無知の知

ほたるぶくろの日記

がんについて

2012-05-28 00:37:22 | 生命科学

今週は日蝕の観察から始まりました。残念ながらこの辺りは雲が厚くて、直接観察するのは叶わなかったのですが、職場の方の写真やテレビ放映などで、きれいな金環を観ることができました。ただ、私にとっては太陽の様子そのものよりも日蝕が進むにつれて周囲が薄暗くなって行く様子がとても印象的でした。あたかも分厚い積乱雲に覆われたときのような、人々をちょっと不安にさせる薄暗さでした。すっきりと晴れていて日蝕ということを知らなかったら、なんだなんだ、という感じでしたでしょう。古代の人々は恐れたことでしょう。大変印象深い体験でした。

ところでがんが感染症の一種である、という話しについて感じるところがあります。菌、いわゆる微生物の活動が、がんの発生、増殖に影響を与えている、というのは現代の研究レベルで理解できることです。嫌気性菌(酸素を嫌う細菌)が腸内細菌のほとんどを占めると考えられていまが、これらが腸管免疫系を刺激し、全身の免疫系の調節に関与している可能性は十分にあります。

また、がん細胞の感染性についても重要だと思います。この問題は説明が沢山必要なのでまた書きますが、微生物の存在を考える必要は必ずしもありません。もちろん、真に微生物の関与がある感染性のがんはあります。ヒトパピローマウイルスやHTLV、肝炎ウイルス、ピロリ菌など、ヒト発がんに寄与する微生物の存在は明らかです。しかし、そのような微生物の関与がなくともがん細胞の感染性は存在するのです。恐ろしいことですが、これは事実です。ただ、この感染性についてはもう少し丁寧な説明が必要でしょう。


進化について

2012-05-13 14:57:57 | 生命科学

地球は、いや宇宙は動いています。この大自然の一部である私たちも太古の時代から続いてきている『進化』をしているのです。毎日多くの細胞がDNAを複製し、分裂しています。複製はかなり正確ですが放射線や、紫外線や、様々な過酸化物によってできたDNAの傷によって小さな変異をおこしています。その変異は些細な変異のことがほとんどなのですが、たまに重大な変異であることもあります。

がん細胞になってしまう変異とは、1)周りの細胞との協調ができなくなってしまう変異。これは停止信号を無視して増殖を続けたり、本来その場を離れることのない細胞が持ち場を離れ、まったく違う場所に行って増えたりするようになるもの。2)遺伝子の傷を治す装置のいくつかが変異をおこし、遺伝子の傷が蓄積して行くもの。これは最終的に1)を引き起こしてがん細胞の誕生ということになります。逆に細胞がもう増殖できなくなってしまう変異(細胞老化・senescense(セネッセンス)がおこることもあります。この場合、それが組織の幹細胞におこると個体としての老化として現れます。

もう一つのキーは『免疫』です。特に自然免疫と炎症についてより深い理解が必要だと思っています。


ネコの目天気

2012-05-07 15:45:42 | 日記
東京の連休は梅雨のようでした。例年、五月の連休の頃はさわやかな新緑の光るよい天気なのですが、今年は湿度も気温も高い日々で、季節が先に進んだように感じてしまいました。とくに昨日はネコの目のように変化するお天気で、大変不思議に思いました。朝は晴れてはいたものの湿度が高かったのです。しかし午後になって下がってきましたのでこれは洗濯物を干すのにグッド、と思ったのもつかの間、突然くもり始め暗くなり、雷が鳴って雨と雹がざっと降ってきました。ところがこれもまた1時間も続かず、夕方にはからりと晴れてスーパームーンの月夜を観ることができました。

今年は梅も桜も遅く、桜が散ったらもう梅雨?のお天気で、さらに夏を思わせるような今日の天気。こんなことからも地球規模の異変を実感します。遠い過去にもこうして次々に異変が起こったときがあったはずです。プレート活動は、一旦動き始めますと、連鎖的に次々に動き、安定な構造になるまでその動きは続くからです。人々はこの世の終わりだろうかと心配になったことでしょう。今はなんとなく、これが地球の営みだと理解できますし、これからまだまだいろいろあるであろうことも予想できます。おかしな想像をすることも不必要なのはありがたいことです。しかし、そうはいっても今も地球のプレート活動が活発になっていることが分かるだけで、本質的に何も分かってはいない状況です。地震予知などは夢のまた夢。烏の様子でも観察している方がいいと本気で思っています。

明治三陸沖地震の写真が見つかったと報道がありました。本当にすっかり何もなくなった海辺の写真は今回の被災直後の様子を思い出させるものです。それまでにも三陸地方には言い伝えなどあったでしょうに、どうしてその後地震や津波についての注意もなく街がつくられていったのでしょうか。今後の復興の際には、また100年後の地震と津波を予測した上での街づくりがされるとよいのにと思います。漁業関係の仕事場は仕方ありませんが、強固なコンクリートの建物をあちこちに配置して、津波の際にはそこへ皆が避難できるようにする。住居は高台へ。なんて素人考えですけれど、少なくとも2万人近くの方がまた犠牲になるようなことのないようになればよいなとおもいます。