無知の知

ほたるぶくろの日記

世代交代の必要性

2015-08-29 10:47:09 | 組織

昨日は某県の知事が「うっかり」発言をしたとのニュースが流れていました。「うっかり」は重要です。人間の深層意識がそれこそ「うっかり」出てくるのですから、いい間違えはともかく、「うっかり」発言は見逃すことはできません。某人の深層意識には「女子はだまっとけ」という意識があるのだと思います。これが世界の実態なのでしょう。

三角関数は重要です。世界を数学の言葉で表現するとこんなふうにも表現できる、という非常に重要な場面です。私は大変に感動しました。それが教育課程にあったことに大変感謝しています。問題はその本質を伝えきれていない教育方法の未熟さだと思います。とくに某人が教育された頃の方法論はよくなかったのでしょう。人類にとっての三角関数の重要性が理解されていなかった、ということなのですから。(もちろんご本人の問題かもしれませんが)

東大法学部卒とのことですが、彼らの科学リテラシーはそんなものなんだ、と世に知らしめたことになります。みっともないことです。ご自分の教養の低さを猛省して頂きたい。某県の皆様におかれましては残念な出来事であったとお見舞い申し上げます。

リケジョなどというアドバルーンにだまされず、世の中の女性はありとあらゆる知性を磨き、教養を深め、人間の社会の進化に貢献して頂きたいと思います。

最後にひとこと。このような世代の男性の妄言にいつまでもつき合っていられません。もう少しお若い、現代の世界感覚をお持ちの、しかも謙虚な男女を組織のリーダーとして選んで行きたいと思います。


少子化

2015-08-22 14:52:19 | 組織

以前にも書いたかと思いますが、日本の少子化と超高齢化社会の到来はもう30年前から予測されていたことです。あの頃から原因はなにか、対策はなにか、とあちこちで議論されて来ました。しかし、結局対策は不十分なまま現在に至ってしまいました。

私も考えていることを少し書いてみます。

女性が社会進出し、自分の収入で生きて行くことができるようになりました。100年前のことを考えれば、ここまででもものすごいことです。女性が一人で思いっきり仕事をし、自由に生活していける世の中になっているのです。二千年前からの女性が夢見た生活が、今実現しているのですから、これはこれで女性にとって寿ぐべきでしょう。しかし、次世代を産み育てる、という人間社会の重要な属性が過小評価される社会となってしまいました。

「子どもはうるさい。邪魔だ。」でも私たち大人も、かつてはそのうるさい、ものを知らない、子どもでした。父母が、社会がその子どもであった私たちを養育し、今日があります。

女性が結婚、出産を選択することは現在享受している自由を捨てることを意味します。とくに子どもを持った時の女性にとってのあまりに厳しい現実は恐ろしいものです。そのことを皆さんわかっているのです。女性が結婚出産を避けている。それを誰がどう批判できるのでしょうか?

一歩はなかなか踏み出せないでしょう。私の親の世代はそれでも家庭を築くことを強く願っていたため、私はその一歩を踏み出し、厳しい中を進んできました。今の40代以下の世代の親御さんはその厳しさを娘さんに強要することをためらっているかもしれません。

しかし、このままこの社会が進んで行けば日本人はいなくなっていくでしょう。増殖率が落ちた生物の淘汰はあっという間です。

これは女性の問題ではないのです。日本国の問題です。男性の皆さんもこの現実を直視し、何をどうしたらこの少子化を乗りこえられるのか考えなくてはなりません。

仕事をしながら子育てするのに重要なことは、職場と家が近いこと。保育園が充実していること。それだけでも大分厳しさは和らぐはずです。

社会的には数の論理がものをいうでしょう。子どもさんをもった女性がもっと様々なかたちで働くことです。どのような社会的制度が必要であるのか、ニーズが明らかにされない限り、社会的に実効性のある対策は出てきません。

保育園とは厚労省の管轄ではないでしょう。文科省の管轄であるべきです。福利厚生ではなく、子どもは産まれた瞬間から将来の日本国を支える人材です。教育され、大事に養育されるべき人材です。ゆえに文科省が管轄し、必要に応じて厚労省が手を貸すことも必要でしょう。特に小さい子どもさんのいる家庭の男女の労働環境を整えるために。子どもの養育には父母が同等に必要ですから。

