無知の知

ほたるぶくろの日記

花粉症の季節2(終わったけど)

2018-04-30 12:11:29 | 生命科学

追憶の日々を送っていましたら、いつの間にか花粉症の季節は終わって、もう初夏です。

陽の光は大変強い。私は早速調光サングラスを使い始めました。紫外線に当たると色が変わり、サングラス化するというものです。昨年作りました。

さて、花粉症は終わってしまいましたが、折角なので、続きを書きます。

 

※ 近所に咲く薔薇です。私より少し上の女性が丹精していらっしゃいます。いつも楽しませて頂いて、有り難く思っています。

私が花粉症を発症した時の状況を憶い出してみました。
いつかどこかに書きましたが、私は子どもの頃から、慢性鼻炎、蕁麻疹などアレルギー症状をいろいろ発症してきました。

世間で花粉症が騒がれるようになったのはもう私が20代でしたが、いつかはきっと来るんだろうな、とは思っていました。20代では湿疹が酷い時で、本当に往生しました。これも以前記事に書きましたが、本当に「骨が痒い」という感覚は恐ろしいものでした。

その後しばらく何もなかったのですが、東京都心部のあまり空気の良くない研究所に移り、東京近郊に住み始めて1年半ほどたった頃、始まりました。

私の場合、眼から来ました。ある日眼が充血していることを指摘され、とうとう花粉症の症状が出たことを知ったのでした。その後ひどい鼻づまりとくしゃみ鼻水で眠れない日々を送ることになりました。その当時も鼻炎スプレーはありましたが、過去の経験から信用せず、まずはクロモグリク酸配合の目薬を購入しました。その際の圧倒的な薬効にびっくり。

ひょっとしてこれは点鼻薬も行けるかも、と思い使い始めました。

夜、寝る前に鼻が詰まっている状態で、一吹き。するとすぐに鼻の粘膜が動き始めるのが分かりました。みるみるうちに鼻の奥が広がるのが感じられたのです。そして数分のうちに鼻で息ができるようになりました。
その利き方はすごいもので、本当に感動しました。もちろん、その夜は実に良く眠れました。

画期的なことでした。私にとって、鼻づまりで睡眠不足、はもう一生つき合って行かなければいけない身体の不調、と半ばあきらめていましたので。鼻がすっきり通っている、というのは素晴らしいことでした。

その後この薬がポピュラーになりました。多くの人々が使い始め、少しずつネガティブな情報も出始めました。例えば、使いすぎるとかえって鼻づまりが酷くなる。鼻出血をおこす。などです。それで耳鼻科の医者の中には、これらの薬を「百害あって一利無し」などという方たちもいるとか。

とんでもないでことす!

使い方についてちゃんとしたインストラクションをすることが重要。確かに使い過ぎますと、鼻血がでます。鼻づまりにもなりました。

しかし、それも一時的なもの。使い方を間違わなければ、きちんとした睡眠が取れるようになるのです。寝不足を解消する方が余程重要。
鼻づまりによる呼吸不全で息苦しいための寝不足で何が起こっているか?
血中の酸素濃度が下がるために心拍数は上がり、血圧も上がります。睡眠の質も悪くなり、脳のリセットが妨げられるのです。寝たのに、疲れが溜まっている。そんな状態を続ければ命取りです。

一部の耳鼻科医は不勉強なまま、適当なことを言わないで頂きたい。また医者の言うことだからと肩書きのみを信用して情報を鵜呑みにすることも避けたいです。科学知識は日々更新されています。自分の現在の知識は一時的なものであることを胸に刻み、機会があればまずは調べる。それが自分の、家族の命を守ります。

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想い出の中の紫陽花

2018-04-21 22:15:12 | 個人的日記

数日前、ある方の訃報に接しました。80年代後半、その方の絶頂期だったでしょうか。その当時、大変高名な研究者でした。活動的で、流行の研究の最先端を走っていた方です。研究には流行があります。新しい技術が開発されたり、パラダイムシフトがあったりしますと、政策的にも研究資金が投下されるので、一時的にその分野が興隆する、といったほどのことです。研究も資金次第なので。

