無知の知

ほたるぶくろの日記

菌で菌を制すること

2017-04-29 16:26:24 | 生命科学

先日ボツリヌス菌の話しの中で、乳児の腸内細菌叢のことに触れました。腸内細菌叢と書きましたが、実は下部消化管には細菌以外に酵母を含む種々のカビ(真菌類)、ファージを含むウイルスもいて、それら全てで一定の生態系を成立させています。腸内微生物叢の方が正しい用語でしょう。

そこでは人間が生産できる酵素では消化できない物質の消化、ビタミンの生産なども行われる一方、微生物叢の構成によっては毒物も産生されることになります。

俗にいう善玉菌、悪玉菌のバランスが良い状態を保つことは健康にとって重要です。

乳児の腸内微生物叢は不完全ですし、腸管の粘膜も薄い。おまけに免疫系細胞もまだ未熟。成人の腸内細菌叢の中にボツリヌス菌の芽胞が入ってきて発芽しても、ボツリヌス菌は増えることができません。他の微生物が圧倒的に多く、彼らの増殖を許さないのです。腸内微生物叢が未熟であると、ボツリヌス菌は容易に増えることができます。

腸管ではまさに菌が菌を制する、ということが起こっています。

皮膚などでもそうです。健康な常在菌叢が成立していれば、変な菌がついても増殖できないため、シャワーなり、お風呂なりで洗い流すことで皮膚は清潔(微生物がいないことを意味しません)を保つことができます。

最近家庭用の消毒用アルコールが売られていたりしますが、あまり多用するのはどうかな、と思うのは正常の微生物叢が破壊される可能性を危惧するからです。人間、とくにアジアに生活する人々にとって微生物は闇雲に排除するべきものではないでしょう。

古代より、共存する知恵が蓄積されてきているのですから、それを我々は受け継いで行かなくてはならないはずです。科学的といいつつの浅知恵でそれらの貴重な知恵を捨て去るのはあまりに愚かだと思います。

話しは少し飛ぶのですが、アフリカのジャングルに住んでいた猿の話しを先日テレビ番組で観ました。彼らは人間による森の破壊によって居場所を里に移さざるを得なくなりました。ジャングルにいた時、この猿は20種類くらいの木の葉を食していました。木の葉には少しずつ毒物があるのですが、多くの種類の木の葉を食べることでそれぞれの毒物の蓄積を避けることができていました。しかし里ではせいぜい5種類くらいの木の葉で生きて行かなくてはなりません。食せる木の葉が5種類になったことで、とうとう毒物の蓄積が危険な領域になってしまいました。

ところが、なんとこの里に住む猿、炭を食べることで毒の排出を促し、事なきを得ていると言うのです。テレビを見ながら「なんでや!」と突っ込んでしまいました。どうやってこの猿は「炭を食べればいいじゃん」となったのか。。。それについては全くわかっていないのか、何の解説もありませんでした。

猿が里に住むようになったのはそう遠くない過去のこと。数十年の間に彼らは毒物の排出のために炭を食べるという「知恵」を獲得したのです。

なんだか科学的、科学的、と唱える人間の浅知恵にうんざりするような話しでした。この猿がどうやって炭を食べることに行き着いたのか解明されたらいいな、と思います。


安易な解釈

2017-04-23 21:23:47 | 日記

柳田国男「山の人生」を読んでいてどうも無性に気になることが多く、静かに読んでいられなくなります。とくに医学的に今考えると、解釈がまったく的外れなことがあって、こうやって間違った風説がまことしやかに広げられて行ったんだな、ということがよくわかります。

これに限らず、昔に書かれたものを読んでいるとちょっと複雑な気持ちになることが多いです。民俗学の名著から、などと考えて古い著作を読ませて頂いているとどうもいろいろな人間の現象が安易に解釈されている事例に出会うのでした。それがまたいろいろな因習やまじないに発展して、事件にもなっただろうと想像されます。

村落によっては共同体意識の崩壊の危機に発展したかもしれません。

安易な解釈とその思い込みは厳禁だ、と強く思うのです。新しい知識が増えればまた世界観も変わる。常に新しい考え方に心を開いていないといけない。

知識は更新され、過去が見直され、世の中の解釈はどんどん変化します。変化を受け止め自分も変わって行くことを恐れないこと。安易な思い込みに腰を下ろさないこと。頭を常に使うこと。

人として生まれたからには、そうやって生きて行きたいものです。


インク

2017-04-21 07:43:46 | 日記

先日、あるアジア圏の国で刊行された学術パンフレットを手にする機会がありました。紙質はよく、写真がふんだんに利用されていて、なかなかハイセンスな見た目。内容はまあまあですが、まあヨーロッパのパンフレットにありがちな雰囲気が満載。しかし学術機関に関するパンフレットなので、デザイン的にはどうかな、と思いました。

ところで、これらの見た目の特徴よりもまず気がついたのは「インクの匂い」でした。悪い意味でなつかしいものでした。ものすごい有機溶媒の匂いでページをめくるのが嫌になりました。インクのせいか、印刷の画面が荒れており、カラフルなデザインの紙面が台無しでした。ともかく質が悪い、という印象。

結局内容を精査する気にならず横に置いてしまいました。学術的なパンフレットなのですから、無理して全面カラー印刷にする必要はなかったでしょう。なにか目的を絞り切れないまま、印刷会社と一体化した広告会社のプロデュースに乗ってしまった、という感じ。裏の事情が透けて見えます。

