鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

新リーダーの自覚

2006年12月16日 | Weblog
新リーダーの自覚!鹿島・柳沢がファンサービスに全面協力 ドイツW杯に出場した鹿島FW柳沢敦(29)が15日、鹿嶋市内のクラブハウスで来季の契約交渉に臨み、現状維持の推定年俸4000万円で更改した。交渉ではチームのファンサービスへの全面協力を約束、新リーダーとしての自覚を示した。
 午後から晴れ渡ったカシマの空。契約更改を終えた柳沢は、来季への“青写真”を描いていた。
 「社会貢献とか地域に何らかの形で密着していきたい。プロ野球も選手会を中心になっていろいろとやっていますしね。サッカーもできるはず。イタリアに2年半いて、そういうことをやっていかなくちゃいけないと強く思いました」
 チームとは08年1月まで複数年契約を結んでおり、この日の交渉では金銭面の話はなし。03年夏から2年半プレーしたイタリアでは、小学校を訪問して生徒と給食をともにした。鹿島も様々なファンサービスを検討しており、自身の経験に基づいた協力を約束した。
 95年からチーム主将を務めてきたMF本田が、今季限りでの退団通告を受けた。今季は右足甲の骨折もあり、リーグ戦23試合4得点の柳沢には、復調とともにリーダーシップも求められる。
 「今年は新しいメンバーが多くて手探りの部分もあり、言葉が通じないイタリアとは違う難しさがありました。来年はじっくり腰を据えて、上の立場でやっていきたいですね」。“ヤナギの指針”をそのまま、チーム全体に浸透させる。

(佐久間賢治)

本山はダウンで柳沢が現状維持とはこれ如何に。
代表選出を評価されたということなのであろう。
フロントの代表偏重はここに始まったわけではない。
辺境の地であり、露出の低下は死活問題である。
しかし、それが全てではあるまい。
Jの存在意義は日本代表の強化という大義名分の元にある。
下部組織として代表を選出し続けることを課せられている。
確かに逆らう必要はないであろう。
だが、手法はもっとあるのでは無かろうか。
今のままでは誰も幸せにならぬ。
決別ではなく、独自の路線を見いだして欲しいのだ。
その一つの答えが「社会貢献とか地域に何らかの形で密着」いうのも良かろう。
地に根付いてこそのクラブである。
来季何かが変わることを望んでいる。

来季の誓志へ

2006年12月16日 | Weblog
鹿島がMF増田に五輪予選活躍厳命
 U-21(21歳以下)日本代表の鹿島MF増田が五輪予選での活躍をクラブに厳命された。16日の練習後に契約更改に臨んだ。
 今季は23試合に出場しレギュラー定着へ大きく飛躍を遂げた1年。だが来年は北京五輪予選も控えており、契約交渉の場ではクラブと代表の両立を求められた。「代表に入らないと意味がないし、予選は絶対に(主力として)出ないと」と気持ちを新たにしていた。

[2006年12月16日20時43分]

五輪代表の前にクラブであろう。
フロントの言い分に全く持って納得できぬ。
今季の増田誓志に関しては鹿島アントラーズよりも五輪代表での貢献度が高かった。
北朝鮮戦に於いてはキャプテンマークを捲くところまでに至っている。
これも本人の努力によるところが大きい。
そもそも8月の初招集からして梶山の代役であった。
そして試合一つ一つで結果を出してきたのは周知の事実である。
しかし、鹿島のボランチ起用は誓志の成長を促したが鹿島の成績に結びつかなかったことも紛れもない事実であろう。
来季は収穫期としてクラブへの貢献を第一に代表は二の次では無かろうか。
思い起こせば4年前、アテネ五輪を目指す代表候補に野沢・青木を差し出すも使い捨てさせられたことが記憶に残っている。
このような思いは不要である。
まずは鹿島。
心して励むのだ。

深井正樹岐路

2006年12月16日 | Weblog
鹿島・深井が移籍直訴
 鹿島FW深井正樹(26)が15日、他のJ1クラブへの移籍を直訴した。第1回契約更改交渉を行い、「FWで、先発で(出られるチームで)1シーズン通して勝負してみたい」と申し出た。深井は今季、23試合出場4得点。だが、出場時間は849分(1試合平均約37分)で、先発はわずか7試合。FWもしくは攻撃的MFのスーパーサブ的な役割を務めた。
 豊富な運動量が武器の深井にはJ1の数クラブからオファーが届いている。鈴木満取締役強化部長(49)は「必要な戦力」と話し、慰留に努める方向。第2回の契約更改交渉は来週以降の予定。今後の背番号11の動向から目が離せなくなってきた。
(2006年12月16日06時06分  スポーツ報知)

