ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

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昭和40年代前半の鉄道写真(44・近鉄)

2015-03-16 | 昭和40年代の鉄道(近鉄)

<近鉄>新ビスタカー

昭和34年12月、新ビスタカー10100系が営業運転を開始した。
名阪軌間統一後の目玉となる直通特急車として準備され、名古屋線標準軌化完成の翌月に早くもデビューしたのである。

大阪寄りからモ10100・サ10200・モ10300の3両2連接が1編成で、中間連接車が2階建で製造された。
4台の台車全てを電動にすることで、最高速度150km/h、33‰上り勾配を100Km/h以上で走行する能力を備えていた。
モ10100に2基のパンタグラフを設置。34、35年及び38年の3次に亘って18編成54両が量産されている。

編成には3パターンがあった。
A編成(01~05)は、大阪寄りが流線形で名古屋寄りは貫通式
B編成(06~10)は、大阪寄りが貫通式で名古屋寄りは流線形
C編成(11~18)は、両端が貫通式で、様々な組合せで運用された。( )内は改番後のもの。

旧ビスタカーから僅か1年で3両固定の設計に変更され、垢抜けたスタイルと特急表示板のデザインが目を引いた。
当時としては車内設備も正真正銘のデラックス車であり、登場後にいち早く乗車したい憧れの特急電車であった。
旧ビスタカーの特徴の4枚折戸は2枚折戸に変更されたが、近鉄特急伝統の公衆電話、シートラジオは受け継がれた。

写真は40年から43年にかけて撮影したもの。39年の新幹線開業後で名阪特急の乗客が激減した時期である。
したがって、当初基本であった6両編成での運行はまず見られず、3両編成の写真しかない。

流線形モ10100後部のA編成名古屋行特急

1968.2 桑名・近鉄長島

悲願の名阪直通運転といえども、36年3月の中川短絡線開通までは伊勢中川で停車して方向転換を余儀なくされた。
名実ともにノンストップ運転の開始は短絡線完成後である。当時は、名古屋・鶴橋間ノンストップを甲特急と称した。
甲特急の前面行先表示板は名阪であった。一方、主要駅停車の特急も設定され、乙特急と称していた。

流線形モ10100先頭のA編成上本町行名阪ノンストップ特急

1968.8 益生・伊勢朝日


1967.5 米野・黄金

流線形モ10300先頭のB編成の名古屋行伊勢特急


貫通式の前面は、客室からの展望のため車掌室側と中央窓が低く設置され、高運転台の窓と左右非対称の形状である。

上の写真の後部、貫通式モ10100

1967.3  松阪駅

先頭にエースカー3連増結のA編成名古屋行特急、後部から 

1967.3 伏屋・近鉄八田

42年12月に新装された名古屋駅新ホームにモ10300先頭のB編成到着

1968.2 名古屋駅

高床運転台、曲面ガラスの独特の流線形前頭部

1968.8 名古屋駅

増備最終の38年はC編成のみ2編成が製造された。1、2次車のA、B編成は各5編成で、C編成は8編成になった。

貫通式モ10100後部のC編成名古屋行名阪ノンストップ特急 右奥は関西線八田駅

1967.10 伏屋・近鉄八田

貫通式モ10100後部のC編成名古屋行特急

1965.6 桑名・近鉄長島

モ10300先頭のC編成名古屋行特急

1967.10 伏屋・近鉄八田

伊勢中川駅大阪方面ホームのモ10100先頭上本町行伊勢特急

1965.7 伊勢中川駅

伊勢中川駅は、名古屋線狭軌時代に大阪、伊勢の双方向にホーム上で相互乗換えする便宜が図られていた。

中央の名古屋線ホームのモ10300先頭名古屋行伊勢特急 かつての狭軌線のホーム

1965.7 伊勢中川駅


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