無知の知

ほたるぶくろの日記

日本型組織

2019-03-24 18:10:35 | 日記

最近、村木厚子さんの『日本型組織の病を考える』(角川新書)を読んでいます。

事件当初から無罪までの経過はリアルタイムで追いかけていました。結局、検察庁特別捜査班の犯罪であったことが暴露され、慄然とした記憶があります。

戦争中のことではないですよ。平成の世で起こったことです。

まあ、お花畑頭でいられないのね、ということがよくわかった事件でした。

しかもこの事件のシナリオを「誰が」「何を目的に」書いたのか明らかにしようとした裁判に対しては、国は『認諾』し、請求通りの損害賠償金を支払って幕を引いた。この件初めて知りました。

それほど隠したかったようです。あまりに醜悪な裏事情だった、ということでしょうか。

大体どういうことだったのかは想像がつきますが、情けないことです。


組織の中で特定の人間に異常なまでの敵意を持つ人がいるようです。

自分の周りの環境が平和なのを好まず、常に何らかの葛藤を置いておきたい方でもあります。自分の増悪を直接発露しますと自分の立場がまずいことになりますので、組織的な無視、嫌がらせ、過剰で些末な仕事の押しつけ、などで対象者を追いつめようとします。

理由はその方が自分の劣等感を刺激する部分があるせいでしょう。そもそもグループの頂点に立っていないと『満足』しない人間である、というのも大きな特徴です。

どのような組織にもいそうな人なのですが、度を越すと大変なことになります。

本来はご本人が、自分自身の価値に気づき、自分自身に満足することが根治の条件ですが、社会的にはそこまでケアはできません。

残念なことですが、どこかの時点でエネルギーを欠くように、叩き潰す必要があります。ご本人はさらに自分の境遇を憂い「なぜ?」と思うかもしれません。

そこでどんなフォローができるのか、考える必要があります。そのまま放置しておくと恐ろしいですからね。

ああ、面倒なことです。

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桜が咲きました

2019-03-23 19:27:23 | 日記

梅は終わり、自宅の周辺でもとうとう桜が咲き始めました。木によって大分開き具合は異なりますが、咲いている方で写真の感じ。とはいえまだ蕾が膨らんでいる程度なのも多いです。

昨日は本当に暖かかったので、一気に開花が進んだと思います。

で、お彼岸も過ぎましたし、春爛漫、と言いたいところなんですが、今日は1日10℃以下でした。昨日は21℃だったんですよ〜10℃以上違う。。。参りました。

花冷えとはよく言ったものです。咲き始めた桜も寒さでブロックです。

ともあれ桜も咲き始め、年度末が迫ってきました。

例のごとく、異動ごっこでざわざわ。 あちこちで挨拶ごっこ。

仕事はそっちのけ。

 

まあ、いいんですけどね。そんな感じで仕事してられるんですから結構なことです。平和で何より。

私はといえば、昨日から今朝にかけて、納めてもらうはずの原稿の取り立てをする必要があり、大変でした。今日は早く休みたいと思います〜


春雷と虹と

2019-03-17 10:29:41 | 日記

昨日、東京も結構な雷が鳴りました。

外を見ると暗い雲が厚く立ちこめていました。春雷です。

その一方で雲の反対側から陽が射しているので、ひょっとして、と思い陽の反対側を観ると

2重の虹が!

その後大分ゴロゴロいっておりました。雨も降っていました。

寒気が押し上げられて春の空気が上がったり下がったりしてるんですね。

ご報告と、虹の画像のお裾分けまで。。


ベランダの春

2019-03-16 12:05:45 | 日記

先日朝、

そろそろベランダの鉢の水遣りも週2くらいにしないとな〜

 と思いつつ、外に出てみますと。。。

いつの間にかファーンリーフゼラニウムの花が!!

ごめんあそばせ、全然気づかなかったです。

アップルゼラニウムは冬の間もどんどんランナーを伸ばして白い花を咲かせていました。ですから世話をしていたのですが、こちらの蕾は うっかりしていました。

全然気づかなかったです。(ごめんよ)

これから次々に花を咲かせるでしょう。液肥も上げないと、です。

他のゼラニウムも観てみますと、膨らんだ蕾が沢山用意されていました。いつの間にかうちのベランダにも春が来ていたんですね。大変大変。春です〜


自分を肯定すること

2019-03-10 12:39:43 | 日記

いつか書こうと思っていたことです。

昨日、承認欲求のことを書いていて、うっかりこれの原因が劣等感等と書いてしまって、しまったと思っています。

ここには飛躍があるかもしれません。多分に私の中の解釈であることを申し上げておきます。

先日訪問した西日本の某神社の梅。満開でした。

ところで劣等感、という厄介な問題について、私はかなり深刻に受け止めています。

それは内閣府の調査結果(平成26年(2014年))を観て以来です。この日本の子どもたちの自己肯定感の低さ! 衝撃的です。

ただ、これは感覚的にはとても納得のいくものではありました。自分が世間で感じていたことがそのまま数値となって表れているものであったからです。

「自分自身に満足している。」ということに「そう思う。」「どちらかといえばそう思う。」と感じた子どもがアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスでは80%以上。スウェーデンで74.4%、韓国で71.5%。日本は何とたったの45.8%。

調査のその他の項目も含めて言えることは、日本の子どもたちはトータルな自分の人生をイメージできず、不安ばかりを募らせている、ということ。例えば家族を早く持ちたい、と考える人が多いのに、40歳になったときの自分の家族のイメージが具体的に持てなかったりしている。

それもこれも、全ては大人のあり方、社会のあり方がそうであるからでしょう。

自分自身の価値を他との比較の中で確定する社会であること。 これを変えなくてはなりません。人生のあり方の選択肢の狭さも子どもたちの感じる「不自由さ」の一つの要因かもしれません。

大人の責任としては、人生にはいろいろな可能性があることを示し続けていくこと。人生を謳歌すること。でしょうか。

そして力強く生きて行くためには、自分を肯定すること。「これでいいのだ〜!」とすること。

自分なり、でやって行くのが正しい、ということ。

 

直接他人に対してできることは余りないと思っています。私は淡々と生きて行くだけです。

そうして、生きていることはなかなか面白いぞ、ということを伝えられればいいですね。