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明日を信じて…

(*^_^*)

記録9

2025-08-03 14:04:41 | 日記

 

猛暑、ですね。岡山も40度を観測した場所が2か所も!

 

さて、岡山の夏といえば桃。清水白桃です。

病床で桃が、梨がと言っていた父に御供に買ったのですが、1玉が立派です。

高価な桃は「贈る」で「買って食べる」ことはまずないです。

今年から我が家の経済状況を踏まえ、今まで親戚に贈っていた桃を全て質素なものに変更しました~

で、一回くらいと買ってみました。

今年は猛暑で甘さが増しているようです。

先日友達がくれた白桃は上品な甘さが素晴らしく、とっても美味しかったです。

 

 

 

 

嫌な話

昨年亡くなった叔父夫婦はそれはもう筋金入りのトラブルメーカーでした。

叔父は難病を患っていましたので寝たきりでしたが、しっかりし過ぎて難しい人でした。

妻は後妻で、もしかしたらグレーゾーン?のような人で金銭感覚が無くその連れ子達も同じでした。

その妻は叔父の介護は一切せず、毎日酒とタバコの日々でした。

寝たきりの生活が何年も続きますと、それなりに生活費への不安も出てきます。

でも妻はへっちゃらなようでした。

叔父は賃貸でしたが、家賃滞納も数回。妻の使い込みが原因でした。

保証人である父に電話がかかり喧嘩に。

私も色んなことで何度も恥ずかしい思いを経験しました。

病状が悪化し入院し退院後、施設に入居することになった叔父。

妻も数か月後家で倒れ入院することに。

また3か月家賃未払の連絡を貰い、連れ子に連絡すると

すごい剣幕で、「それは聞いている、私だって忙しい」と

なんで?私が怒られるのか…管理会社さんが嘆いていた通りだわと。

いや~こんな人もいるんだな~ごめんなさいが言えないんだなと感心しました。

その後、管理会社からは父が体調不良だったので私が代わりに対応したことに感謝を述べられ

子にはキツイお叱りを落としたみたいでした。

1年程経ち、叔父が亡くなり、4か月後に妻が亡くなり家を空けてもらい

やっと縁が切れて良かった~と思っていたら!!!!

ある時お店で偶然出会い、第一声が「お骨をそっちのお墓に入れて欲しい」

(何を言っているんだろうかこの人はこんな所で、わけわからんことを…)

「それは無理、できない」

「今、箪笥の上に置いてるから、置くとこなくて」

「…店の外で話をしましょうか」

そうかの納骨堂に入れるよう勧めてもお金がないの一点張り。

今もの入りでお金が出せないと言い訳。

何より腹が立ったのは箪笥の上に置きっぱなしという事。

うちも父が亡くなったばかりだったから、もの入りだったんだけどね。

お構いなしの図々しさ(笑)

亡くなった父は絶対放置しないだろうな心配しているだろうなと思い、

納骨堂(合祀)を契約させ私が資金を出すことに。ネームプレートを作れば2人でまあまあな金額。

「お世話になりました」じゃなくて「ありがとうございました」と言ってほしかった。

その後、何もない。

母がうちだってお父ちゃんが亡くなっているのに、あっちにはしてあげているのに菓子箱一つ無いねと。

まあ、これで縁が切れたし、今度あったら他人だし。もう知らんし。

 

以前ケアマネさんが叔父のお金の管理を私にして欲しいと何度も言ってきたが…

あの親子に恨まれそうだったし、叔父とも仲が悪かったし断った。

過去帳にその妻の名前を書きたくなくて、1年経った。

今日やっと書けたのはどうしてだろうか?

今、故人たちは何を思っているのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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記録8

2025-07-21 13:43:36 | 日記

 

暑いです!外に立っているだけでクラクラしそうです。眩しい~

外でのお仕事の方に感謝します。

 

私の「歯」はその後良好で歯科医を変わってほんとに良かったと思うこの頃です。

昔から磨いても磨いても弱かった「歯」。

SNSである動画を見つけたのがきっかけで、これはダメだ他所を探そうと思ったのです。

頭脳明晰のうえ美しい歯科医師で「いいよ~」っていう返事が好きでした。

今でも時々見てたりします。

 

 

 

「歯」と言えば、父は84歳にして、70歳頃に奥歯を1本抜歯しただけであとは残っていたという強者でした。

栓抜き要らず、硬いものはへっちゃらで、魚の食べ方は見事でした。

そして矯正したように綺麗に揃っていました。

 

カルシウム…摂らなきゃ。

 

 

 

 

 

 

 

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記録7

2025-07-13 14:07:23 | 日記

上賀茂神社 もう何年前かな…3月末、寒くて手が震えてた。

何度でも参拝したい、でも遠い。

 

かれこれ数年は何処にも行っていない、行きたい!