その後、2000年頃にはその方も退官され、ベンチャー会社などの経営をされていたと思います。この10年ほど、お名前を聞かないな、と思っていましたが、まだ70歳前後ですし、どこかでご活躍のはず、と思っていました。

よくあることですが、その訃報に接する数日前、そういえばどうされているんだろう、と思いめぐらせたばかりでした。ここ数年はご病気がちで入院されていた由。全く存じ上げませんでした。心からのご冥福をお祈り致します。

このようなことがありますと、思いはついつい80〜90年代のことに向いてしまいます。またまた花粉症の話しは先延ばし。といいますのも、こうして30年前のことなど思いながら、街を歩いていますと、今、様々な紫陽花がお店に並んでいるのが目につきまして。最近紫陽花の色、形のバリエーションがすごいことになっています。そんな中で目についたお気に入りの花が上の写真。立ち上がった細長い花弁で、八重咲きなのに軽やかな花です。

30年前、私は郊外の某市に住んでおりました。近くに団地がありまして、その敷地の境界に紫陽花が植えてありました。その紫陽花が一重なのですが、なんとも品のある紫陽花だったのです。色は青みがかった紫で、ごく普通なのですが、花びら(実はガク)の形がなんとも美しいのでした。優雅な丸みを帯びた菱形で、中央の両性花の雄しべ雌しべがまたアクセントとなっているのでした。

私はその花がとても好きでして、結構忙しい時期だったのですが、雨にぬれるその紫陽花をしばし眺めていたことがあります。今だったら写メして楽しんでいただろうに、、、本当に残念。梅雨時になりますと、また行って、一枝頂けないか交渉してこようか、と毎年思うほどです。

今の時期はあれこれの花が咲きそろってきれいですが、梅雨時になりますと、少し数が減ります。そんなときに雨にぬれつつ色鮮やかに咲く紫陽花はとても印象深いものです。最近のバリエーションの豊富さには圧倒されますが、ちょっと人工的過ぎて興ざめなところもあります。

原種の控えめな山紫陽花などがかえって魅力的に見えたりしてしまいます。あまのじゃくをお許しください。

 

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想い出の中の名店

2018-04-15 15:45:56 | 個人的日記

花粉症の続きをと思いつつ、今日もまた想い出の名店について書いてしまいます。
このところ遠い想い出の中のいろいろが気になって仕方なかったりするのです。春は何となく人を乱調に陥れます。私のこの気分もそんな春の気候のなせる技かもしれません。

前回は私が行きたいな、と数十年思っていて、とうとう行きそびれた名店。
今回は過去に何度か行っていて、その味の素晴らしさが忘れられない。でも今はもう無く、情報も見つからない名店の話し。

※ あまり手入れをされていない、鉄道会社所有の敷地に咲く鮮やなツツジ。


東 京、中村橋に『笹目寿し』というお寿司屋さんがありました。表向きはお寿司屋さんなのですが、実は素晴らしい割烹料理を出されていました。もう今から半世紀前のことです。両親の知り合 いに、独身の実業家女性がおりまして、その方、お一人で美味しいものを食べに行っても美味しくないから、とおっしゃって、我々家族をあちこち食事に誘ってくださいました。

その中の一店が『笹目寿し』でした。
私はまだほんの子ども。小学校の中学年から高学年の頃だっ たでしょう。先の実業家女性は大将と懇意だったようで、我々そこではメニューをみてあれこれ決めた覚えがありません。おそらく大将のお任せで旬の魚を使った一通りのお料理を頂いたのだと思います。お刺身から始まって、焼き物、吸い物、煮物と魚料理が続くのですが、飽きることはなく、その味のバラエティには子どもながら感動しました。

そこで私は衝撃的な味に出会いました。どのお料理も素晴らしかったのですが、特にお吸い物の味が素晴らしく、その味は頭の奥にしみ込んで、一生忘れられない味となりました。

昆布が ベースなのだとわかるのですが、昆布臭さは一切なく、お出汁も、使われるどの素材の香りも立つことがない、渾然一体となった旨味の汁。本当に美味しく、衝撃的 でした。いや、子どもですから、本当はそのとき衝撃を受けたのではないのです。ああ、美味しいな〜と深く感動したのでした。それが衝撃的なものだったと分かるのはもっとずっと後のことです。