まさに内部から崩壊しかねないこの国の状況を考え、真剣に取り組むべき時期にきていると思います。


家事は科学だ!9- 牛乳のあれこれ

2015-08-18 10:40:24 | 生命科学

何を隠そう、私は牛乳が飲めません。

ヨーグルトは大丈夫なものと、ダメなものがあります。生クリームは大抵大丈夫です。たまに「う?」と思うものがあるくらいです。ココアもお店によっては牛乳の分量が多いととても飲めません。おまけにたっぷりと生クリームがトッピングされ、その生クリームが私にはダメなものだったりすると溜め息ものです。驚きはアイスクリーム。ちょっと前までのハーゲンダッツアイスクリームのバニラやストロベリーはダメでした。(ちなみに最近のものは大丈夫。これはこれでちょっと怖くもあるのですが。。)

ところがチーズは殆どどんな種類でも美味しく頂きます。牛乳をたっぷり使うホワイトソースもいたって美味しく頂きます。ホワイトシチューも大好き。

義務教育の期間、給食は本当に嫌な時間でした。中学のときには流石に残すことで凌いでいましたが、小学校の頃は飲むことを強制されていたため、申し訳ないことですが「地獄」のようでした。毎日のことです。本当に牛乳摂取の強制は辞めて頂きたい。毎日給食の時間には、どうやって牛乳を消費するか、が課題でした。ともかく臭いを嗅がないよう、息を止め、一気に飲み、その後息を止めたまま香りや味の濃いおかずを食べる。という作戦で凌いでいました。他にも数人そうやって涙目になりながら給食の時間を過ごしていた方を知っています。洋風の献立の時はそれでも何とかなるのですが、「ひじきの煮物にちくわの磯辺揚げ、パン(!)牛乳」なんて献立、信じられますか?おかしいでしょ。聞いただけでぞっとします。

健康にもいいわけがない、と思います。あの頃はまだ戦後の記憶が生々しい頃でしたから、ひもじい思い、栄養失調を経験した大人たちは、何とか次世代の子どもたちには十分な栄養を与えたい、との思いだったのだろうとは思います。しかし、それにしても「栄養」にばかりに気を遣われた給食にはあまり良い想い出はありません。牛乳にまつわる嫌な思いは根深く残っています。

こういう人間がヨーロッパに住むことになり、やや心配していました。乳製品を山のように消費する生活です。困ったな~と密かに思っていました。ところがそれは杞憂に終わりました。流石に牛乳は試したことはなかったのですが、ヨーグルト類はすべて大丈夫でした。生クリームもすべてOK。とくにバターの香りの良さ、味の良さは感動的でした。生クリームの味も申し分なかったです。アイスクリームもだめだと思ったことはありません。あの私の嫌いな成分の臭いが少ないようだな~と漠然と思っていました。

さて、牛乳、日本のヨーグルトと生クリームの一部はダメだが、チーズは大丈夫。アイスクリームはだめなのにホワイトソースはOK。一体どうしてなのでしょうか。自分でも本当に不思議です。

バターも好きですし、カテージチーズも大丈夫。乳固形分は大丈夫ということですね。つまり、乳清部分に私の嫌いな臭い成分があるようです。ホワイトソースが大丈夫なのは小麦粉によって、マスキングされるせいでしょう。ヨーグルトは乳酸菌の種類によって私の嫌いな成分を分解してくれない菌があるからだと思います。そういうことで、今でもこれという物質名は分からないものの、何らかの水に溶けている成分、ということは分かります。しかもヨーロッパでの経験からすると、ひょっとするとこの成分は日本の牛乳に多いのかもしれません。

最近は牛乳の生産者の方々も研究されていて、嫌な臭いは加熱殺菌の過程で変性したタンパクの臭い、ということで「低酸素加熱殺菌法」など開発されているようです。本当かどうか試してみればいいのですが、子どもの頃の想い出が強すぎて、とてもじゃないですが試そうとは全く思いません。

ところで牛乳の殺菌にはいろいろあります。大きく分けて「63℃~68℃、30分」の「低温殺菌」(=パスチュライズ)と「120℃~130℃、1~3秒」の「高温殺菌」、中間の「72℃以上、15分程度」の3種類があるようです。このうち高温殺菌法が一番殺菌力は強く、細菌の耐熱胞子も死滅させます。最も消費期限が長いので、スーパーなどでも一般的に種類は最も多いものです。それに比べ「低温殺菌」牛乳は種類も少なく流通量も少ないようです。

