無知の知

ほたるぶくろの日記

溶けてしまったこと

2010-03-31 23:50:32 | 日記

今日は年度末です。先週あたりから様々の動きがあり、刺激的な日々となっております。心地よい刺激、嫌な刺激のマーブル模様ですから喜怒哀楽のゆたか~な日々であり、生きていることが実感できます。

そんな中、少しびっくりしたことがあります。一昨日、常日頃からよい修行をさせていただいている方から、大変結構な皮肉を頂戴いたしました。当然ムカッとしたわけですが、その場はなんとかやり過ごしました。しかしその後ずっとすっきりせず、一晩ムカムカを味わいました。最近は、こんなことがあってもたま~にふと思い出してはムカッとするを繰り返すくらいで、その感情に凝ってしまうということはなくなって適当に忘れているのが常でした。しかし今回ばかりは頻繁に思い出してはムカッとしていました。

そしてとうとう昨日、ちょっとガス抜きをしてしまいました。まあ陰で少々話題にさせて頂いたのでした。(スミマセン)その後すっきりしたようなしないような感じを持ったまま帰宅して普通に過ごし、いつものように眠りについたのでした。

ところが夜中の4時半頃にふと目が覚めました。別に化け物は出なかったのですが、その方のことが気になったのでした。こういう時は何かがきてるんだろうなぁ。

とうとう起きだしお湯をすすりながらPCを眺め、そうしながらも頭の片隅ではひたすら「陰でゴソゴソごめんくださいね~」と「いつも大変お世話になっております、ありがとうございます」などと思っていました。そうしてぼんやりと小一時間を過ごすうち、その方のあまりに子供じみた心の動きが情けなくもかわいく思えてきたのでした。なんといいますか、母親のような(げぼげぼっ)気持ちといいましょうか。そしてなんだか眠くなり朝までもうひと寝することができたのでした。

今朝起きますと、ふと「もう十分謝罪したなぁ、大丈夫」というような気持ちがわきまして、不思議なくらいその方のことが気にならなくなっておりました。文字通り、あのムカムカモヤモヤの感情が溶けてしまっていたのです。あれ?と思ったことです。その方のことを考えようとしましてもなんとなく頭がまっ白で何の感情もわき上がってこなかったのでした。そんなこんなで今朝はいつも通りにすっきりした気分で仕事に出かけたのでした。職場でもその方のことは少しも気にならず、あれこれの仕事をかなりの集中度で片付けることができました。

今その方を思い浮かべてみましても何の感情もわき上がってきません。なんだかすっかりとあれこれのわだかまりが溶けてしまったように思います。かれこれ約10年、その方との確執は続いているのです。これまでこんなにすっきりとしたことはありません。ありがたいことです。なんだかあっけなく片付いてしまったようで笑い出したいような気分です。そうですねニコニコしていることにいたしましょう。


最近の目標

2010-03-30 22:33:43 | 日記

先日職場で「鈍感力」が昼食時の話題にのぼり、それ以来気になっています。同題名を掲げたW氏の最近の著作を読まれた方がいて、夫婦がうまくやっていくには結局鈍感力が重要であるらしい、ということなどを話されていたのでした。その他に、評論家のいうことなどに傷ついて書けなくなってしまう才能のある小説家の方々のことなども取り上げられているということでした。ここでも鈍感力は重要で、何を言われようと馬耳東風で自分のスタイルを貫き通すことができるかどうかが生き残る鍵である、と主張されていたようです。確かに現代では高く評価され、大変な高額で取引されている絵なども当初は猛烈な批判を受け、酷評されていたりしています。音楽もしかり。

私自身はその本を読んでおりませんが、その方の話しを聞きながら、ふと「オリジナル」を保持することが思い浮かんだのでした。とはいっても何故かストレートにつながるとは思えない、何か引っかかるものを感じたのでした。一見もっともらしい話しの筋ではあるのですが、どうも「鈍感力」がオリジナルを養うことにはならないのではないかと思うのです。

鈍感である、ということは「自分を傷つけない」ことに近いように思われます。しかし、そこにはどこか投げやりな誤摩化しを感じるのです。とりあえず見なかった、聞かなかったことにする、というような。それはあまりにも小手先の処世術で、結局いつかは破綻するようにおもうのです。

逆に酷評したり足を引っ張ったりする方々のことを深く理解し、思い遣る繊細さ=細やかな気遣いが「自分を傷つけない」強さにつながるように思うのです。それは結果的には「鈍感力」のように見えるかもしれません。そうやって様々な刺激を受け流し、飄々と我が道を行き、オリジナルを養っていくことができるのではないでしょうか。もちろんそんなこと今のわたしには到底できないことなのですが、生きる目標です。究極は「抱き参らせる」ですね。

