無知の知

ほたるぶくろの日記

『誇り』あるいは基礎的な『自信』について3

2018-03-21 14:24:31 | 日記

明治以来、とくに第2次大戦後の努力のかいあって、日本はかなりよいブランディングに成功しました。多くの方が海外へ行き、仕事をし、学び、戻ってきています。特に帰国子女の方達も多くなっていて、海外の事情はごくごく身近なものです。この間の変化について、その要因など考えてみると、インターネットの発明と普及がとにかく巨大な影響を及ぼしたのだな、と改めて思います。

最近注目しているのは日本の女の子の「かわいい」や「きれい」の源流を探す、という美術展。現在の若い子たちのセンス、とおもいきや、という意外な感じを狙ったものと思います。これは日本の文化の底流を探索する大きな流れのひとつなのではないでしょうか。

若い方たちが明治以前の日本の文化を再発見し、若い感覚で「かわいい」「きれい」と思う。日本て結局ずっと前からこうなんだ、ということを体感できるでしょう。

1970年から始まった旧国鉄の「ディスカバー・ジャパン」を彷彿とさせます。何と今から約50年も前の話しですか!あれもかなり長く続きました。永六輔さんの『遠くへ行きたい』は国鉄提供でキャンペーン開始と同時に始まった、とウイキペディアにはあります。なるほど。

1980年には国鉄の累積赤字も深刻になり、キャンペーンは下火になるも、1984年の「エキゾチック・ジャパン」キャンペーンを開始。87年の国鉄分割民営化まで続き、これはその後のJRの各種キャンペーンに受け継がれた、と。そういうことなんですね。

今回知ったのは「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンには「美しい日本と私」という副題があったということ。川端康成氏のノーベル文学賞受賞記念講演の題に似ていることで、氏の許可を頂き、ポスター用の揮毫も頂いたとあります。そういえば。。。そして「美しい、、、」

話しがかなり脱線しました。今、私が新しい動きと思い、注目している日本文化のルーツ探しなのですが、実は50年前の「ディスカバー・ジャパン」が始まりだったのかもしれません。

あのキャンペーンは実に心に焼き付くものだったのです。日本はダメ、あれもダメ、これもダメ、の中で育ち、自己否定節にうんざりしていた私の心をつかみました。なかなか危険な匂いもするのですが、綱渡りのようにただしい道を細々と行っているように思います。

いわゆる保守的な方向性、と思いきや、それは日本文化の普遍的価値を発見するもの。ベクトルは内側からいきなり外側へ向いています。それもそのはず、この流れの大元はGlobalizationだからです。この辺りはまた次の機会に書いてみます。

ともあれ、明治以降のいろいろも大事ですが、150年も経ちました。節目でもありますから、それ以前の日本の姿をもう少し、つまびらかに愛情をもって知りたいものです。


『誇り』あるいは基礎的な『自信』について2

2018-03-11 19:48:54 | 日記

30年ほど前の日本は、まだ日本が「キャッチアップすること」に一生懸命だった時代でした。そしてそれは、その時代の若手、30〜40代の人たちにとって大変有効な大原則でした。

若手が上の年代に対抗するための錦の御旗、「欧米では××であった。だから、、、」という論の組み立てをするために威力を発揮しました。

おそらく明治から続く大原則ですが、第二次大戦争中にかなり揺り戻しがあり、そして戦後はそれ以前に増して強い絶対的な大原則となりました。私はそういう社会背景の中で育ったわけで、どこを向いても「日本はダメだ。ここもあそこも全部ダメ。」という論調で溢れていました。他の人は知りませんが、私はとてもそれらのネガティブな論調に影響されていて、日本に生まれたことを実に残念に思っていました。

今から考えると、なんと単純な私であったことよ、と逆の意味で残念な気持ちで一杯になります。今は盛んに日本の技術、学術の伝統や蓄積が紹介され、様々な日本の業績が見直されています。江戸から明治の強烈な方向転換が、日本の伝統の否定となったことは不幸なことでした。海外に流出した多くの日本の美術品が、海外の目利きによって手厚く保存されていたことについては、感謝の念に耐えません。

今、日本の伝統を紹介するTV番組や動画も多いのですが、それもこれも戦後の欧米追随に疑問を感じていた私たちの年代によって作成されているように思います。もちろん世間の風潮に流されず、淡々とひたすらに伝統を守り続けてくださった方々がいらして、のことです。そのような方たちの守ってこられた伝統文化に触れる度、ああ、間に合ってよかった、と思うのです。

今、各地の古文書の読解セミナーは満員御礼です。皆さん、過去の日本の文化に対して興味津々。われわれが学校教育で教わったのは西洋の知識ばっかり。美術も音楽も。おかしいですよね。ベートーベンは知っていても同時代に活躍していた日本の音楽家、あるいは日本の音楽を私は俄に語ることはできません。本当に残念です。日本の三味線とふと竿の違いについても私は語ることができません。恥じるばかりです。邦楽の楽譜の読み方を私は知りません。