深井も来季は5年目26歳となる。
当然ながらレギュラーとして90分間ピッチに立つことを望むであろう。
今季はMF起用と併用でリーグ戦23試合に出場、4得点している。
データ的には柳沢敦と同様である。
物足りない数字といって良い。
もっと出場機会を得れば結果を残すと言いたい気持ちも理解できるが、20試合で7得点の田代の前では声も霞む。
デビュー年の深井といえば、初得点のホームガンバ戦ではなく、ナビスコ杯決勝戦レッヅ戦である。
開始早々に抜け出したエウレルの折り返しをゴールの真ん前で決められなかった…
この後すぐにエウレルはケガで交代し、大きなチャンスは巡ってこなかった。
これが彼の持つ運命なのではなかろうか。
プレイスタイルは味方を鼓舞し、守備にも貢献度の高い姿は我らの目に焼き付く。
秋田退団時には背番号3を要求した魂の男。
彼にはこのクラブで行うべき仕事がまだまだ残っていることは紛れもない事実である。
だが、本人にその意志が無ければ我らは要求出来ない。
シュートの精度さえ上がれば、日本有数のFWであることは真実。
そこを理解し決断すべきである。
小早川秀秋がどうなったか、福島正則の晩年は如何に、荒木村重は。
枚挙に暇がない。
ノーチャンスなわけではないのだ。
チャンスを活かす。
それだけを我らも深井正樹も望んでいるのである。

本田主将になるには

2006年12月15日 | Weblog
本田主将

― 小学生がサッカーが上手くなるためには、どんなことをすればいいですか?
サッカーで大事なのは蹴ることと止めることですよね。僕がサッカーを本格的に始めたのは小学校6年生からなんですよ。それまでは野球の方が楽しくて。サッカーは週に1、2度で、野球は毎日やっていたんです。それが、6年生になってから、突然父が「サッカーをやれ」と言い始めまして。両親とも身長が高くなかったので、野球よりサッカーって思ったのかもしれませんね。父に「お前、野球をやめてサッカーをやれ」と言われた時に、俺、本当にサッカーが出来るのかな、野球の方がやりたいのにな、って思っていたんですよ。サッカーの楽しさがわからなかったんです。それが、上手くなるにつれて楽しくなってきたんですね。まずはリフティングですよね。ボールをよく触ること。それと、サッカーで大事なのは蹴ることと止めること。それが出来ないとゲームでも出来ないので、リフティングと基礎練習を繰り返しやらされましたね。最初の頃はやらされている感があって、自分でもなかなか上達しないなって思っていたんですが、出来るようになってから楽しみを覚えましたね。楽しみを覚えると同時に上達も早くなりました。

― 経験上しておいてよかったことは。
あまり参考にならないと思いますけど(笑)、父がスパルタで、中学3年間が特にそうなんですけど、学校から帰ってきてからも練習だったんですね。父は当時ドーベルマンのブリーダーをやっていたんですが、犬と一緒に山の上の公園まで一緒に走って。片道3~4kmくらいなんですけど、そこまで行って弟と一緒に基礎練習をして。終わったら走って家まで帰るじゃないですか。そうすると、もう真っ暗だから車庫にネットを作って、徹底的にシュート練習ですね。そして夕飯食べた後には、筋トレですね。腕立て、腹筋、背筋、スクワット。もう、最初はイヤでイヤでしょうがなかったんですよ。俺、なにをしているんだろうなって。僕は4人兄弟で、兄貴が二人いて、二人はサッカーをやっていなかったんですけど、手伝ってくれていましたよ。4人の中で、僕の運動神経が良いと小さい頃から見ていたんでしょうね。寝る前には、4人兄弟で布団を敷いて寝ていたんですが、小さいバスケットボールとネットのセットを使って布団の上でジャンピングボレーとオーバーヘッドの練習です。毎日やっていましたので、おかげで感覚はつかめましたよね。父は素人だったんですけど、かなり勉強もしていたようですね。

― 小さい頃にもっとやっておけばよかったと思うことはありますか?
今の若い選手はリフティングのテクニックがすごいじゃないですか。僕もリフティングはやっていたんですけど、技のリフティングじゃなくて、とにかく落とさない、ボールに執着する、必死なリフティングだったんですよね。今思えば、技としてのリフティングやフェイントなどの技術の練習は一切していなかったので、それをやっておけば良かったかなって思います。

