無知の知

ほたるぶくろの日記

掃除について

2011-08-29 00:11:45 | 日記

太平洋プレートとフィリピンプレートの境界では小さな地震の数が数十倍になっているというデータがあるようです。まだまだ備えは怠ってはいけないと思います。太陽のフレア活動はいまのところ静かなようですが、黒点数はかなりあります。9月末から10月にかけてのお話はなんとも気になるところではありますが、防災意識とお天道様への感謝を忘れずに日々を頑張るしかありません。今のところ、どこかへ移住する可能性はありませんし、備蓄のお水と食料、子供との打ち合わせなどをしっかりやっておくしかありません。

ところで、お掃除のことをおもっていました。「お手入れ」という言葉を使うときもあります。

ずいぶん前のことです。以前の職場の近くにやや古いマンションがありました。マンションの周りは植木でぐるりと囲まれていました。しかし、そこはあまり空気がよくないところであったため、その植木はずいぶん貧弱なものではありました。建物も周りにもっと高い建物がたってしまったため、陽当たりも悪く少々古ぼけた感じがしていました。ところが、それにもかかわらず、何か荒れた感じがしなかったのでした。

そこの管理人さんがマンションの周囲の掃除を毎日されるのです。午前中に植え込みの根元は掃き清められ、水が遣られていました。それを見るたびに、古ぼけたマンションにもかかわらず、なにか清新なすがすがしいものを感じていました。「お手入れ」というのはこういうものなんだな~とその様子を見るたびに思っていたものです。掃除の本質はもちろん「清潔にすること」なのですが、その他に「もの」への感謝、という面もあると思います。掃除をする=手を入れる=感謝の散布ということになりますか。

この経験は自宅のお掃除でも感じられることです。何がきれいになっているのか分からないくらいではあっても、定期的に手を入れているところとそうでないところとは明らかに違います。気分の問題と言えるのかもしれませんが、人の感謝が乗るところには結界とでもいえるものが張られるのかもしれませんね。


夏の想い出

2011-08-22 00:13:29 | 日記
今日も涼しい一日でした。静かな雨がときおり降って、夏はもう終わりです、と告げられているようでした。明日からは少し暑さが戻るようですが、それでももう一時の猛暑にはならないようです。

8月の始めに主人の実家に行っていました。そこで不思議なご縁から、私が若いときにお世話になった方と約30年ぶりにお会いできました。なんと偶然に、その方は東京から遠くはなれたその地に仕事の都合でいらっしゃったのです。そのことを、これまた偶然に7月のはじめくらいに知りました。それでも半信半疑でした。主人の実家で、そのことを義母に話しますと、ぜひ尋ねてみましょう、と言ってくれました。

恐る恐る電話をしてみますと、これまた偶然にその方が電話口に出てこられました。ひとしきり再会の歓びを伝えあったのち、伺うことになりました。義母とふたりで車で15分ほどかけて訪ねていきました。約30年ぶりにお会いしたその方は、カソリックのシスターなのです。修道院が田舎の住宅街にひっそりとある風景は不思議な感じがしました。その方は相変わらず、にこにこと優しく楽しそうな笑顔で迎えてくださいました。懐かしい様々の憶い出やら最近のあれこれを、義母も交えて楽しくお話しできたのはうれしいことでした。今回のこの再会はたくさんの偶然が重なった結果です。本当に不思議でした。こんなふうにして、少しずつ私の過去と義母との想い出がまじりあっていくのだなあ、と静かに感動しておりました。これも御先祖樣方の計らいなのかな、とありがたく楽しい想い出に感謝しておりました。

涼しくなりました

2011-08-20 21:10:31 | 日記

一昨日まで東京は猛暑でした。とくに先週末のお盆の期間中は本当に暑い日々でした。汗をかきかきお仏壇にお線香やお供え物をしながら、お盆らしい日であるなぁと思っていました。そしてお盆ですから、いつもよりも少し丁寧に御先祖様供養をいたしました。いろいろな故人のことが思い出され、ひとりひとりに「楽しい想い出をありがとうございました」と感謝をしました。それらの方々の中には、残念なことにご自分で人生をおしまいにされた方もいらっしゃいます。ふと思い出して、あれ?今どうしてるんだっけ?と思ったあとで、ああ、そういえばあの方は亡くなったのだった、と気がつくことがしばしばでした。これからも忘れずに、ご供養をさせていただきたいと思います。