私は苦手な牛乳ですが、家人は朝のカフェオレにこの「低温殺菌」牛乳を愛飲しています。「全然味が違う」と家人は言います。

試してみればいいのでしょうが、今だに勇気がでなくてダメです。果たして私の嫌いな臭いが加熱臭かどうかも不明なままです。大変美味しい、と評判の紅茶専門店で「ロイヤルミルクティー」を頂いたことがありましたが、それももダメでした。そういえばいつぞや流行ったイチゴミルク飴も食べられなくはなかったですが、苦手でした。

もう少し暇になったら本格的に犯人探しをしてみようと思います。


お盆の終わりに

2015-08-17 19:59:35 | 日記

今年のお盆は本当に何年か振りに落ち着いて過ごすことができました。

いや、もしかすると何十年か振りかもしれません。

母が旅立った年のお盆は賑やかでした。本当に有り難かった。でも静かにいろいろ思うことはできませんでした。私にはそれまでに大勢の弔ってあげたいと思う御霊がありました。母の旅立ちをきっかけに何とかしたいと思いました。

現代の家庭には、神棚も仏壇もないお家が殆どでしょう。

生きていますと、知人の旅立ちを経験したり、自然への深い感謝を感じる時があります。しかし、そんなとき、私たちには祈る場が家庭にないのです。神社やお寺は行事の場になってしまっています。そうではなく、日々の生活の中で祈りの時間を持ちたかったのでした。

一念発起し、母を含む御先祖様と知人たちをご供養する場と、自分を含め宇宙までをも感じることのできる森羅万象の自然をお祭りする神棚を設けることにしました。もう、どうしてもそうするしかない、という気持ちになりました。

最初から神棚と仏壇に行き着いたわけではありません。どうして良いか分からない時が1年ほど続きました。まずは仏壇。故人を思う場が最初でした。

今は仏壇も神棚もあります。簡易なものですが、やはり人間が生きて行く上で必須のものだと思います。心を立て直し、正しい方向を見失わないための道標のようなものでしょう。心の中にはもちろんありますが、現実の身体の外側に設えておく、ということは深い知恵なのだと思います。


家事は科学だ!8- 台所あれこれ

2015-08-09 22:21:38 | 生命科学

気温が高いと水廻りにはカビやら何やらが増殖します。シンクの構造はいろいろですが、うちのはスポンジや洗剤を置いておく金属製のラックがシンクの内側の壁に引っ掛けるようになっています。当然、調理や洗い物の水はラックの裏側にも廻ります。

普段の洗いものでは最後にシンクもきれいにしますが、このラックの裏側は水をまわしかけるくらいになっています。そこで気がつくと黒カビが発生していたりします。

そこで最近は週に一度、ラックを外し、洗剤の入れ物やラックそのものも洗います。ラックは径5ミリほどの針金といいますか金属棒を溶接して作ったもののため、溶接部分がざらついています。そこに黒カビが生育しています。古い歯ブラシでこすればすぐに取れますが、これをやる度に、作る人が自分で家事をやっていない人なんだな、と思います。溶接部分がもう少しなめらかなら、こういうこともないですし、洗う時もスポンジが引っかからず、洗い易いのですが。

さて、もう一つ気になるのは洗った食器を置いて乾かすためのラック。なるべく朝には乾いた食器をしまって、底に溜まっている水を捨て、ラック自体を乾かすようにするのですが、それでも一ヶ月位しますと、赤っぽい水垢、多分カビか酵母の類いが増えているのがわかります。

これまで、これを掃除するのには次亜塩素酸(例えばハイターとか)を使っていました。しかし、思うところがあって、最近クエン酸を使うようにしてみました。3リットルほどの水に大さじ2杯くらいでしょうか。溶かして2時間ほど浸けておきます。するとフワフワと赤っぽい水垢が浮いてきます。後はスポンジと必要ならば洗剤少々で洗い上げ、乾かせばすっきり。塩素剤と比べてその後の微生物の発生が速いかな、と思っていましたが、そんなこともなく推移しています。

結局、水道水中のカルシウムなどが結晶したものを取り除くのが大事で、塩素による消毒はそんなに必要ではないことが分かりました。危ないですし、なるべく次亜塩素酸の使用機会は減らしたいと思っています。除菌=清潔では必ずしもないところが、微生物との付き合いで難しいところです。

微生物と上手につき合ってきた日本の伝統を生かしたいと思います。