― キライな練習はありましたか?
忍耐力という意味で、長距離をよくやらされていたんですよ。「今日は長距離だけだ」という日もあって、20kmくらい走らされるんです。(20kmですか!?)たぶん。(笑)父は自転車で伴走とかじゃなく、車に乗ってくるんですよ。近くに海沿いのコースやダム沿いのコースとか、いろいろないいコースがあったんですよね。「折り返し地点にいるから、走って来い」って、自分は先に車で行っているんですよ。それが嫌だったかな。まあ、そのおかげで中学校時代の部活は楽でしたね。(帝京も余裕でしたか?)帝京は精神的にもっと鍛えられました。

― 自分のどんなプレーに注目してほしいですか?
僕の話はつまらないと思うんだけどなあ。大丈夫ですか? ボールの関係ないところでコースをなくしたりする、見えないプレーですよね。本当にわかりづらいプレーだと思いますが、チーム全体のバランスを見たり、コースを消すこと、読んでインターセプトをするということを見てもらいたいと思います。

― パスコースを消すために、ケアしなくてはならないポイントは?
そういう局面になる前に、自分の状況を確認しておくことです。急激な変化でサイドチェンジとかがない限り、予測して準備をしますよね。チームメイトのポジショニングだったり、相手のボールを持っている選手だけじゃなく、動きの中の選手の状態を把握して、「ここを消した方がいいな」「ここを狙ってくるんじゃないかな」という予測で僕は動いているんですね。あと、動きながらコーチングして、味方の選手を動かすことが普通はなかなか出来ないんですけど、僕はできる自信があるというか。周りをうまく使って、自分もその局面局面におけるベストのポジショニングをとっているつもりですけどね。

― 好きだった、お手本にしていた選手は?
ジーコとマラドーナでしたね。どちらかというと? ジーコにしておこうかなあ。(笑)

【取材・構成】 SHAPE 豊田 英夫

青木社長就任

2006年12月15日 | Weblog
三菱マテリアルテクノ社長に青木剛
 青木 剛氏(あおき・つよし)68年(昭43年)早大第一法卒、三菱金属鉱業(現・三菱マテリアル)入社。04年三菱マテリアル資源開発社長、06年11月三菱マテリアルテクノ特別顧問。東京都出身。61歳
(29日就任。大崎敬三社長は相談役に)

驚きの人事。
本家は「つよし」ではなく「たけし」である。
今季の青木は、前半は怪我に泣かされ後半はCBにコンバートされていた。
彼本来の姿を見せつけたのは第9節アウェイの京都パープルサンガ戦、それも前半だけだったように思える。
あのゴールは素晴らしかったし、その他の攻撃も連携も守備も良かった。
しかし、前半だけ。
今季はボランチとして定位置に居座るかと思っていたのだが、結局のところナビスコ杯決勝戦を最後にCBに追いやられている。
この世代最高の素材であったはずの青木剛にはもう一皮剥けて貰う必要がある。
CBとしての覚醒も良い。
最終節ジュビロ戦の取り消されたゴールは紛れもなくオンサイドであった。
あのポジショニングと反応を忘れてはならない。
自らキャプテンマークを撒く程度の行動を起こすのだ。
前へ前へ。
社長就任も一つの転機である。

ユダ屈従ならず

2006年12月14日 | Weblog
鹿島、浩二獲得は見送り
 鹿島が今オフのスイスリーグ1部バーゼルDF中田浩二(27)の獲得を見送ることが13日、分かった。6月のW杯期間中もドイツで中田サイドと会談するなど獲得へ準備を着手。だが今季はレギュラーとして活躍するなど、欧州リーグのシーズン途中で獲得することは現実的に難しい状況になっていた。クラブ関係者は「タイミングが合った時に話し合いましょうということ。将来的には戻ってきてほしい選手」と説明。早ければシーズン後に移籍市場が開く来夏の獲得を目指す。