お盆には東京の生きている御先祖様をたずね、みなであれこれ話しをしながらお食事をしました。穏やかな雰囲気で過ごせましたので、本当によかったとおもいます。こうして家族と過ごしながら、私は「家系」について考えていました。母がよく言っていたことばで「家ぐせ」というものがあります。「婚家の家ぐせにそまる」などと使っていました。これについては、これまで『家族固有の文化』と考えていましたが、今はもっと意味の深いものかもしれないとおもっています。

どんな言葉を使って家族が話しをするのか。どんな事柄を話題にするのか。日常のあらゆる仕草、行動のくせ。といったごく具体的なことから、何に価値をおくのかといった思想的、哲学的なことまで、それぞれの家族には固有のものがあります。しかしそれ以上に、今はこの世にいない、それこそあったこともない御先祖様の様々なおもいが、現在の『家族固有の文化』に反映しているのかもしれません。無念を抱いた方の思い、幸せをかみしめていた方の思い、それら全てが今を生きる私たちに気がつかないうちに届いているのでしょう。今を生きる私たちは、これら御先祖様がたを思いながら、できることを思いっきりやっていきたいですね。それが実は一番のご供養なのではないでしょうか。


静観する習慣

2011-08-13 09:15:24 | 日記
猪瀬直樹さんの『黒船の世紀ーガイアツと日米未来戦記ー』を読んでいました。太平洋戦争へ突入していく「戦前」の雰囲気が数人のキーパーソンを丁寧に追いかけることで多角的、立体的にあらわされています。それは軍人(海軍)、政治家、小説家、日本人、アメリカ人、イギリス人とさまざまな立場の人々です。一見とても接点があるようには思えないこれらの人々が実は影響を与え合い、あるいは実際に会っていたりすることが後半で明かされます。この構築の巧みさは素晴らしいものです。また多くの事実、データを積み重ね、ごく自然に結論が見えるような著述であり、強引さがありません。科学論文のようにも思えるほどです。猪瀬さんの世界へ向かう姿勢が真摯なものであると感じられます。ごく個人的なある思いを強引に展開するような著述はありません。東京都の「言葉の力」再生プロジェクトをすすめる方らしいですね。

猪瀬さんの著書やブログなどを読みながらいつもおもうのは、感情に引きずられるまえに、データを集めることの必要性です。ずいぶん以前に一瞬怒りが込み上げてもその衝動に身を任せず『90秒待つこと』を書いたとおもいますが、それと同じことだとおもいます。情緒的に決心や決意を形成するのではなく、知能をもってこの世へやって来たヒトらしく、自分なりにデータ、様々な考え方を拾い集めていくことが望ましいのではないでしょうか。

ときに判断をせかされることもあるかもしれません。でもそういう時はカンナガラ。常日頃、世間を静観する習慣をつけていれば、知らぬ間に多くの多角的情報が蓄積していることでしょうから。


お盆の前に

2011-08-09 20:52:40 | 日記

先日から太陽の活動が気になっていましたが、とうとうものすごい大きなフレアをおこしました。X6.9とは2、3月のときより余程おおきなフレアです。ちょっと呆然としてしまいました。その後このフレアの細かいデータが出てきましたが、あまりCMEの噴出はないようで、しかも地球の正面ではありませんでしたから、磁気嵐などの影響はあまりないということがわかりました。宇宙天気ニュースでXフレアの一瞬の輝きをみましたが、ものすごいものです。強烈な光が発せられていました。太陽のくしゃみ?のようでした。驚異の脅威?太陽の活発な活動はみていてどきどきします。元気をありがとう!というかんじです。

もちろん、地球の地殻への影響も気になりますが、そのたんたんとした宇宙の営みは圧倒的で美しく、人々のどんな思惑も受け付けない厳然とした力を感じます。地震が小さなものに分散されることを念じつつ、太陽のおおいなる恵みに感謝していきたいと思います。

昨日ぐらいから何かと亡き母のことなど思い出します。お盆が近いこともありましょうか?朝晩の通勤ラッシュも今週はかなり緩いものになっています。みなさん、今年は家族の大切さに改めて気づかれ、お盆には御先祖様の供養をされるのではないでしょうか。日本人が日本の正しい伝統をいま一度、心に蘇らせているのでしょうか。私も曲がりなりにも神棚と御先祖様の供養をすることができていますが、これは本当に絵に描いたような日本の伝統です。子供の頃、私の実家にはどちらもありませんでした。どうしてなんだろうかなぁ、と物足りなく、もどかしい感じがしていたものです。やっとごく普通のこととして始めることができました。本当にありがたいことであったと思います。