で、吉備津神社か吉備津彦神社かへ…と思っていたら行けなくなって。

我が家からは結構遠いのです。

遠いと言えば先日友人がサムハラ神社へ行ってきた、とても良かったと言うのです。

良かったね~最近人気だね、どんな感じ?と聞くと付き物が落ちたみたいにスッとしたと。

おいおい、それはどんな風に?「ほんとにスッと抜けたのがわかった、軽くなったよ、凄い!」

へぇ~ほぉ~そ~かい…良かったねと。

後日談(大したことないですが)があるのですが、書くのは止めます。

惹かれてわざわざ行くのには何かあるのでしょうかね?

 

今年の猛暑、酷いですね~

夏バテしちゃいましたよ、2日発熱で寝込みました…ははは

職場での事とか色々抱え込んじゃったりで、疲れたんでしょうね。

皆様もどうかお気を付けください。

 

 

 

 

 

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記録6

2025-06-29 11:26:08 | 日記

ずぅ~と前の紫陽花

 

少し空き時間ができるかなと思っていると、何か用事ができる。

そんな感じでもう随分になります。

外に出れば理不尽な事も多く嫌になります。

日差しが強すぎて、風景が以前のような穏やかさを失っている…ような気もしています。

複雑です。

 

 

 

 

 

ちょっと不思議な話

6月1日、父の一周忌には贅沢三昧、お料理を用意しました。

これこれこの日に一周忌をするからね、御馳走だよ。と仏壇で告知しておきました。

当日の明け方、父が食卓に座っている夢を見ました。

そうか、大盤振る舞いして良かったね~と、母も私も嬉しく思いました。

仏壇と食卓に座っていたので陰膳を供え、会食をしました。

大きなあこうの煮つけ、オリーブ牛のステーキ、特上にぎり寿司、穴子の白焼きなど

好きだったもの並べました。ビールと焼酎も。

不思議なことに、遺影の頬が赤くなっていたので、え~~!!でした。

母が満足したんよ、と眺めていました。

 

 

 

 

 

 

 

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どうしよかな?

2025-06-15 15:44:29 | 日記

(ずいぶん前の薔薇)

 

ここをどうしようか、ギリギリまで待つことにしょっと。

 

 

 

 

今、歯科に通っています。し、歯周病です!!が~ん!!

行きつけの歯科がここ数年大雑把で、歯石が目視で判るくらい残っていたり、

何だか変だなと思っていたら、ある日歯茎が腫れて血が出る…

これは!!と思って歯科に行くとあっさりと歯周病だねと。

で、歯石をとっておくから~…まではよし、一周さっとして終わり。よく磨いといてよと怒るように言われ帰宅。

その後出血が止まらなくて、悲しいことになっていました。でもオカシイぞと思いながらも通院。

それから1年、結局歯が一本ダメになりました。

これはもう対応の酷さに憤慨しているのですが、信じた私もバカだった。

早く転院すればよかったのにね。

これ、噛めないでしょう、この歯はもうダメだと思いますと言われたのは新しい歯科でのこと。

今は凄くお口の中がいい感じになった。爽快✨

 

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記録5

2025-05-25 15:44:58 | 日記

お寺の境内にて

 

 

クルマが!!高くなっている!!

仕方ないことだけど…悲しい。

もう11年目の車検を受けたのですが、あまり距離も伸びていない。

そう、コロナや家の事が忙しくて遠出を全くしていなかった。

岡山市内にお買い物~なんて全くしていなかったし、ちょっとドライブなんて余裕もなっかったから。

お陰様でまだ新車(言い過ぎ)のような私の愛車。

でも11年は11年。劣化はやってくる。

どれぐらい乗れるかな~と聞いてみたらあと4年は余裕✨と言われ買うのはやめにした。

今まで5台の新車を乗りつぶしてきたが、今度は中古かな~と思っている。

 

 

 

 

父の体験4

今日は不思議な話じゃないよ~

 

うちの父は生まれて間もなくから終戦直後まで大阪・神戸に住んでいた。

ある日親に連れられ出かけた父は迷子に。

見た目が可愛かった父は、遊郭のお姉さんたちに店先に連れ込まれお菓子をもらっていたそうな。

必死で探していた祖父は、慌てて抱えて帰ったそう(笑)

