無知の知

ほたるぶくろの日記

人間が生きるということ

2014-08-31 08:45:51 | 生命科学

高校生の科学への興味についてtwitterで流れていたグラフがあります。このグラフを大変興味深く拝見しました。明らかなのは

1)アメリカでは男女に差がない。

2)日本は男女とも天文に興味が高い。

3)日本は男女ともにアメリカに比べ人体への興味が低い。特に男子は低い。

4)日本の女子の物理、化学、地学への関心の低さ。

 

1)アメリカでは男女に差がない。

これは見事なほどに差がありません。調査がどうやって行われたのか突っ込みたくなるほどです。少なくとも科学への興味の男女差というのが、自然な性差によるものではない、という事実を示すよい証拠ではあります。

つまり子ども達の興味というかなり本質的と思える現象も社会的な影響が大きい、ということになります。このことは「そもそも女子は物理、化学、地学への興味が低い」とあたかも脳の性差が自然でア・プリオリなものであるかのように決めつけることはできないということを意味しています。

女子の皆さん、自分が物理、化学、地学に興味を持っているとしても、それは実に自然なことなのだと自覚してください。そしてそれはこれから少し続けて書いていこうと考えている「家事は科学」のために、ぜひとも強調しておきたい点です。

4)日本の女子の物理、化学、地学への関心の低さ。

「私はそういうのは全く興味がなくて」とは家事をやって行くために大変困ったことです。さらに言えば、家事をやって行くために留まらず、生きて行くために大変困ったこととも言えます。

人間が生きて行く、とは総合科学です。男女ともに興味のないはずがないと思います。幼児の頃、誰でも「なんで?なんで?」の時期があったとおもいますが、それは人間であって、考えることを性としている人間の脳の働きの根源的な表現だと考えられます。この世で生きて行くために、自分を取り巻くいろいろのことを理解したい、知りたい、という本質的な興味は、人間が生きて行く知恵に直結しています。女子のこれらの分野への興味の低さは、あまりにも偏っていて、健全な人間の知性のあり方とは思えません。

2)日本は男女とも天文に興味が高い。

現実逃避なんだろうか。と心配するのは考え過ぎでしょうか。悪いことではないと思いますが、まさか作物のことや自然災害などを心配しての天文への興味ではないと思いますが。そうだとすれば、すごいな~。

3)日本は男女ともにアメリカに比べ人体への興味が低い。特に男子は低い。

これもまた、人間が生きて行くことに関して興味がない、ということが示されているようで哀しくなります。自分の身体のことです。動植物への興味はあるのに、なぜ人体への興味が低いんでしょうか?特に男子にその傾向が強いようですが、一体全体自分の身体のことを知らずして、どうやって心身健やかに生きて行こうというのでしょう?

 

さてこうしてこのグラフについて気づいたこと、を書いていくうちに、日本の女子への社会的影響の大きいことを改めて思いました。女子の興味が歪められている、と私は思います。

「そんなこと、女子が興味を持つことじゃない」

というフレーズはまだまだ健在だ、ということです。

女子の皆さん。そんなフレーズから、知性を自由にしましょう。「虫愛でる姫」などという物語があるほど「自然に興味を持つのは変わり者のの女子」という観念が日本の社会の根底にはまだあります。

そんなことはありません。人間の根源的な興味であり、生きて行くためにものすごいパワフルな知恵の源泉なのです。パワースポットに行くよりも、自分の身の回りの観察に力を入れる方が、人生は好転すると思います。

男子の方ももう少し人体に興味をもって、自分が生きていることの仕組みを理解し、自分自身のケアに責任を持つべきです。家事は生きるために必須の作業。自分の心身をを正しく保つために非常に重要な生きる知恵です。禅宗の作務は家事です。神聖な作業であり、人間の生を正しく保つ根源である、ということです。

 

普段の生活の一つ一つに科学を感じ、なんとなくやんなくちゃ行けないからやるのではなく、家事作業を裏打ちしている科学的根拠について思いを巡らせていくことは、生活をとても豊かにしてくれるかもしれません。


調査委員会報告書について

2014-08-02 18:31:35 | 生命科学

 

早稲田大学の「大学院先進理工研究科における博士位論文関す調査委員会 」の報告書全文(82頁)を読ませていただきました。

32頁から始まる「第2章 調査結果、II. 本件博士論文の作成過程における問題点の検証、2. 本委員会による認定の補足 (1) 本件博士論文の元となった実験の実在性について」の部分が科学的には最も重要な部分なのですが、そこには延々たる黒塗り部分があり、殆ど報告書としての意味をなしていません。とりわけハーバード大学への取材部分は関係者の証言が殆ど黒塗りで全く分からないことになっています。

このような報告書を公開して頂いても「本件博士論文の元となった実験の実在性について」何も分かりません。もっともこれは早稲田大学への報告書であるため、われわれに分からない報告書であっても構わないものなのです。しかし公開したにもかかわらず、この報告書でもっとも重要な当該箇所を黒塗りにするとは、早稲田大学は外部委員会にこのようなきちんとした報告書を出してもらいました、と示しているに過ぎません。いわゆるアリバイ工作のようなものでしょう。その内容に関して、適切であるかどうかを世間の人々に公開し、判断して頂くものではないと考えざるを得ません。 

報告書は多くの関係者への取材がなされており、もしも黒塗り部分がなかったら有意義なものであろうと考えられるため大変残念です。今後早稲田大学がこの報告書に基づき、どのような判断を下すのか注目されるところですが、O氏の学位の問題のみならず、博士論文審査に関わる制度の整備についても改善されることが強くのぞまれます。現在の体制では、到底まともな審査とはいい難く、早稲田大学の当該学部学科の博士号は博士号として通用しないものと看做されましょう。

 

折から東京大学の加藤研究室における不正事件に関する報告書、「分子細胞生物学研究所・旧加藤研究室における論文不正に関する 調査報告(第一次)」が昨日公表されました。こちらは7頁という短いものではありますが、論旨は明快であり、その主張するところも納得できるものです。また、委員会の構成員全員の氏名もあり、黒塗り部分などはありません。

加藤氏は名誉毀損での訴えも辞さないとのことですが、関係者4人は法廷で堂々とやり合ったらよいと思います。研究室運営の何が問題であったのかが明らかになることは今後の日本の研究組織にとって有益です。

 

O氏の問題については色々なところで議論が盛んになされていますが、これも大変よいことだと思います。問題が明らかになることが最も大事な第一歩であるからです。今後も引き続きこの問題についてフォローして行きます。