当然のことですが、『火の鳥』については、年季のはいった手塚ファンの方々によってウェブ上でも優れた解説が既に数多く提供されています。たとえば、
「手塚治虫考察録」
「タケ坊のホームページ」(「火の鳥のコーナー」)
などには、編ごとの詳細なストーリーと解説が載っています。それから、
松岡正剛の千夜千冊 『火の鳥』(全13巻)手塚治虫
では、手塚治虫は「文豪」である、「漫画家」という形の文豪を日本人は正しく評価して発信するべきだ、といった面白い話が出てきますし、もちろん『火の鳥』という作品のテーマについても、極めて重層的な論考を読むことができます。
稚拙な「覚書」にすぎませんが、私は私なりの見方で『火の鳥』に向き合いたいと思っています。ということで、今日は私の大好きな作品「未来編」です。
<主な登場人物>
山之辺マサト
タマミ
<舞台>
西暦3404年の地球。メガロポリス・ヤマト。
「黎明編」の舞台だった古代日本から、一転して物語は4000年ほど先の未来へ飛びます。
急速に死に向かう地球にあって、人類が住めるのはもはや地下のみとなっていました。人類はそこに5つの「永遠の都」を築き、高度に発達した文明の中で、過去の感傷に浸りつつ無気力な生活を送っていました。その中の一つ、メガロポリス・ヤマトに住む二級宙士山之辺マサトは、ムーピーのタマミと暮らしていました。ムーピーとは、50年前にある星から連れてこられ、地球人のペットとしてかわいがられるようになった不定形生物です。彼らは人間が望むどんな形にも変身することができ、しかも脳細胞に働きかけて一種の夢を見せることができたのです。それはムーピーゲームと呼ばれ、政府では人間を無気力にさせる者としてこれを禁じていました。
政府。ヤマトの政治は、すべて「ハレルヤ」と呼ばれる電子頭脳の指示によって動いていました。「ハレルヤ」の命令は絶対でした。人々の生活は何もかも「ハレルヤ」の言葉によって決定されていました。
マサトの同期でありながら今や1級宙士として政治の要職にあるロックは、マサトを呼び出し、最後のムーピー、タマミを始末するよう告げます。タマミを殺すことができないマサトは、逃げ場を失い、禁断の地である地上に出るのです。それを追ってくるロック。彼らは、不毛の地と化した地上でドームの中で暮らす猿田博士と出会います…。
ドームに現れた火の鳥がマサトをいざない、超ミクロの世界から宇宙の果てまでを見せてくれるシーンがあります。まず素粒子の世界へ。素粒子という「太陽」の周りを回る「惑星」の中に入っていくと、そこには「生きもの」がいる。その体を形作る細胞の一つに飛び込むと、そこにまた小さな「太陽」があり、「惑星」がある。無限に極小の世界が続く。そして今度は一気に極大の世界へ。太陽系、銀河系、大宇宙…。そこにも極小の世界と同じ光景がありました。宇宙を形成するすべてのものは「生きもの」で、それを宇宙生命(コスモゾーン)と呼ぶのだと火の鳥は教えてくれるのです。マサトが住む地球もコスモゾーンの一部として、よみがえらなければならない。そしてそれを見届けるのはマサトだと。
極小・極大の世界って、なんだか考えると頭が痛くなるというか、考えても考えても「分かりきれない」ものだと思っていましたが、このシーンを読んで、なんとなくストンと落ちたことを覚えています。そうか、そんなふうに考えればいいのか、と。
人類の再生を見届けるために「死なない体」にされてしまったマサトのその後が後半3分の1でたどられていきます。地球上でたった一人生き残ったマサト。何年くらい生きたと思いますか。100年? 200年? いえいえそんな単位ではありません。それでも最初の500年間は元・タマミだったムーピーとのゲームを楽しむこともできました。しかしムーピーの寿命は500年。ムーピーが死んでしまうと、彼は完全にひとりぼっちになってしましいます。ある時彼は別の建物の中で「5000年後にあけるように」と記されたカプセルを見つけ、まずそれを待つことにします。5000年間。永い眠りから覚めた「人間」と5000年ぶりに会えることだけを楽しみにして。ところがその中にあったのは…。