どうしてそんな所にいたのかは、今となっては謎。

 

大阪と神戸には祖父の仕事で居たそう。その時にお伊勢参りにも行ったそうな。

祖父の船には沢山の食料が積まれていて、砂糖が入った大きな袋に顔を突っ込んでいては叱られた。

祖父は父を連れてよく地方の農家に食料を買い付けに行ったそうだ。

食べることには困らない生活を送っていたそうだが

空襲が始まるとそれは悲惨で、子供ながらに目に焼き付ているとよく話していました。

トラックに積まれる黒焦げの…とか、助けを呼ぶ声、呻き声とか…

もう思い出したくないのに、時々思い出すと。

 

逃げろ!という声で船にいた父家族は桟橋を走って陸地に上がったと同時に

船が粉々になったのを確認し震えたと言っていた。

その後実家に帰り、遠くから水島の空襲を見たそうな。

「お前たち世代に言っても全くわからんじゃろう、あの頃はみんな命を懸けて生きるのに必死じゃったけど…二度とああいうのはおえん」

と悲しそうに言ったのを思い出します。

 

 

 

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記録4

2025-05-11 14:11:56 | 日記

シャクヤク

 

南天

 

いつも花の時期を逃してしまう南天。

強風に揺られて。

 

 

 

 

 

父の体験パート3

 

私が好きな「船の神様」のお話し。

“ふながみさん”と呼んでいたそうです。

香川県琴平町、金刀比羅宮でお札を頂いて船にお祀りします。

金刀比羅宮は“こんぴらさん”と呼びます。金刀比羅宮は海の香りがするんですよ~。

父にそれを話すと「そりゃあ、“ふながみさん”じゃから」と自信満々に答えるのです。

うちの“ふながみさん”は凄かったで~と。

・海がおおしけになる前には綺麗な鈴のような音が聴こえていた。

・荒れた海(台風とか)での漁の間はよく、綺麗な鈴のような音を聴いていた。

・夜、寂しい場所に漁に行くと同じ音が鳴っていた。寂しがりやらしい…

それは…虫では?いや、絶対虫でしょ、鈴虫?コオロギ?と笑いますと

あんなおおしけの海の上で波の音と雨風の音、ましてや自分の命が危険に晒されている時に

そんな音を気にしちゃいられないけども、聴こえるから不思議で。

そんなに大きな音で聴こえるでもなく、澄んだほんとに綺麗な鈴のような音。と、言っていました。

で、その寂しがりやというのは?と聞きますと、「可愛いじゃろ」( *´艸`)と。

でも父もほんとに“ふながみさん”なのか何なのか?疑問には思っていたそうで、仲間に体験談を話したそうです。

すると、そういう体験をする人が他にもいたらしいのです。

生前はお陰で今がある、と感謝しておりました。

60年以上前のお話です。

 

 

 

 

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記録3

2025-04-29 15:53:32 | 日記

 

遺品整理…というか、故人の生活用品の片付けを。

一人分の家具、テレビ、衣類、寝具などなど、けっこうな量があるもんですね(;^ω^)

ついでに、何年か出来ていなかった片付けも一緒にしました。

 

 

 

 

父の体験パート2

父の実家は漁師でした。あの辺りは水軍やら色々な歴史的な背景があります。

なにかの因縁が濃いそ~な家でした。

それが原因かは定かではありませんが、とても敏感でした。

若かりし頃、漁に出かけ船の上で一夜を過ごすことになったそうです。

岸には付けれない場所で目の前は岩と絶壁。

風もなく静かな夜だったそうです。ゆっくり寝ようとすると何かが跳ねる音がする。

怖いけど確かめようと海を見渡すけど異常なし。

も~怖いな~っと思っていると船が揺れだし、海を見ると、なんと渦を巻いていたそうです。

船は揺れるし、「え~かんべんしてくれ~」と思ったそうです。

その渦は海水を巻き上げ徐々に大きくなり、

物凄い勢いで海水を巻き上げながら高く上に昇って行ったそうです。

昇って行った後は、もとのシ~ンとした海に戻ったそうです。

本当に水が渦を巻きながら真っ直ぐ上に昇って行って消えたんで~

巻き上げた水は何処にいったんかな~

もしかして龍神さまとかなら、あれは見ても良かったんかな?と言っていました。

そう、父はハッキリとあれは龍だった、と。

違うと思います。が、おもしろい体験だなと思いました。

帰宅後、仲間にその話をすると、「よ~あんなところで寝たな~こえ~わ」

と言われ二度と夜は行かなかったと。

60年以上前のお話です。

 