大人になって、美味しいと言われる様々な和食のお店にうかがってはお吸い物を頂き、その度に「美味しいな。でも、あの味とは違う。」といつも少しがっかりする。そんな経験を重ねて、いかにあの記憶の中の味が「奇跡の味」であるのかを後になって理解した、ということです。

そんなある日、もうかれこれ10年くらい前でしょうか。京都、四条の『日本料理 桜田』さんへうかがう機会を頂きました。この『桜田』さんは非常に高い評価を得ていた京都の日本料理店です。

そ こでお吸い物を頂いた瞬間!「ああ、この味!」 長い間探していた幻の味がそこにありました。その頃には、一口に昆布だしとはいえ、昆布にもいろいろあること(昆 布の産地や種類のことだけではなく)を知っていましたし、その味はおそらく「蔵出し」昆布のお味なんだろう、くらいの想像はできるようになっていました。 しかし、そう単純なものではないでしょう。昆布を含めその他の全ての材料のバランスがある地点に着地している。その着地点が絶妙なのです。

そしてこのような素晴らしい名店で初めてあの懐かしい味に出会えた。つまりあの『笹目寿し』のお料理はそんなにもすごいお料理だったのだ、とそのときに改めて衝撃を受けたのでした。私は本当に希有な幸運を得ていたのだと、感じ入りました。

もちろん、今回もまずは父の記憶を頼りに『笹目寿し』さんを探しましたが、既にお店は閉められているようで、それらしい店は見つかりませんでした。それでもあれだけのお料理を出していた『笹目寿し』です。きっと人々の記憶 に残っていて、珈琲店「もか」のようにどなたかがブログやコラムなどに書かれているかもしれない、と随分ネット上の情報を探索しましたが、とうとう見つけられませんでした。

なんとも残念なことです。もっとも私がお料理を頂いた のは半世紀も前のこと。あの頃大将は父より上の年代の方で、お客様はそれ以上の年代の方です。ネットに書かれる年代よりはもう少し上の方達かもしれません。雑誌のコラムなどを探す方が見つかる確率は高かったかもしれません。そのうち心当たりをしらべてみることにいたします。

また、今回『日本料理 桜田』さんのことを調べるうちに、なんとこの『桜田』さんも2015年に惜しまれつつ閉店されていたことを知りました。またまた、あのお吸い物の味が幻の味となってしまったわけです。お弟子さんが店を持たれているようですから、今度はそちらを訪ねてみましょう。もしかすると、あの味に出会えるかもしれません。楽しみにしています。

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どうして行かなかったのか?

2018-04-08 11:54:09 | 個人的日記

本当は花粉症の続きを書く予定だったのですが、なんとなく憶い出したことがあって、そちらを書くことにしました。

先週末くらいから、吉祥寺にかつてあった、自家焙煎で有名な珈琲店のことが何故か急に気になったのです。

こちらの珈琲店の店主さんは少しご縁があって、お名前は存じ上げておりました。珈琲が好きであること、また吉祥寺が好きで、若い頃はよく街を歩いたことなどもあり、ずっと訊ねてみたい珈琲店として心の中にありました。

ところが毎日の忙しさに取り紛れて、ついぞ訪問する機会もないまま、今に至ってしまいました。今こそ、訪ねてみたい! と思い立ち、調べてみました。

すると、なんと、、、ご店主は既に2007年に他界されており、すでに珈琲店も無くなっていることがわかりました。気づくのが遅すぎました。

私も長いこと忘れておりましたので、ご店主のお名前も、店の名前も忘れており、吉祥寺の井の頭公園近くにある、自家焙煎で有名な珈琲屋さん、ということしか分からなかったのです。でも流石にその世界では大変に高名な方で、すぐにネット上に様々な資料が見つかりました。

珈琲店の名は「もか」、店主は標交紀(しめぎゆきとし)さん。

1962年に開店、自家焙煎のコーヒー豆販売と喫茶室を営んでおられました。その焙煎技術やネルドリップで淹れる珈琲の美味しさは高く評価されていました。また世界を旅されて、珈琲にまつわる様々な喫茶用具の収集など文化的側面についての研究もされたようで、収集物は「中近東文化センター」に収められているそう。