ところでこのインクの匂い、とは有機溶媒の匂いです。昔、本屋さんに行くとこの匂いでやられた覚えがあります。今は写真の多い雑誌もあまりすごい匂いはしませんね。インクの質が良くなったのでしょうか。

いつの間にかずいぶん変わっていたことに改めて気づかされた一件でした。今度インクについてよく調べてみます。


食中毒

2017-04-18 07:08:36 | 生命科学

最近、ハチミツのボツリヌス中毒の件があちこちで話題になっています。

健康食品、自然派食品、有機栽培、手作り、などという言葉についついつられてしまいますが、実は結構危ないものです。とくに家庭で手作りの保存食品造りの際は、清潔に充分気をつけるのが第一です。

赤ちゃんの腸内細菌叢はいろいろな食物を食べるのには充分ではありません。腸内細菌叢が成立していないことから腸管免疫もまだ未発達です。離乳食で避けるべきものの第一がハチミツ。そして黒糖も止めた方が無難です。お刺身などの生ものも避けるべきです。卵の扱いは最近いろいろな知見もあって、何が良いのかは分からない状況です。ただ、やはり一歳くらいまでは卵そのものを食べさせるのは控えた方が無難でしょう。卵ボーロなどは大丈夫だと思います。

離乳食は栄養よりも食べる練習。咀嚼、嚥下の練習です。栄養は二の次で大丈夫。あまりあれこれ神経質にならないほうが良いと思います。たかだか半年くらいの期間ですし、おかゆと市販の離乳食でもいいかな、というくらい。

ところでボツリヌスと並んで気をつけるべきはサルモネラです。卵の汚染がまれにあります。日本ではあまり心配しないでよいと思いますが、ヨーロッパではアイスクリーム、ティラミスなどで感染のニュースをたまに聞きました。卵の外側だけではなく、内部が汚染されていることもまれにあるのです。日本の卵は外側をきれいに洗浄してありますが、内部の汚染はどうしようもありません。子どもやお年寄りはなるべく生卵を避ける、くらいの注意は必要でしょう。

これからの季節、なるべく作ったらすぐ食べる。一晩置いたら熱を入れる。冷蔵庫で保存する。なども大事です。

昨日は楽しみにしていたふきみそにカビが生えていて大ショック。叔母が手作りしたものでした。瓶の消毒が不十分だったかもしれません。残念でした。冷蔵庫に入れるのを忘れていたんです。

ことほど左様に微生物の活動が活発になっています。気をつけて過ごしたいと思います。


違和感に目をつぶらないこと

2017-04-15 18:46:05 | 日記

人間の闇は深いものです。どなたでも多かれ少なかれ「だまされた」という経験はおありだと思います。悔しいですが、見抜けなかった自分の甘さを猛省しなくてはいけません。これは私に向けて言っていることでもあります。

騙された相手がなかなか縁を切るに切れない、つまり仕事上などのことで、きっぱり断絶できない事情のある場合もあります。私のケースもそれです。なんとか体面を保っていないとこちらが潰れておしまい、というケースになります。最初に騙されたのは30年ほど前です。それから延々距離を保ちつつ縁があり続けます。

これは実に仕事上の事情によります。あと10年位すればすべてを書くことができるでしょう。いろいろな証拠は保存してあります。ご本人もよもや忘れたことは無いと思いますが、どうでしょうか。最近も大小さまざまな詐欺に近い言説、誤りのなすり付け、などもあり、私は全て記録しています。

多分この静かな闘いを私はやり抜かないといけないのだな、と観念しています。また、これをいつかは一般化し、今後の若い方が陥穽に落ちないよう、何らかの制度を提案しなくてはいけないと思っています。個人的な経験として埋もれさせるのではなく、おそらく同じような被害にあっている全ての方への供養でもあります。

それはさておき、一体何を基準に人間を信用するのか。半世紀以上生きてきて、いろいろな騙され経験もした私が現在採用しているのは、

「何となくの違和感」 です。

頼りない基準とおもわれますが、狡智に長けた本当の悪魔的人間はめったに尻尾は出しません。口調も表情もかなりよくコントロールされていて、なかなか他人には俄に信じてもらえないものです。しかし、それでもやはり、ぽろり、ということがあるのです。

上記の私のターゲットもそうです。何度か「え?」と思ったことがあります。若い時は単に聞き流していましたが、それでも記憶に残っているということは、何か強烈な「違和感」があったためだと思います。私がこの「違和感」についてもっといろいろ相談していればよかったのですが、私も若く、自分の判断を信じたいときだったのですね。まさに若気の至りではありました。

とはいえ、決定的な(つまり犯罪)に至る前に阻止したので、なんとか事なきを得ているのです。そうなっていましたら、ターゲットももちろんのこと私の人生にも大きな陰を落とすことになったと思います。御先祖様に助けて頂いたのかな、と本気で思います。

今改めてこの「違和感」に注意して現在の状況を見ていますと、酷いヤツだな、というのがよくわかります。悪魔的思考の欠片が結構発見できるのです。

これからの課題はこの人物がさらなる悪事をしないよう、私自身も巻き込まれないよう、注意深く見守って行くことです。特に私は細心の注意を払って自分の身を守らねばなりません。これって殆どホラーかミステリーですね。犯人を追いつめて、やられる、みたいな。

そうならないよう、御先祖様と一緒に注意深く進みます。でもこれってターゲットを守っていることにもなるんですよ。向こうの御先祖様にも加勢して欲しいですね(笑)