無知の知

ほたるぶくろの日記

マリモ

2011-11-04 23:55:26 | 日記

10月28日も無事に過ぎましたが、世田谷ではつぎつぎに放射性物質が見つかり、茨城県沖ではゆっくりとしたプレートの移動が観察され、数日前などは「再臨界か?」。その他ギリシャ問題にTPP、結構にぎやかです。

私の周辺もいろいろなもめ事があって、めまぐるしいものがあります。私が心を痛めるのは、厄介ごとを調子良く上手に他人に押し付ける方の犠牲になっている方々です。やれやれ、であっさり終わればよいのですが、どうも深く恨みを持っておられるようで、人相が悪くなっていきます。残念ではありますが、もうこちらの言うことも耳に入らないようで、どこか上の空。いい方なので、何とか正気を取り戻してほしいのですが、遠くから見守るしかないようです。

ところで、野田知祐さんを数冊続けたら、心が辛くなって読み進めなくなってしまいました。川の惨状が縷々と記されているからです。戦後~'90年は日本中の川がことごとく壊されていったときです。彼は日本の川をカヌーで下りながら、年々壊されていく山と川その周辺の環境をつぶさに観ていました。ときには建設省(現・国土交通省)の方を川の中にお招きしたりして(引っ張り込んだ、とか)。自然を『資源』という見方しかしてこなかった戦後のむさぼるような高度経済成長期。農産物、海産物も本当においしいものや安全なものよりも、流通に乗りやすいものや、見栄えのよいもの、生産性のよいもの(コストパフォーマンスのよいもの)という視点で選別され生産されてきた時期でした。

彼は川の精霊と仲が良いようで、本当に川の全てを楽しんでいました。彼の川遊びを読んでいましたら、子供の頃の夏休みを思い出しました。父の実家が山奥だったので、夏休みに遊びにいきますと、真っ先に裏の川へ水遊びをしにいったものです。ハヤが沢山いて、ちょっとした淵を箱眼鏡でのぞくと沢ガニやらエビやらよくわからないいろいろな魚がいて楽しかったですね。夏に冷たい川の水に浸かっていること自体がすてきなのですが、それに加えてそういう生き物やら色彩やらがあったのです。本当に夢中でした。しかしその川も30年ほど前に、上流に工場ができて水が減り、しかもそこからの排水があって遊べない川になってしまったのでした。

ところで今日ニュースに、阿寒湖の透明度(9m)が上がりマリモに巨大なものが増えてきたとありました。この阿寒湖も1960年頃は1.2m先が見えないくらい濁っていたのだそうです。付近の温泉施設の排水が捨てられていたからです。その後下水処理施設が整備されて水質が改善傾向にあったそうで、10年くらい前から直径30センチくらいの大きなマリモがみられるようになりました。そして現在はその大きなマリモが少しずつ増えているのだそうです。

マリモには少し切ない思い出があります。こどものころ、このマリモが好きで、どなたかの北海道土産にプラスチック容器に入ったマリモ(?)を頂きました。説明書には時々水を換えてやれば大きく育つと書かれていましたので、それを鵜呑みにして毎日陽に当てたり水を換えたり、楽しみにしておりました。ところが、いつまでたってもなにもおこらず。陽に当たって光合成をすると、表面に酸素の泡がでてマリモが浮く、はずなんですが、一向に浮かず。静かに緑の玉は水の中に沈んでいました。その後そのマリモをどうしたのか。確かやけになって、水から上げて潰したような・・・?たしか中空だったような・・・?