体良く断られた。
これが事実であろう。
クラブ側はもとよりユダ側から戻る意志の無いことが伝えられ、それがこの報道に繋がったと思われる。
ボランチとCB、左SBとして出場可能であるユダは日本国籍を有しており外人枠に数えられない、補強としては申し分がなかった。
これも縁。
ここで無理を通すほど重要な人材ではない。
曹操麾下であれば、楊修程度である。
しかしながら、この移籍を踏まえてフェルナンドを解雇したとしたとあれば、とんだ失策である。
今季のボランチ不足はまことに持って深刻であった。
誓志のコンバートに始まり、本田主将のフル出場、羽田のボランチ出場などなど。
シーズン終盤に中後の成長が実り、安定を見せたものの、中断前の惨状には目も当てられ無かった。
2003年には、ユダ・フェルナンド・熊谷・本田主将・青木・大谷・クラウデシールと賤ヶ岳七本槍にも例えられるボランチ軍団を誇った過去も今は昔。
出場停止や怪我が重なると使い廻しに無理が出る。
それを痛感したシーズンであった。
ユダとの交渉決裂で、来季のボランチは青木・チューヤン・誓志・吉澤ということになる。
現在の布陣ではダイアモンド型の中盤を組むため、野沢も守備的なタスクを課せられている。
伊太利亜にて漫遊している小笠原満男も夏には帰伏しよう。
改めてメンバーを挙げてみると、悪くないところであろう。
フェルナンドに替えてチューヤンに期待するところである。
ここ数試合のパフォーマンスを維持、そして更なるレベルアップを計ればこれも杞憂となろう。
必要以上に選手を囲うことは害はあっても利は少ない。
出場叶わぬ余剰人員は、クラブにとっても選手にも不幸でしかないのである。
元JEFの酒井と京都の黒部の耳に言い聞かせたい。
まあ、彼等は我等と無縁の選手、どこで屍となろうが手を差し伸べる必要はない。
我等としては、どちらかといえばボランチよりもSBの控えが最重要課題である。
ナビスコ決勝戦も篤人一人の不在で落とした事は誰もが認める事実である。
左は大卒ルーキーの石神でまかなうことを前提としても、右に新井場を回すあるいは中後・青木に任せるのは些か疑問を覚える。
ましてや誓志は無かろう。
補強ポイントは見えておるのだ。
手を拱いている場合ではない。
右SBの控え。
そして献身的なFWなのである。
金の草鞋を履いてでも探し出さねばなるまい。
どこぞの庵で晴耕雨読している臥龍鳳雛を。

サムイデスネ そして サヨナラ

2006年12月13日 | Weblog
アレックス ミネイロ選手 帰国のお知らせ
アレックス ミネイロ選手は、移籍元クラブとの問題で下記日程でブラジルに帰国することになりましたのでお知らせ致します。
1. 帰国日 : 2006年12月14日(木)
2.アレックス ミネイロ選手コメント
「温かなサポーター、ホームタウンの皆さん、チームメイトに支えられて、アントラーズで2シーズンプレーできたことは幸せでした。自分がいる間に優勝できなかったことが残念ですが、私がいなくなった後も、チームは優勝目指して戦っていってくれると思います。ありがとうございました。」

寂しいとはこのことであろう。
まだシーズンは3試合残っている。
しかしアレックスミネイロは去った。
エウレル以来の当たりFW、笑顔も素晴らしいゴールハンター。
献身的な動きでチームへの貢献度は非常に高かった。
この場を借りて、ありがとうの言葉を贈りたい。

王者監督リレー

2006年12月12日 | Weblog
Paulo Autuori faz visita ao Inter
今季で鹿島を去るアウトゥオリ監督がクラブワールドカップに出場するため来日している南米王者Internacionalの宿営地を来訪とのこと。
去年この大会で優勝したアウトゥオリ監督の表敬訪問であると素直に解釈するところであるが、希望的観測ではInternacionalのアベル・ブラガ監督への引き継ぎと思いたいところ。
ブラジルは12月でシーズンオフとなるため、この時期に監督にオファーすることは容易い。
アウトゥオリ監督も年末にバタバタと契約に及んだことは記憶に新しい。
そして今季も南米王者を受け入れたい気持ちは正直に表に出して良いであろう。
ついでにと言ってはなんだが、カピトンのFWフェルナンドンも6月の契約切れを待って呼び寄せたいところである。
家康が秀忠にそして家光と引き継ぎ天下太平の世を造り出したように。

クラブワールドカップ クラブアメリカvs.全北

2006年12月11日 | Weblog
Cロペスがこんなところにいたとは、ブランコも。
カニバサミ失敗はご愛敬。
そして
「千載一隅のチャンス」
を連発する実況河村亮アナ。
そこから得点をしたクラブアメリカではあるが、一試合にこれほど「千載一隅のチャンス」あったとは。
今さらボキャブラリーを増やせとは言わないが、間違った使い方は改めるべきであろう。
日本語の乱れを公共の電波で流してはならぬ。
スタジオの武田と同い年だとしても。
ついでに上戸彩まで勝者を間違える始末。
トホホな放送であった。