1999年には喫茶室を閉じ、しばらく自家焙煎豆の販売のみの営業を8年ほどされた後、2007年に逝去されたようです。その後店は閉められ、今は「チャイ」の専門店となっているようです。

「もか」で使われていた棚やポットなどは、お弟子さん筋の方や豆の取引先の方などの店で現在も使われているようです。皆さん、深い想いがあって、棚やポットなど現在も身近に置かれているようです。

残念な結果となりましたが、今回標さんが素晴らしい功績を残された方だったことを改めて確認できました。それはうれしい再発見でした。しかし、だからこそ、何故一度たりとも訪問しないままであったのか、悔やまれます。

井の頭公園の池も2回のカイボリで大分きれいになったようですし、今度行ってみようかな、と思っています。葉桜の若緑を楽しみにして。

※写真は自宅近くの斑入り椿。

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花粉症の季節1

2018-04-01 18:46:53 | 日記

今年の花粉は多い、と聞いていましたので、早くから警戒していました。確かに、多いようです。

花粉の飛翔を私は「味」として感じるのですが、今年は2月の後半だったと思います。ある日突然口の中に苦みを感じるのです。何か苦いものを食べたときのように。それが花粉症開始の合図です。

この現象が何なのか、いろいろ調べてみますが、よくわかりません。私の解釈では、花粉に反応して何らかの物質が唾液中に出ており、その何らかの物質が「苦く」感じる、というものです。もちろん、花粉そのものを苦い、と感じている可能性もあります。

ともかくこれが私にとっての闘い開始シグナル。まだ真冬のように寒い2月だったのですが、もう来たか、と観念しました。

今年の症状は重いです。ただ、覚悟していろいろ準備していましたので、なんとか凌いでいます。

そして改めて現在使用している薬の威力に感謝しています。私が愛用しているのはクロモグリク酸ナトリウムを主成分とする点鼻薬と目薬。ただし、使用法にはいろいろと注意をしています。

1) 点鼻薬は夜寝る前、両側の鼻が詰まっている場合のみに用いる。

2) 昼間はもっぱら目薬を使用する。夜は使用しない。

3) 点鼻薬も目薬も症状のある時のみ用いる。

点鼻薬の噴霧ではある程度の量が入ります。両側の鼻が詰まっていて、夜中に息苦しくて起きるな、と予想される場合には、夜中に起きて点鼻しないで済むように、寝る前に点鼻します。夜中に点鼻しますと、翌朝頭痛がし、ぼうっとした状態になるためです。これはかなり不快な状況で、すっきりするまでに随分時間がかかります。悪くすると昼くらいまでかかります。そこで、最近は点鼻薬は余程症状が重い場合に、就寝前のみ使用しています。

使用説明書には1日6回などと書いてありますが、私は日に何度も使用しますと頭痛がします。そのため、夜寝る前の1回のみと決めています。点鼻薬は使いすぎるとかえって鼻づまりがひどくなる、との情報があります。私も経験しています。また、突然鼻血が出ることもあります。

日中は目薬で十分です。目と鼻は鼻涙管でつながっていますので、目薬を使いますと鼻の方も症状が抑えられます。点鼻薬を使う必要がありません。

また予防的にはあまり使用しません。症状が出てきた場合に使用しますがそれでも十分改善しますので、不必要な投薬を避けています。

 

私の鼻づまり、鼻炎は最近の花粉症に始まったわけではありません。子どもの時から何度も鼻炎を指摘され、耳鼻科にしばらく通ったこともありますが、結局治りませんでした。鼻づまりはいつものことで、ティッシュが手放せない私でした。

ずっと続いた鼻炎とある程度縁が切れたのは20代半ば頃だったでしょうか。その頃酷い湿疹を患いました。いつかこの辺りのことは書いたと思います。そしてしばらく順調だったのですが、ある日花粉症を発症しました。子どもが生まれてからしばらくして、のことです。

(つづく)