今回はSTAP現象について、少し解りやすく書いてみようと思います。
1)STAP現象とはいったい何なのか?
2)件のNature論文の最も重要な点は何だったのか?
3)なぜ私があの論文を撤回するべきと考えるのか?
この順番で論考します。1)2)が解って頂けると、どうして専門家達は論文を撤回するべきと考えるのか理解して頂けると思います。
1)STAP現象とはいったい何なのか?
挿し木について考えてみます。木から枝をとり、そこから個体を再生する作業です。これは立派な再生現象です。枝の細胞が一部変化し、根を作るのです。そして個体としての木が生育します。この現象はについてはあまり詳細な考察が見つからないのですが、挿し木で完全な個体ができるのは二つの可能性が考えられます。
(あ)枝の中にあった全能性幹細胞が活性化されて個体を再生した。
(い)枝の細胞の一部が脱分化し、再分化することで個体を再生した。
(あ)についての考察
プラナリア(ウズムシ)という生物がいます。再生現象の最も著名な生物であり、古くから研究されてきました。このプラナリアは可愛い目をもったナメクジのような生物ですが、小さな輪切りにしてもその断片ひとつひとつから完全な個体が再生してきます。現在分かっているのはプラナリアは身体中に全能性(全身のあらゆる臓器細胞への分化が可能)をもつ全能性幹細胞(totipotent stam cell)を持っているため、小さく切られてもそこから個体まで再生できる、ということです。
この能力は驚くべきものです。小さく切られたひとつひとつがそれぞれ個体になって、小さな個体がわーっとできるのです。アニメなどにありそうな不思議な現象ですが、プラナリアにとっては、それは現実であり、普通のことなのです。その時にできてきた個体たちはクローンです。つまり同一の遺伝情報をもつ個体達です。この現象は生物学者の心を魅了しています。おそらく全ての。
(い)についての考察
ところでクローン人参という言葉をご存知でしょうか?植物では体細胞の初期化が数種類の植物ホルモンの調節によってできます。これの最初の例が人参で行われたと記憶しています。植物は専門でないため、この記憶はかなりいい加減です。間違っている可能性がありますが、ここでの議論では、人参が最初かどうかは重要ではないので先に進みます。ともかく、人参に限らず植物では体細胞を初期化し、全能性幹細胞まで持って行くことが可能になっています。初期化された細胞はカルスと呼ばれる細胞塊で、そこから植物ホルモンを調節してやることで完全な個体を作らせることができています。染色体に異常がない限り、生殖細胞もできますので、種も形成させることができます。
さて、このような現象を目の当たりにしますと、次の質問は
「このような現象が動物でも起きないのか?」
だと思います。プラナリアの再生現象も最初は脱分化、による体細胞の初期化かと考えられていた時期もありましたが、現在では上述したように、全身に散在する休眠状態の万能性幹細胞が活性化し、再生現象を起こすということが分かってきたようです。
そして、長い時をへて、iPS細胞が作製されました。植物ほどではありませんが、ある種の遺伝子を強制発現させますと、体細胞は初期化することが証明され、発生生物学者を驚かせました。
そしてさらに、植物のように何らかの刺激、ホルモンのようなもので、初期化は起こらないのか?と考えるのは自然な流れでしょう。そしてSTAP現象が浮上してきました。
STAP現象とはほ乳類動物細胞における(い)の現象です。刺激によって誘発される、という前置きがありますがそれは実は何でもよろしい。ともかく最終分化した細胞が「遺伝子を入れて強制発現させるというのではなく、何らかの刺激によって」全能性幹細胞へと脱分化する(初期化する)という現象が動物細胞でも起きるのか?という設問にチャレンジした実験だと考えてよいと思います。
これまで(あ)に相当する、かなり未分化な細胞が成熟した個体の組織に存在する、ということはMuse細胞の発見などにより、証明されてきました。V氏も以前の論文ではこの可能性に大分チャレンジしたフシがあります。それが今回は(い)の初期化現象が動物細胞でも起こる、との仮説に挑んだわけです。
つまり、STAP現象とは最終分化したほ乳類動物の細胞がある刺激によって脱分化し初期化して、全能性幹細胞になる、ということです。
2)件のNature論文の最も重要な点は何だったのか?
上述しましたように、STAP現象のもっとも重要な点は「最終分化した細胞」が初期化して「全能性幹細胞」になる、という点です。Nature論文の最も大事な結果とは
(あ)でき上がったSTAP幹細胞がマウスの全身の臓器組織細胞に分化していること、
(い)でき上がったSTAP幹細胞、ならびにその細胞からできたマウスの細胞はもともとある最終分化した体細胞であるという証拠
の2点でした。(あ)が別の写真を間違って使ってしまったと主張されている臓器組織の写真。(い)の証拠は1レーンだけ切り貼りをしたとして騒がれているPCR産物を電気泳動した写真です。
3)なぜ私があの論文を撤回するべきと考えるのか?
以前の記事でも書きましたが、上述の2)の(い)の証拠が不十分なのです。さらに3月5日に理研から公開された「プロトコール」ではなんと2)の(い)を否定していたのです。
論文で用いた「最終分化した体細胞」とはT細胞でした。T細胞とはT細胞レセプター(TCR)を発現しています。TCRはゲノム遺伝子が組み変わりきちんと発現できるような組換えに成功したものだけが発現されます。つまり、TCRを発現している細胞のゲノムにはTCR遺伝子が組変わっている、という証拠が残っているのです。したがって、それをマーカーとして初期化した全能性幹細胞がT細胞からできたものかどうか調べることができるのです。初期化した全能性幹細胞とその細胞からできたマウスの細胞にはこのTCR遺伝子組み換えが残されていなければなりません。この遺伝子組み換えの際、ゲノム遺伝子のある部分は切り取られなくなってしまうため、初期化に伴って、元に戻るということはあり得ません。
私が以前、初期化に伴って組み換え前のゲノムになる可能性を書きましたが、これは組み替わったゲノムが元に戻るということではありません。TCR遺伝子にはαとβがありますが、βの遺伝子は一対(ふたつ)あるゲノム遺伝子の内、片方のみに起こるため、残ったもう片方の遺伝子が組み換えをおこした遺伝子と入れ替わり、両方のゲノム遺伝子が元のゲノム遺伝子になる可能性を書きました。この可能性は非常に低いがあり得ないことではありません。したがって、それでもまだ、STAP現象は起きていなかった、と結論することもできない、というのが現状です。
しかし、論文の中でははっきりと「TCR遺伝子の組み換えが起こっていることが確認されたので、このSTAP幹細胞はT細胞由来のものである」と主張しているのです。その実験結果が間違っていたと書いてあったのです。その時点であの論文は嘘の実験結果を示すことによって結論を導いていることとなったのです。したがって、嘘の結果をもって導かれた結論は否定されることになり、論文はまったく根拠を欠く主張をしているものになったのです。
ですから、あのNature論文は撤回されるべきであり、著者が撤回しないならばNatureが却下(リジェクト)するべき論文だと考えます。
最後にSTAP現象は嘘なのか本当なのか?という問いかけをよく受けるのですが、現在のところ、それは証明されていない仮説です。興味のある方がとことん追求されるのは価値のないことではないと思います。