天皇杯五回戦 名古屋グランパスエイト戦 コメント

2006年12月09日 | Weblog
【第86回天皇杯5回戦 鹿島 vs 名古屋】試合終了後の各選手コメント
●中後雅喜選手(鹿島):
「(プロ初ゴールを決めて)ありがとうございます。ゴールシーンは右CKからニアに入ろうと思っていたし、野沢さんがいいキックを蹴ってくれるんで、相手はゾーンディフェンスだし、触ろうと思った。ゴールを取りたいと思っていたけど、チームが勝てたことが一番よかった。守備については自分は真ん中でバランスを取ることを重視した。両サイドに野沢とファビオが前へ出ることが多いし、自分は守備を考えていた。鹿島のパス回しがまだうまくできていない部分があり、相手がリズムをつかんでいた。最後のところで止められてよかった。
ヨンセンのマークは気にかけていたけど、起点になっていた部分はある。もうちょっとハードに行きたかった。ヨンセンはキーマンだし、当ててから攻める形を相手はやってきた。でかい分、こっちは挟みに行くことが大事。チームとして心がけていた。ナビスコカップ以降、チームがまとまって波に乗っている。天皇杯にもいい形でつながっているし、流れをきらないようにしたい。いい雰囲気もある」
●青木剛選手(鹿島):
「後半最後にきちんと決めていれば試合は決まっていた。それでも慌てず、もう1点を狙っていこうとした。セットプレーから点が取れたのはよかった。チームとして最近すごくよくなっている。天皇杯で優勝することで成長を示したい。監督も最後だし、いい恩返しをしたいと思う」
Q:岩政とのセンターでの連携について?
「僕がいったんボランチに戻ってまた最終ラインに入るようになって2試合目だけど、いい形でできている。自分はヘッドが強くないし、岩政さんが競り合って自分はカバーに入るという役割がうまくいっている。徐々にいい関係になっているのではないかと思う」
●野沢拓也選手(鹿島):
「チャンスがいっぱいあったし、ゴール前まで行っている。攻撃はフィニッシュで終わることが大事。相手の守備が高い人が多いんで、2点目は中後がうまく走ってくれてニアを狙えた。1点目もいいところにこぼれてゴールが入ったと思う。自分自身はもっと中盤を支配してボールを回せたらよかった。ポゼッションの部分がいまいちだった。中盤を支配すれば鹿島は勝てる。それを今後の課題にしたい。後半になってから多少ボールを回せるようになったけど、前半は問題。決めるべきところで決めることも大事。決勝まであるし、そのへんを修正しないといけない」
●本田泰人選手(鹿島):
「天皇杯はまだ残っているし、まだシーズンも終わっていない。1つ1つやっていくだけ。ただ今日試合に出て、元旦までという気持ちがより強くなった。実際、残り時間が少なかったし、出て行く時は感情が高ぶった。秋田も名古屋の選手として試合に出ていた。昨日も電話で話していたけど、何かのめぐり合わせかなと思う。戦ってきた戦友と一緒のピッチに立てたのはよかった。
今はまだユニフォームを脱ぐことは考えづらい。他の環境で違うユニフォームを着るイメージも沸かない。気持ちの変化がいつ起きるかは分からないけど、明日にでも結論が出るかもしれない。とにかく今はチームメートと残り少ない充実したサッカー人生を送りたいと思う」


【第86回天皇杯5回戦 鹿島 vs 名古屋】パウロアウトゥオリ監督(鹿島)記者会見コメント [ J's GOAL ]
●パウロアウトゥオリ監督(鹿島):
……先制後にすぐ失点して、その後もしばらくは危険な時間帯が続いたが、その原因は?
「私はその分析とは正反対な意見を持っている。セットプレーにしても、ボールが動いた形にしても、チャンスが3~4回あって、それを取れるチャンスがあった試合。そこで効率性という話になる。我々が取れなかったことはあるかもしれないが、逆に危険な状態にもほとんど陥らなかった。効率性という意味で、もっと得点できていればもう少し楽な試合になったのではないか」
……前半の2点はどう機能して取れたのか?
「そこは先ほど言った効率性に絡む話だ。分析において相手がゾーンで守るのは分かっていた。それをどう狙っていくかを選手に話していた。それがうまく点に結びついた。1点目はファビオが相手の裏を突き、2点目は中後が前を狙った。約束事をよく実行してくれたと思う」
……最近、中後のパフォーマンスが目立っているが?
「その意見には賛同する。まさしく中後が攻守にわたって活躍している。長短のパスの精度、競争力において、私が求めているところに近づきつつある。このままやってくれれば来季はチームの中心になっていくだろう」
……あと残り3つだが?
「シーズン当初からタイトルを狙っていたので、継続して狙っていきたい。一時期チームが不調だったが、シーズンのこの時期になって技術、フィジカルを高いレベルに持ってこれたし、ケガ人がいないのもプラスになっている。また選手がどういう役割を持ってプレーするかという完成度が高い。課題はメンタルだ。ここぞというところの自分たちの役割の部分で課題がある。あと3つということで、自分としては選手を信じて送り出すしかない。今度こそ決勝での勝利を目指したい。そういう結果になればメンタルの強さの成長が見られるはず。そうなれば、来季の新しい監督にもっといいメンタルのチームを引き渡すことができる」


