無知の知

ほたるぶくろの日記

寒いかも

2019-04-27 19:37:23 | 日記

少し長かった桜の季節も終わり、この2週間ほどは仕事で忙しくしていました。

ふと、見上げるとあの新緑だった氏神様の樹々はすっかり深い緑になって、もはや初夏の雰囲気。今週の初めは暑い日もあったりして。

仕事でPCに貼り付いていたため、腕の付け根が凝ってしまって背中も痛んだりして。そうこうしているうちに頭は痛い、首も痛い、鼻の奥が痛い、、、まさか風邪?

今週は少し気をつけて過ごしました。暑そうでも重ね着したりして。

そうこうしたら今日はなんですか?

また冬に逆戻りでした。 北風が冷た〜く、ときどきぽつぽつ雨も降ったりして。

氏神様では恒例の夏祭りへ向けたお囃子の練習が始まっています。最近私も帰りが遅いので、なかなか彼らの練習ぶりを聴けていません。残念です。

最初はバラッバラなのがだんだんまとまって行く様が毎年とても感動的だったのですが。

 

さて、もうすぐ令和です。

RなのかLなのかと思っていましたが一応REIWAらしい。

静かに変遷を見守って行きたいと思います。

 

 


江戸と伊勢の思いがけないつながり

2019-04-14 10:33:30 | 日記

江戸に多いもの、『火事 喧嘩 伊勢屋 稲荷に犬の糞』

江戸時代は海運が盛んで、品川ー伊勢ルートは発達していたそう。今さらながら、ほんとに東京では『伊勢屋』さんはたっくさんあります。

お団子やお赤飯、混ぜ寿司、いなり寿司、おはぎ、などなどを作って売ってらっしゃる。

私も子どもの頃、大分お世話になったような。。

この近くでもありますよ。伊勢屋さん。先日も春のお彼岸のときに、ぼたもちと巻寿司買いました。

伊勢商人が江戸には多く、今や江戸を代表する老舗のにんべんも伊勢商人のお家のかたで江戸へ来た方だった、とか三井、三越も伊勢商人の末裔とか。。。なんとまあ。そうでしたか。

昔からなんで団子やはどこでも「伊勢屋」なんだろう、とか思っていました。

先日からなんで家康さんは江戸を本拠地にしたのかと気になっていまして。

江戸時代の最初は治水、水利のための工事で大変でした。そもそも江戸城は埋め立てた土地に作ったのです。地盤も弱かったでしょうから石垣を組むのは大変なことだったと思います。

そんなところをどうしてまた本拠地にしたのか? 何で現在こんなに東京は大きくなって、人々を惹き付けているのか?

奈良と京都のあの違いは何なのか?

以前からの疑問で、いろいろな事実や説があります。それでもまだ納得がいかない。気になって仕方がないのです。

そろそろ新緑の目立つ季節になってきました。日々ぐっと変化する緑の色には毎年どきどきします。

春の醍醐味を感じる時節になりました。


東寺展へ行ってまいりました!

2019-04-07 18:21:32 | 日記
この年度末、かなり疲れました。次から次へといろいろあったのですが、「東寺展がもうすぐ始まるから」と心の中で言い聞かせ、乗り切りました。

さて、無事新年度も始まりましたし、ここらで少し英気を養っておこう、ということで、休みを取りまして、
いざ、東寺展へ!

折しも桜がいい感じに咲いており、例年どおり「博物館でお花見」もできます。国立博物館の裏には結構なお庭があって、そこの桜が見事なのです。その日は花冷え。そこそこ寒かったのですが、風はそれほどでもなく、穏やかなよい天気でした。外でのお花見に備えて暖かい服装をしてでかけました。

平日に上野公園なんて、ほんと滅多にあるもんじゃないです。じっくりお休みの気分を味わいつつ公園の雑木林へ、、といっても人で一杯。やっぱりお花見シーズンだったからでしょうか。外国の方も大勢いました。

この調子では「東寺展」も混んでるかも、と不安になりつつ国立博物館へ。
最近顔真卿展など、何度か行列していますので、侮れません。なんせ今度の東寺展には、あの美仏で有名な「帝釈天」様が来ているのです。
最初から混むのでは、と心配していました。