マサトはドームに残された科学装置を使って、人工的に生物を作ろうとしますが、人間はおろか、完全な生物を作り出すことはできませんでした。ロボットもしかり。彼には、遠い昔、地球上に自然発生的に「生物」が生まれたように、それをじっと待つしかありませんでした。彼の肉体はとっくに朽ち果て、「意識」だけが生き残っていました。
こうして何億年という気の遠くなるような年月が過ぎていきます。海の中で有機物がコアセルベートを作り、それがふくらみ、分裂して原始生物が発生していきます。やがて植物と動物の区別が生まれ、陸に上がる生物も登場します。昆虫類、爬虫類、そして恐竜…。ところが、そのあとに出てくるはずの哺乳類が登場しません。地球の支配者となったのは、体に取りついて恐竜をも倒すことのできたナメクジだったのです! ナメクジの脳は異常な進化を遂げ、「文明」を持つに至ります。しかしその文明も長くは続かない。種どうしの争いでナメクジ文明は滅び去っていきます。最後の1匹となったナメクジの死はあまりにもみじめなものでした。そして、さらに長い年月を経て、いよいよマサトが待ちに待った哺乳類、そして霊長類から人類が姿を現す。高度な知恵を身につけた人間は、不老不死を求め、火の鳥の生き血を求めるようになる…。
というわけで、「2 未来編」のラストは、なんと「1 黎明編」のトップにつながっていくのです。『火の鳥』シリーズ全体そのものが、時間軸の両端から物語が進んでいって、最後は「現代」で締めくくられるというのが当初の構想だったわけですが、このように、時間軸の上を行ったり来たりするのも大きな特徴の一つです。
時間と空間。人間は極大に比べればあまりにも小さく、しかし、極小に比べればとてつもなく大きな存在なのですね。
「手塚治虫考察録」
「タケ坊のホームページ」(「火の鳥のコーナー」)
などには、編ごとの詳細なストーリーと解説が載っています。それから、
松岡正剛の千夜千冊 『火の鳥』(全13巻)手塚治虫
では、手塚治虫は「文豪」である、「漫画家」という形の文豪を日本人は正しく評価して発信するべきだ、といった面白い話が出てきますし、もちろん『火の鳥』という作品のテーマについても、極めて重層的な論考を読むことができます。
稚拙な「覚書」にすぎませんが、私は私なりの見方で『火の鳥』に向き合いたいと思っています。ということで、今日は私の大好きな作品「未来編」です。
<主な登場人物>
山之辺マサト
タマミ
<舞台>
西暦3404年の地球。メガロポリス・ヤマト。
「黎明編」の舞台だった古代日本から、一転して物語は4000年ほど先の未来へ飛びます。
急速に死に向かう地球にあって、人類が住めるのはもはや地下のみとなっていました。人類はそこに5つの「永遠の都」を築き、高度に発達した文明の中で、過去の感傷に浸りつつ無気力な生活を送っていました。その中の一つ、メガロポリス・ヤマトに住む二級宙士山之辺マサトは、ムーピーのタマミと暮らしていました。ムーピーとは、50年前にある星から連れてこられ、地球人のペットとしてかわいがられるようになった不定形生物です。彼らは人間が望むどんな形にも変身することができ、しかも脳細胞に働きかけて一種の夢を見せることができたのです。それはムーピーゲームと呼ばれ、政府では人間を無気力にさせる者としてこれを禁じていました。
政府。ヤマトの政治は、すべて「ハレルヤ」と呼ばれる電子頭脳の指示によって動いていました。「ハレルヤ」の命令は絶対でした。人々の生活は何もかも「ハレルヤ」の言葉によって決定されていました。
マサトの同期でありながら今や1級宙士として政治の要職にあるロックは、マサトを呼び出し、最後のムーピー、タマミを始末するよう告げます。タマミを殺すことができないマサトは、逃げ場を失い、禁断の地である地上に出るのです。それを追ってくるロック。彼らは、不毛の地と化した地上でドームの中で暮らす猿田博士と出会います…。
ドームに現れた火の鳥がマサトをいざない、超ミクロの世界から宇宙の果てまでを見せてくれるシーンがあります。まず素粒子の世界へ。素粒子という「太陽」の周りを回る「惑星」の中に入っていくと、そこには「生きもの」がいる。その体を形作る細胞の一つに飛び込むと、そこにまた小さな「太陽」があり、「惑星」がある。無限に極小の世界が続く。そして今度は一気に極大の世界へ。太陽系、銀河系、大宇宙…。そこにも極小の世界と同じ光景がありました。宇宙を形成するすべてのものは「生きもの」で、それを宇宙生命(コスモゾーン)と呼ぶのだと火の鳥は教えてくれるのです。マサトが住む地球もコスモゾーンの一部として、よみがえらなければならない。そしてそれを見届けるのはマサトだと。