この試合で急上昇したかに見えるチューヤン株であるが、リーグ戦31節大宮戦で先発で起用されてからの活躍には目を見張るモノがあった。
実際ナビスコ後の好調は田代と言うよりもチューヤンの起用で攻守のバランスが整ったためと言えるであろう。
彼はDFラインの前にそびえ立つ壁と言うよりも、ポジショニングと連携で攻撃の芽を摘み、ロングパスのセンスが良く、そしてタイミングの良い上がりを見せる。
大宮戦のDF3人を引き寄せたドリブル、新潟戦の新井場の魔球を生んだロングパスと目立たぬところで光を放っていたのである。
そして本日、プロ入り初ゴールが決勝点。
何か運命を背負った男なのであろう。
岩政、青木、田代と82年組の最後の男として登場したチューヤンにかける思いは大きい。
加藤あい、深田恭子、大塚愛に続いた倖田來未のように。

後任監督リストアップ

2006年12月08日 | Weblog
■後任は
 アウトゥオリ監督が退任する鹿島は、すでに5人のブラジル人の後任監督候補をリストアップ。そのうちの2人と、来週中にも交渉を開始する予定だ。また、前日6日には外国人全4選手との契約を更新しないことを発表。ブラジルリーグ・サンパウロのMFダニーロ、DFファボンとの交渉が最終段階に達している。残る外国人1枠について、クラブ幹部は「新監督の意向もあるし、後任が決まるまでは空けておこうと思う」とした。

この時期に候補を絞るとは「仕事の遅きこと驢馬の如し」とでも謳われたいのであろうか。
10月にやんわりと断られた時点でリストアップは済んでいるモノと、最悪でも11月に決裂した時点では候補が挙がっているモノと思っていた。
何という甘さ。
仕事がわかっていない。
ここ数年の低迷はここにあると確信した。
そして、「MFダニーロ、DFファボンとの交渉が最終段階」詰めも甘い。
既に彼等はシーズンオフを満喫しているであろう。
クリスチャンなのである。
バカンスの最中である。
そこにビジネスは行えようはずもない。
こうも後手後手を打っている様を見せられると、苦言を呈したくもなってくるものだ。
おまえら役所仕事してる場合か?
明確なビジョン持ってるのか?
もしかして、ラグビーと野球の方が好きなのか?
豊臣秀吉が天下統一したのは、「中国大返し」で一気に戻り明智光秀を討ち、「美濃返し」で柴田勝家を討ち滅ぼしたからに他ならない。
スピード感が求められているのである。
今川義元のように「海道一の弓取り」と呼ばれ『天下に最も近い男』と称されながらも、鯛の刺身を食べてノンビリしていてはあっけなく討ち取られてしまうものである。
危機感を持って励んで欲しい。
いや、危機感をもっともっと持って励まねばならぬのだ。
誰に飯を食わせて貰っているのかを考えて。
決して、出向元の親会社や広告主ではないのだ。
プレイする選手の魅力とそこに集まる我等であることを。

戻れる場所があるなら、戻るべき

2006年12月08日 | Weblog
シェフチェンコが不満ポロリ
 チェルシーFWシェフチェンコがイタリア復帰の可能性を示唆した。5日に今季CL初ゴールを決めたばかりだが、モウリーニョ監督からの信頼を得られていないと感じている様子。7日付の英ミラー紙に「チームのプランに合わないのなら、イタリアに帰るのは構わない」と語った。シェフチェンコには昨季まで所属したACミラン復帰の噂が浮上している。
[ 2006年12月08日付 紙面記事 ]