もう本当に日本の学校教育は何をやってきたのでしょう。

グローバルもいいけれど、日本人は日本と日本語のスペシャリストでなくてはならないはずです。文化の根源を失うことは人間にとってもっとも哀しいことです。日本の伝統、日本の科学を発掘し、教育の現場に反映させなくてはダメです。

科学に関しても日本には素養があったのです。それを究める学問が必要かもしれません。


『誇り』あるいは基礎的な『自信』について1

2018-03-08 07:10:16 | 日記

最近の若い方を観ていて、精神がのびのびしていていいな、と思います。萎縮していない、ということです。

私の若い頃は、ともかく自分に自信が持てなかった。まわりの方と話していても皆、「日本はダメだ。日本人はダメだ。日本にいてはダメだ。」とそんな感じでした。特に生命科学の世界ではそういう風潮が強く、だから海外に行って何かを学んでくる。そういう思考回路の方が多かったように思います。

私は、というと、そういう自己否定的で卑屈な態度にうんざりしていて、もう少し自分の足下について誇りを持ちたいものだ、と思っていました。何がそんなに劣っているのか。どこが問題なのか。だめだだめだ、と言っている方はそれで本当にいいのか。研究室では1ドル360円という為替レートの時代に留学し、経済的にも潤って帰国した方達が「『では』のかみ」となって「欧米『では』、、、」を連呼している時代でした。

そもそも日本においての自然科学の原型はそっくりそのまま欧米からの移植です。教科書も翻訳物が殆ど。とくに大学教育課程での教科書は海外のものでした。日本に根付いていないな、という浮遊感がありました。自分たちの文化の延長にないものを「学ぶ」とは、どういうことか?結局なにか表面をなでるような、技術的な何かを「学ぶ」しかない。もっと根源的な自然を理解するための「アイデア」を提示することが、自然科学の最も大切なことのはずなのに。

私がヨーロッパにしばらく行っていたのは自然科学の神髄を知りたいと思ったからです。自然科学は文化そのもの。技術ではない。だから学ぶものというよりも、その中に浸かって体験し、自分の生活の中に入れなくてはどうにもならないと思っていました。

向こうでは、クラッシック音楽を勉強されている方達と大分交流しましたが、彼らも同じことを言っていました。目に触れる風景、聞く音、匂い、言語、人々の様子、それら全てが音楽に直結し、何かを理解させてくれる、と。

自然科学の思考のあり方は文化そのものなので、それは日常の生活の中にも生きているのです。日本での自然科学は、明治以降に突然上から降ってきた『学問』だったわけですが、そういうことではとても自分のものにはなり得ない、日本のものにはなり得ない、と思っていました。

そこは中高生の時代から私の中のある違和感として存在した自然科学への気持ちのいちぶであり、長らく自然科学の世界にいながらも、何か違う、と思い続けていた部分なのでした。

長くなりました。また日を改めて続きます。


文化を生きる

2018-03-04 15:10:21 | 日記

先日の『慶長遣欧使節の謎に迫る』は面白く拝見しました。

支倉常長のどこまでも真面目な、力を尽くす姿勢には感銘を受けました。あの時代のスペインの権勢はすごいものがあったでしょう。その中心へ真っ直ぐに向かい、外交もこなした。

まずメキシコに行き、そこからスペインへ。さらにイタリアへ。総勢200人近かったようですから、かなりの大所帯。しかも戦国時代の最後、キリスト教禁教が徐々に実効性を持って来る時代でした。その中で洗礼を受け、キリスト教徒として生きると誓った。帰ってきて交易に成功したにしろ、失敗したにせよ、家の断絶との取引で出かけたこともあります。どのような扱いになるのかは未知であったでしょう。

その中でも誠意を尽くした。

もう一つ感銘を受けたのは、スペインの地方の教会や古文書図書館の様子。文献や過去の文物がよく整理され残されていることに文化の高さを感じました。世界史のある時期、確かに世界一の富を誇った国であったことが分かります。なるほどな、とおもいました。

彼らは今、政治的にはかなり引いた立場に甘んじていますが、不満には思っていないでしょう。彼らの様子を観ていると、彼らの先祖が築いた膨大な文化的遺産を整理し、研究することに一生懸命です。そして先祖の偉大さに心うたれているようです。

日本もだんだんとそういうフェーズに入って行くのだろうか、とぼんやり思っていました。

これからの日本のあり方について、どのようであるべきか、ありたいか、最近常に考えているのですが、やはり、ヨーロッパの国々過去の覇者の現在のあり方は参考にせざるを得ません。そして実際にそれらの国々を見つめるとき、その大変に豊かな文化的あり方に心を打たれるのです。

もう、狂騒(競争)の時代は終わったのだな、と静かに思います。