極小・極大の世界って、なんだか考えると頭が痛くなるというか、考えても考えても「分かりきれない」ものだと思っていましたが、このシーンを読んで、なんとなくストンと落ちたことを覚えています。そうか、そんなふうに考えればいいのか、と。
人類の再生を見届けるために「死なない体」にされてしまったマサトのその後が後半3分の1でたどられていきます。地球上でたった一人生き残ったマサト。何年くらい生きたと思いますか。100年? 200年? いえいえそんな単位ではありません。それでも最初の500年間は元・タマミだったムーピーとのゲームを楽しむこともできました。しかしムーピーの寿命は500年。ムーピーが死んでしまうと、彼は完全にひとりぼっちになってしましいます。ある時彼は別の建物の中で「5000年後にあけるように」と記されたカプセルを見つけ、まずそれを待つことにします。5000年間。永い眠りから覚めた「人間」と5000年ぶりに会えることだけを楽しみにして。ところがその中にあったのは…。
マサトはドームに残された科学装置を使って、人工的に生物を作ろうとしますが、人間はおろか、完全な生物を作り出すことはできませんでした。ロボットもしかり。彼には、遠い昔、地球上に自然発生的に「生物」が生まれたように、それをじっと待つしかありませんでした。彼の肉体はとっくに朽ち果て、「意識」だけが生き残っていました。
こうして何億年という気の遠くなるような年月が過ぎていきます。海の中で有機物がコアセルベートを作り、それがふくらみ、分裂して原始生物が発生していきます。やがて植物と動物の区別が生まれ、陸に上がる生物も登場します。昆虫類、爬虫類、そして恐竜…。ところが、そのあとに出てくるはずの哺乳類が登場しません。地球の支配者となったのは、体に取りついて恐竜をも倒すことのできたナメクジだったのです! ナメクジの脳は異常な進化を遂げ、「文明」を持つに至ります。しかしその文明も長くは続かない。種どうしの争いでナメクジ文明は滅び去っていきます。最後の1匹となったナメクジの死はあまりにもみじめなものでした。そして、さらに長い年月を経て、いよいよマサトが待ちに待った哺乳類、そして霊長類から人類が姿を現す。高度な知恵を身につけた人間は、不老不死を求め、火の鳥の生き血を求めるようになる…。
というわけで、「2 未来編」のラストは、なんと「1 黎明編」のトップにつながっていくのです。『火の鳥』シリーズ全体そのものが、時間軸の両端から物語が進んでいって、最後は「現代」で締めくくられるというのが当初の構想だったわけですが、このように、時間軸の上を行ったり来たりするのも大きな特徴の一つです。
時間と空間。人間は極大に比べればあまりにも小さく、しかし、極小に比べればとてつもなく大きな存在なのですね。
私は子どもの頃やっぴさんと同級生だった者です。
ブログ一周年ということで、おめでとう!!
話題が豊富で、いつも好奇心をもって目をかがやかせていた小さなやっぴさんを思い出します!
私のほうはおやつをしっかり食べて無事に生きてます。(おもにエンゼルパイ、かな・・・)
手塚作品は小4の時「リボンの騎士」を読んで以来の
ファンです。(男の子と女の子をいったりきたりしなければならないサファイア王女の運命に、ジェンダーの壁に苦悩していた私はとっても感動したの!)
火の鳥も昔感動して読んだものです!やっぴさんの解説を読んで、あーそうだったそんなお話だった、もう一度読んでみたいと思いました。
ブログで紹介された数多の本も読んでみたいと思いつつ・・・私の思考の速度より日が過ぎるほうが断然速いワ!でも一生かかって読めばいいわネ!
ではまたね。お体大切に。
こんばんは。
あの頃はいつも「じ~ん」としてました。
滅多に食べられなかったエンゼルパイのおいしさに。ポツンと立っている電柱の灯りに輝く雪の白さに。
雨の日の図書室で読んだ本に。
それに比べたら今はどうでしょう! 頻度はずっと少ないけど、時々やってくる感動を大切にしたいですね。