ、そうはいっても、実際には重なる部分があることも事実です。私に言わせれば、「生涯学習推進委員」とやらを新たに設置するくらいなら、社会教育委員の役割を拡大解釈すればいいだけの話では?と思うのですが。
いずれにしても、社会教育法が制定されたのは1949(昭和24)年ですから、もう当時とは相当時代も変わっているはずです。行政と住民との関係だって変わってきています。NPOという新しいセクターも登場してきて、そのNPOが行政との「協働」に取り組んできています。社会教育の役割や位置づけをきちんと把握した上で、行政と住民とのパイプ役を立派に果たしているNPOもあります。そうなると、確かに社会教育委員の役割ってどうなの?と考えざるを得ません。
社会教育委員がそれでも必要だと主張していくためには、社会教育委員自身がその社会的役割をちゃんと示していくことが必要だと思います。本当に行政に住民のニーズを届けるパイプの役目を果たしているでしょうか? 地域の社会教育のあり方や方向性について、行政に意見を述べているでしょうか? いろいろ問題が出ている「青少年」の教育について、本気で地域から発信しようとしているでしょうか?
必要だ必要だとお題目だけ唱えていても通用しないような時代になっているかもしれませんね。
開会行事のあいさつの中で、県社会教育委員連絡協議会の会長が、「県内でたった一つの未加入の自治体があり、参加を求めていきたい」と発言したことに対し、開会行事終了間際、ある参加者から「それはどこの市町村なのかはっきりしてもらいたい」というイレギュラー発言。会長は、「某県庁所在地」した上で、「常識的に考えて委員を置くのは当然。今後とも働きかけていきたい」と答えました。質問者も、それが青森市であることを知っている上での発言のようでした。
東奥日報紙では、その後青森市教育委員会に取材もしたらしく、青森市がなぜ社会教育委員を置いていないか、その経緯も説明されています。青森市は、2005年に隣町と合併した際、社会教育委員の設置条例を新たに制定したのですが、それにもかかわらず、社会教育委員を設置していません。その理由は、青森市が別に設置している「生涯学習推進委員会委員」と役割が似ており、同じような委員を設置するのは行政改革の観点から好ましくないということのようです。
社会教育委員って、存在すら知らない方が多いと思います。「え、教育委員じゃないの?」──はい、教育委員とは違います。教育委員は、教育に住民の声を反映させるための制度ですが、社会教育には、より住民のニーズを把握することが求められるため、社会教育行政に対する住民の代弁者としての社会教育委員が存在するのです。教育委員は、なぜか「学校教育」だけにしか関与しない向きもありますが、本来は社会教育も含む御意見番の役割を負っているはずです。つまり、社会教育には、住民の声を教育行政に反映させるための仕組みとして、教育委員、社会教育委員という二重の仕組みがあるということになります。
社会教育委員は、社会教育法で都道府県、市町村に「置くことができる」と定められている非常勤の特別職の地方公務員です。このへんが法律のいやらしいところで、「置くことができる」ということは、必置制度ではないということで、実際、青森市だけでなく、全国の都道府県や市町村には社会教育委員を置いていない自治体も存在します。
ただ、社会教育法には、「地方公共団体が社会教育関係団体に対し補助金を交付しようとする場合には、あらかじめ、地方公共団体にあっては教育委員会が社会教育委員の会議の意見を聴いて行わなければならない」という規定もあります。ほとんどの自治体は、子ども会とかボーイスカウト、PTAなどの社会教育関係団体に何らかの補助金を出してきましたから、その場合には、事前に社会教育委員の皆さんに集まっていただいて、了解を得なければならないのです。ということは、団体への補助金を予算化している自治体は、必ず社会教育委員を置かなければならないわけで、この規定が事実上の「必置」の根拠となっていました。
ただ、実際には、すべての自治体がこの規定を厳密に守っているとは言えません。社会教育委員を設置していないのに補助金は交付しているとか、社会教育委員を置いているのに意見を聴いていないとか…。これは明らかなルール違反です。もっとも最近は、財政難から補助金を取りやめている自治体もあるようで、この規定が社会教育委員の「必置根拠」とは必ずしも言えなくなっていることも事実ですが。
社会教育委員が教育委員など他の「委員」とは明らかに異なる点が1つだけあって、それは、「独任制」だということです。つまり、普通は、「教育委員会」などという「会議体」があって、そのメンバーとして「委員」が任命されるのですが、社会教育委員の場合は、「会議体」ありきではないということ。社会教育委員は、あくまでも「個人」として任命されるのです。個人として社会教育行政に対して意見を述べることができるのです。ただ、実際には会議も招集されます。たとえば、先ほど述べた社会教育関係団体に対する補助金の交付については、個人ではなくて「会議」として意見を述べることとされています。個人として何か意見を述べたり調査をしたりというのは現実にはむずかしい。
その「会議」にしても、自治体によって開催回数や内容はまちまちです。年1回、形式だけの会議しか開いていないところもあるし、社会教育委員が自主的に会合を持って活発に活動しているところもあります。社会教育委員自身の意識もあるでしょうが、私は、やっぱり事務局としての行政側の熱意の差ではないかと思っています。社会教育委員の本来の役割をきちんと理解して、積極的に「活用」しようとしているまちは、社会教育活動そのものが活発に行われています。
ところで、青森市が設置しない理由として挙げているという「生涯学習推進委員」とやらですが、詳しくは知りませんけど、名称からして社会教育委員とはその役割は違うのではないかと思います。「生涯学習の推進」は、本来、学校教育も含めて、人々の生涯にわたる学習活動全体をコーディネートすることです。社会教育は、もちろん、生涯学習の推進において中核となるものですが、イコール生涯学習では決してないのです。社会教育委員は、生涯学習社会をきちんと見据えた上で、「地域」においてどんなふうに子どもたちの教育や女性教育、成人教育、高齢者教育を進めていくべきかについて意見を述べる義務があります。
ただ、そうはいっても、実際には重なる部分があることも事実です。私に言わせれば、「生涯学習推進委員」とやらを新たに設置するくらいなら、社会教育委員の役割を拡大解釈すればいいだけの話では?と思うのですが。
いずれにしても、社会教育法が制定されたのは1949(昭和24)年ですから、もう当時とは相当時代も変わっているはずです。行政と住民との関係だって変わってきています。NPOという新しいセクターも登場してきて、そのNPOが行政との「協働」に取り組んできています。社会教育の役割や位置づけをきちんと把握した上で、行政と住民とのパイプ役を立派に果たしているNPOもあります。そうなると、確かに社会教育委員の役割ってどうなの?と考えざるを得ません。
社会教育委員がそれでも必要だと主張していくためには、社会教育委員自身がその社会的役割をちゃんと示していくことが必要だと思います。本当に行政に住民のニーズを届けるパイプの役目を果たしているでしょうか? 地域の社会教育のあり方や方向性について、行政に意見を述べているでしょうか? いろいろ問題が出ている「青少年」の教育について、本気で地域から発信しようとしているでしょうか?
必要だ必要だとお題目だけ唱えていても通用しないような時代になっているかもしれませんね。
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