ウクライナの英雄"シェバ"が不遇を託っている。
しかし、これは自業自得というモノ。
5月27日に移籍の噂が出、6月1日に鳴り物入りで入団した彼は、いきなり最初の公式戦であるFAコミュニティーシールドで同点弾を決め能力を見せつけた(チームは1-2で敗戦)かに思えた。
が、その後ディナモ・キエフやACミランで発揮した得点力は花開かず、チームにもフィットしていない。
彼の才能には疑いの余地は無い。
しかし、居場所が無いところに無理矢理嵌めても機能しないことが見て取れる。
そしてロンドンの寒さ。
世界の富豪が集まり、金融の中心地ではあるが、サッカークラブに冠しては疑問である。
やはり、リヴァプールとマンチェスターに格式で劣るとしか言いようがない。
チェルシーはお金で勝利は買えることを証明したが、伝統と格式は積み上げていくしかないのである。
そして、米国人の奥さんの存在。
憧れの都会は住めば都ではなかったということであろう。
食事、気候、人当たり、etc
遠く離れた日本から見てもミラノの方が魅力的である。
土佐の海岸を歩いてる最中に倒れてしまう前に夫婦で戻ることを強くお薦めする。

本山の決意はどの程度であるのか

2006年12月07日 | Weblog
鹿島・本山が今オフの欧州移籍志願「2部でも3部でもいい」
 鹿島のMF本山雅志(27)=写真=が6日、今オフの欧州移籍を目指していることを明かした。

 「国内の移籍はないけど、新しいところでやってみたい。2部でも3部でもいいです。来年になると、移籍金も変わってきますしね」。6月のドイツW杯前まで日本代表の常連だったが、その後は不調で今季はリーグ戦27試合2得点。前日5日には来季年俸の現状維持を提示された。自らの年齢も兼ね合わせ、国やリーグにこだわらず移籍先を模索する決意だ。
 すでに、昨オフに契約を結んだ代理人が情報収集を開始。鹿島と08年1月末までの複数年契約が残っているが、付帯条件には海外移籍の場合の移籍金の額が設定されている。鹿島側もオファーがあれば話し合いに応じる姿勢を示しており、来週にも予定される契約交渉で直訴する構えだ。
 「半年でも、1年でもむこうでやってみたい。悔いのないサッカー人生を送りたいですから。思いっきり走ってきたいですね」。今年8月にセリエA・メッシーナに移籍した同期生、MF小笠原の後を追う。

★本田との契約更新せず

 鹿島は6日、元日本代表MF本田泰人(37)=写真=と来季の契約を更新しないことを発表した。本田はJリーグ創設の93年から同一クラブでプレーを続けてきた唯一の現役選手で、95年途中からは主将も務めた。鹿島での現役続行を希望する本人と先月中旬から話し合ってきたが、クラブ幹部は「チームを変えていかなくちゃいけない。クラブとしてはコーチとか、セカンドキャリアを考える」と説明した。本田は現役引退か、他クラブ移籍の道を選ぶこととなる。また元日本代表DF名良橋晃(35)、FWアレックス・ミネイロ(31)、MFフェルナンド(28)、ファビオ・サントス(21)、ダ・シルバ(20)の退団も正式に発表された。

『鹿島での現役続行を希望する本人と先月中旬から話し合ってきた』
本田はいきなりではなかったようだ。
ならばそれでよい。
サンスポの報道ではいきなり交渉の場で言われたように取れる。
スポニチとどちらが正しいかどうかは別として、クラブとして外部にいる我等に正しい情報が伝わる努力をして欲しい。
これでは仕事を怠っていると判断せざるを無いのである。

本山の海外志向は4月25日に報道されている。
鹿島を勝利に導くという10番の重責から逃れようとしているのか。
悪意を持って記事を読めばそうとも取ってしまう。
が、彼も人の子。
隆行、敦、ユダ、満男、稲本とチームメイトや寮仲間が挑戦している姿に幻影を求めても致し方のないところ。
サッカー選手生命は短い。
彼の言うとおり1年なり半年なり外遊もさせてやるのもクラブの器量というものか。
であれば紅毛より南蛮が宜しかろう。
ローマで貴族に列せられやもしらぬ。
そう支倉常長の如く。
だがな、本山よ。
支倉常長は帰国後、蟄居させられ失意のうちに死んだのであるぞ。
覚悟を決めて挑めということである。
物見遊山の伊太利亜漫遊など言語道断である。
金銀財宝も土産話もお国の情勢が変われば何の価値も無いどころか、お家の危機になるのである。

本田主将コメント

2006年12月07日 | Weblog
本田 引退勧告も「決断できない」
 鹿島MF本田が引退勧告を保留し、DF名良橋、FWアレックス・ミネイロ、MFフェルナンドとともに退団が発表された。本田は「“潮時だろう”と言われたけど、それはオレが決めること。引退か他のチームでやるか決断できてない」と苦渋の表情だった。また今季限りで退任するアウトゥオリ監督はブラジル・クロゼイロの監督に就任することが濃厚だ。
[ 2006年12月07日付 紙面記事 ]