こうありたいものだなぁ、というアイディアがあることはなかなか素敵なことです。


最近の気持ち

2010-03-25 23:07:00 | 日記

今日の東京は寒かったです。真冬に戻りました。咲き始めた桜が風にふるえておりました。
日本の超古代から伝わる神まつりはあえていいますと宗教ではないのだとおもいます。これは礼儀なのだと思います。こう書いてきますと、孔子の気持ちがわかるような気がしてきました。人の道、というのは何であるのか。こうしてこの世に生かされていること、多くの方々のお陰を頂いていることについて、深く感謝し、ひたすらに目の前に現れてくる私の(あなたの)やるべきことをこなしていくことでしょう。それがどんなにつまらない、取るにたらないとおもわれることでもそれが目の前に現れているということは、私がすべきことなのだと思います。
どんな因であるのか、果であるのかもはや知ろうとも思いません。この生きている、動ける身体と頭を存分に使い、明日もまた元気に過ごしたいと思います。


ちょっとした思考の散策

2010-03-22 22:38:39 | 日記

東京の桜もとうとう咲き始めました。本格的な春になったようです。先週くらいまではあれこれ怒濤のように用事があったのですが、なんとか今週末は静かです。久しぶりに自宅でゆっくりできていることに感謝しています。インフルエンザは沈静化したようですが咳の出る風邪が流行っているようなので身体を休めておかないとやられてしまいます。桜が咲き始めたとはいえ、まだ寒暖の差も激しいようですし。

最近古代史に思いがとぶので興味に任せてあれこれ検索していました。ネット上にはいろいろの言説があり、中にはかなりのトンデモなものもあります。ただ感想として書いておきたいのは、現代の私たちには表層的には直接の関わりが見えませんが、無視していい問題ではなさそうだということです。頭の片隅においておこうとおもいます。

少し重い話題になるのですが、今回旧約聖書の断片を読んでいるうちに、「イサクの燔祭」につきあたりました。これまでにも何度か読んだことのある物語でしたし、あらすじは知っていたものです。しかし、今回読みながらこれまでと全く異なった印象を受けました。これまでの私の理解はキリスト教的なもので「神に命令されれば自分の最愛の子を殺すことさえいとわない」敬虔な(狂信的な)信徒の模範的行動を描いた物語、というものでした。ところが今回これを読みながらこのイサクの「神への信仰」というものがいわゆる「独裁的人格神への絶対的服従」とは異なるようだと思ったのでした。

燔祭=神への生け贄というのは多分に比喩的なものであり、実はもっとひろい不運に会うということを示しているのだと思えたのです。最愛の息子を燔祭に捧げなくてはならない、というのはその究極の状況なのではないでしょうか。人は生きる上で不運に会います。そしてそれは避けることができない。避けずに受け入れるしかないのです。それは必要があってやって来た不幸なのですから。これは生半可なことではありません。それの究極は、例えば自分の最愛の子供を差し出すことなのです。それさえも人はこの世でおこることとして受け入れていかねばならない。そしてその不幸を受け入れ、それでも誰を恨むことなく自己の良心に従い生きることができるならば、その方の人生は本当に恩寵に満ちたものになるのでしょう。旧約聖書における「イサクの燔祭」では、まさに息子を殺そうとするその瞬間天からのお使いが現れその行為を止め、代わりの羊が与えられたのでした。

私は自分自身のこの変化に驚いています。こんなにも旧約聖書に深いものを感じたのは初めてです。だからといって旧約聖書を読み返そうなどとはさらさら思っていないのですが(笑)そんな時間がありましたら、もう少しお家の片付けものをします。たまに今回のように静かな時を持つことがあったらちらっと見るのも悪くないかもしれないですが。


太一か大一か

2010-03-20 23:19:05 | 日記

この辺りではだいぶん桜のつぼみが膨らんできました。うっすらと色が見えているものもあります。確実に暖かくなってきて春が進んでいるのを感じます。例年この時期は身体の代謝の調整がはじまるせいか心理的にも落ち着かなくなるのですが、今年はかなりたんたんとしています。職場や家族、親類縁者には様々の動きがあって何かと忙しくもあるのですが、大事にはならずに済んでいます。
また、陰で助けて頂いている方々のことへ思いが及ぶようになったのも大きな変化でしょうか。沢山のかたの御蔭をいただいていることに気がつきますと、自分ができることをそっとやることもごく当たり前のことと思えるようになりました。そうして身の回りがすこしずつ穏やかで動きやすい環境になっているようです。
話しは変わりますが、先日、伊勢神宮の神職にあった方の書かれたもの(*)を読んでいて驚いたことがあります。式年遷宮に従事されるのは約10年間で述べ24万4千5百人。その中で神宮式年造営庁造営課に所属する方の作業服は常に白装束で、白い帽子やヘルメットの正面には「太一」という徽章がついているそうです。ご存知の通り「太一」は古代中国における哲学的概念であり、北極星、天帝をさします。そしておそらくはその思想が道教とともに日本に入り、天照太御神のことを指し示す言葉となったと考えられています。このことから、「太一」とは外来思想だという考え方があり、明治五年以降前回の平成五年の式年遷宮までは「大一」とされていたそうです。それが今回、平成17年からの造営では古くからの由緒を大事にし、「太一」に戻されたということでした。(*矢野憲一『伊勢神宮の衣食住』角川ソフィア文庫、平成20年)