その絶壁の上には小さな神社が今もあります。

 

 

 

 

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記録2

2025-04-27 22:56:54 | 日記

 

 

近頃老眼のせいでピントが合っているのかわかりづらい。

ハナアブさんですかね。至近距離過ぎて、引いてしまいました。

遠慮なくやってくるんですよね。

いや~久し振りに見ました、嬉しい^^

八重桜も花水木も散りかけています。

 

 

 

 

 

なぜ、うちには神棚が無いのだろう?・・・子供の頃は疑問でした。

他所のお宅には少し高いところに必ずあり、お札もあるのに・・・

それは、祖父母がある宗教団体に属し、一家はみんな入信していたから。

神社参拝禁止、お祭り参加は…まあ子供なんでいいでしょうという感じ。

めんどくさいな…と子供ながらに感じてはいた。

でも日蓮聖人にはとても惹かれるものがあり、一言でいうと好きだった。

私の中ではスーパースターだったかもしれない。

でも、でも、神社に行った時のあの神聖さ、静寂さが好きでたまらなかったから行きたくて。

だけど家族は私が活動をしているのを喜んでいたしグレるわけにはいかなかった。

そのうち軋みだし、疑問だらけでパンク。

じゃあどうするのか…私が中から変えるのはどうか?それには上まで上り詰めなければいけない。

(アホだな~と思った、今となっては笑い話)

一応頑張った。が、いくら頑張っても疑問が増えるばかり。

これ以上自分を壊すのはやめよう、もうやらないと決めたのは20代後半。

あの頃は、何故か悪いほうへ転がって行ってしまっていた。

暫くして神社巡りを始めた。一緒に参拝に行ってくれる良い友にも恵まれた。

なんていうか、嬉しかったな~

伊勢神宮へ初めての参拝をさせていただいたのは40歳を過ぎてから。

(ああ、年がばれるかも)

多賀宮を参拝後、頭に緑色の虫がボテッと落ちてきたのは忘れられない。

小さな虫にしては結構な衝撃を感じた。喝を入れられたのだろうか( *´艸`)

 

突然ですが奇談?怪談?を一つ。

父の体験パート1

若かりし頃、映画を見た帰り細くて暗い近道を歩いていました。

道の片方は2mぐらい下に畑があり、もう少し先にはお寺がありました。

突然真っ暗になった?と、気づいた時には2mの土手を下り畑の中を歩いていたそうです。

畑の真ん中で気が付いたそうです。

ビックリしてよじ登ったそうです。出口を探す余裕は無かったそうです。

狸にやられた、と言っていました。

その辺りはそんな目に合う人がたまにいたそうです。

今は住宅地になっています。

 

 

 

 

 

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記録1

2025-04-20 23:30:54 | 日記

 

 

躍動感があって好き

 

今、世界が変わろうとしています。

慣れ親しんだこの場所も無くなります。

サービス終了後はどうしようか、考え中です。

 

 

 

以下、個人的な記録を書きます。

 

 

 

私は最近よく子供の頃を思い出します。

今と比べれば何も無い時代で、どこの家庭も生活のために一生懸命だったと思います。

テレビのチャンネルはダイヤル式だったような…

洗濯機の脱水もローラーに挟んで絞っていたよね?

でもそんな何もないあの頃がとても懐かしいのです。

質素でものを大切にし、新しいものを買ってもらえば嬉しくて、嬉しくて。

それが社会人になった頃から、ガラリと世間が、自分が変わってしまって…

お金さえあれば欲しいものが手に入る…時代を生きてきてしまった。

だけど、ものでは満たされない。何をしても満たされない。

求めたものはただ一つだったから、探そうと思った。

そのためにまずは親孝行しなくちゃ、両親を綺麗な環境で看取りたい、絶対不幸な環境に置かない。

まずはそれを使命とする。

だから災害も争い事も絶対起こさせないのよ~(でも無理だったし、烏滸がましい)

と、本気で思っていた私。

そんな時、ネットで見つかるかもしれないと思い毎日のようにスピ系ブログを渡り歩く。

絶対いる。と変な確信を持っていたのには今でも不思議に思う。

何が?と聞かれれば「〇〇〇」と答えていたと思う。

最初は本を見つけたのだけど…紹介されていたサイトが??で見送った。

だけど気になるってもんじゃなく、しかも頻繁にネット上で見かけるようになって(笑)

2008年初頭、一歩遅れて無事、ブログに辿り着いた。

私の登山はここから始まった。

 

 

 

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