いきなり公式の場で決めつけるとは日本人のやり方に則っていない。
根回しして、結果に導くのが昔から慣れ親しんだ日本人の日本人たるところであろう。
最もそういう部分に精通すべきフロントがこの失態とは、先が思いやられる。
絵を描いたのであれば、落としどころに向けて綺麗に落とすことが彼等が行わなければならない重要な業務。
算盤を弾くことだけでは無いのである。
かつて伊達家の忠臣鈴木元信は算盤を弾き倹約を進言し続けた、しかし最後は伊達家の為に無理を承知の額を言い残し旅立つのである。
忠臣たる者の生き様をしかと目に焼き付けよ。
貴様らは上からモノを決める仕事をしているわけではないのだ。

さらば歴戦の勇士よ!外人部隊よ!!

2006年12月06日 | Weblog
鹿島アントラーズ契約期間満了選手について
鹿島アントラーズは、本田泰人、名良橋晃、アレックス ミネイロ、フェルナンドの4選手について、契約期間満了に伴い来期の契約を更新しないことを決定いたしました。また、ファビオ サントス、ダ・シルバの2選手はレンタル期間満了に伴い退団することになりましたのでお知らせ致します。

■契約期間満了に伴い来期の契約更新をしない選手
 本田 泰人 MF (1969年6月25日生 166cm/63kg)
   経   歴:帝京高校―本田技研―鹿島アントラーズ(1992年)
代 表 歴:日本代表(31試合、1得点)
J1リーグ戦通算出場実績: 328試合 4得点
 名良橋 晃 DF (1971年11月26日生 170cm/67kg)
   経   歴:千葉英和高校―フジタ(JFL)―ベルマーレ平塚―鹿島アントラーズ(1997年)
代 表 歴:日本代表(38試合、0得点)
J1リーグ戦通算出場実績: 310試合 23得点
 アレックス ミネイロ FW (1975年3月15日生 175cm/71kg)
   経   歴:アメリカ―クルゼイロ―ヴィトーリア―クルゼイロ―アトレチコ パラナエンセ―チグレ―アトレチコ ミネイロ―アトレチコ パラナエンセ―鹿島アントラーズ(2005年)
J1リーグ戦通算出場実績: 58試合 25得点
 フェルナンド MF (1978年6月18日生 181cm/76kg)
   経   歴:ヴィトーリア―鹿島アントラーズ(2003年)
J1リーグ戦通算出場実績: 102試合 19得点
■レンタル期間満了に伴う退団選手
 ファビオ サントス MF (1985年9月16日生 179cm/75kg)
   経   歴:サンパウロF.C―鹿島アントラーズ(2006年6月)
J1リーグ戦通算出場実績: 20試合 3得点
 ダ シルバ MF (1986年9月21日生 174cm/68kg)
   経   歴:サン・ジョゼS.C.―S.C.コリンチャンス・パウリスタ―C.Aソロカバ―C.Aジョゼエンセ ―ジャカレイA.C.―C.R.ヴァスコ・ダ・ガマ―サンパウロF.C―鹿島アントラーズ(2006年7月)
J1リーグ戦通算出場実績: 7試合 0得点

ジーコ時代からの功労者本田主将、ジョルジーニョに憧れ鹿島の門戸をたたいた名良橋、90年代の鹿島アントラーズを支えた英雄である。
その歴戦の勇士が鹿島アントラーズを去る日が来た。
永遠に選手でいる人間はいない。
右サイドの疾風は内田篤人に、中盤のマークはチューヤンに引き継いで貰いたい。
魂と伝統を継承していけば、鹿島アントラーズの歴史として永遠に残っていくのである。

外国人助っ人の一新もある意味仕方のないところ。
フェルナンドに助けられた試合は多数記憶しているし、アレックス・ミネイロと野沢のコンビネーションは秀逸であった。
しかし、怪我での離脱、FWとしての得点数はマイナスポイントであったことも事実であろう。
若手二人は日本サッカーへの順応が遅すぎた。
興梠や康平を育成していることとは別である。
彼等は良い経験になったと思うが、我等に与えたモノは少なかったと言わざるを得ない。
来季の助っ人は、噂されているMFとCBの二人となっている。
枠を一つ開けて、次期監督の意向または非常時に備えるのであろう。

2006年シーズンの終了は2007年シーズンそして更に続く未来への始まりである。