しかし、それは杞憂に終わり、入館の行列もなくすんなり館内へ入れました。内部も程よい人の入り、ゆっくり観て回れそうでほっとしました。

今回の展示は「東寺」。
遡ること1200年前、平安京の成立が東寺の始まり。その後の戦乱を乗り越え、連綿と続いてきた歴史は弘法大師空海の開いた真言密教の歴史でもあります。

新幹線からも見える東寺の五重塔は、実に印象的です。過去に一度東寺へ出かけましたが、自分の方の準備が足りず、残念な訪問でした。ようやっと暗い講堂で帝釈天を拝した程度。立体曼陀羅の実感が今ひとつ湧かなかったのも確かです。

今回の目玉の一つは普段目にすることのできない様々な密教に関する品々を拝見できるということでした。

最初のハイライトは法要の様子の再現でした。
正月7日まで皇居で行われる祭祀を引き継ぐかたちで8日から行われる、鎮護国家の法要、「後七日御修法(ごしちにちしほ)(秘法のため非公開)」の灌頂院の様子を再現した展示で、圧倒的でした。曼陀羅と各種明王の絵が壁に架けられ、台座も設けられています。すばらしい臨場感がありました。

第二のハイライトはもちろん、立体曼陀羅。通常は暗い講堂の中、須弥壇上に展開されているものが、展示会場に余裕を持って配置され、その間を歩き回れるという夢のような展示。
しかも、あの「帝釈天」はなんと、撮影可。 私ももちろん撮りました。でもスマホでしたし、巧く撮れず。とてもここにアップする勇気はございません。

見応えのある特別展に満足し、さて、今度はお花見。真言密教の世界に思いを馳せつつ裏庭へ。

しだれ桜はまだ6分咲きくらいでした。


写真の向こう側の芝生ではコーヒーなども頂けるのです。
桜には蜜を吸いにきた小鳥たちが群がっていまして、結構賑やかでした。小鳥も桜に浮かれているようでおかしかった。

この春はお陰さまで穏やかなスタートを切れています。この数年は毎年始まりから波乱の予感がしていたのですが、今年はあまり種らしい種を見出しません。
もちろん何かと問題はあるのですが、騒ぎを大きくしようという方もいませんので、そのうち静かに解決を図れると信じています。

前向きにことに当たる覚悟のある人々の集まりならば、どういう組織だって何の問題もないのです。

新年度の始め

2019-04-01 20:46:00 | 日記

今年はうまいこと新年度が月曜日から始まります。桜もいい感じに咲いて、いかにも新年度をお祝いするかのような風情。

折しも本日は新元号『令和』の発表もあり、さらに新たな年、年度が始まる感を盛り上げてくれました。皆様よいスタートを切られたのでは、と拝察いたします。

 

先週末は週末でもあり、年度末でもあって、そのせいか何とも言えない終末感がありました。

しかもこの年度末、いろいろ回収する案件が多くて、結構苦労しました。人間の裏の部分を見つつ、「やれやれ、そこまで言い訳しなくても」とか、勝手にゴールを設定(定められたゴールの遥か手前なのにもかかわらず知らんふりして)し、「(その勝手な)ゴールを達成しました!」と申告されても、ねえ。

私は冷たく「もしもし、予めお願いしていた際の仕様書にはこれしかじかが書かれていますよね。大丈夫ですよね。ご注意くださいね。」と連絡し、まだゴールに到達していないことを通達。「もう少し頑張ってくださいね〜 やらないとちょっと大変かも〜」と宣告。

追い込み、言い訳、クレーム、、、最後は感謝の言葉で終わるんですが、そこまでのやり取りは結構厳しい。その中でも最後は気持ちよく終われるためには、言葉を選ぶ必要があります。

お彼岸の頃からずっとヒヤヒヤし通しの毎日でありました。

やっと終わって脱力気味です。 ということで本日はお休みを頂きました。

昨年までの数年間はちょっとした組織的なゴタゴタを傍観していました。今年はどうかな、と思っていましたが、そっちの方はちょっと落ち着いています。

今年はまあ、生産的なことで忙しかったので、ある程度やりきった感もあり、ここ数年ではいい感じの年度末だったのかと思います。もちろん満足、というものではなかったのですけどね。

ともあれ、新年度が始まりました。今年もまたどんなごたごたが待ち構えているのやら。