無知の知

ほたるぶくろの日記

理研CDBは「論文の検証実験」を行うべき

2014-06-29 23:05:35 | 生命科学

産経ニュースの記事を読んでいて、理研CDB幹部の目を疑うような発言を見つけました。 

『これに対し検証実験の責任者を務める発生・再生科学総合研究センターの相沢慎一特別顧問は取材に「検証は不正の有無や人物を明確にするものではない。改革委の提言は全くの誤謬(ごびゅう)で従えない」と反論した。』

 理研が内部的に進めている「検証実験」は何を検証しようとしているのかがこれでよくわかりました。彼らが問題としているのは、「STAP細胞の存在」だということです。

完全に感覚がずれています。

今、理研改革委員会が指摘し、問題となっているのは「O氏は本当に論文通りの実験をし、結果を得たのか?」です。だからこそ、どのような実験条件で何がなされたのかを論文のプロトコールにしたがって「検証する」ことが理研のやるべき検証実験のはずです。

STAP現象が真実であるかどうかはその後に行われるべき、新たな実験のはずです。

 

これだけの問題になっていながら、平然と改革委員会の提言を無視する、その傲岸な態度は理研と言う巨大な国家予算を執行する機関のトップの取るべきものではないでしょう。ブラック・サイエンティストとしか言いようのない、黒い執念を感じます。

この行動からも、今回の問題がO氏の不正や捏造、というよりは理研CDBの上層部の問題であったことが窺われます。理研CDB上層部はSTAP現象を信じており、その証明のために十分な証拠がそろわないまま、論文を作成したのでしょう。「特定国立研究法人」の指定を得るためにも、あの時期にNatureの論文が必要だったからです。

後にいろいろ物言いは出るかもしれないが、それまでにさらなる実験を重ねて既成事実化してしまえばいい、ということだったのでしょうか。まるっきりの出鱈目だと考えていたら、あの論文をあそこまで大仰にプレス発表することはなかったかもしれません。

 

ともかく、彼らの意図がどういうものであれ、彼らの「検証実験」はそれらの実験のための資金を提供している国民の求めているものではありません。彼らはまず、「O氏らが作成した論文の検証実験」をし、何が起こっていたのかを説明する責任があります。その責任を認識して頂きたいと思います。正しい現状把握のできる正常な精神、心理、思考を取り戻して頂くことを、理研CDBの上層部の方に切に望みます。


社会を育てること

2014-06-22 13:32:38 | 日記

都議会の問題についてももう少し考えてみます。「Women's liberation」というコメントがありましたが、この今や「死語」になっている言葉を掲げるとは、殆ど件の「都議会でのヤジ」に等しいものです。

若い方には「Women's liberation」という言葉にどのような背景があるのかを感じ取ることは難しいでしょう。今の40代以上の方であれば、それがどんなにか様々な問題を含んだ言葉であるか、お分かりになると思います。

私にもこの言葉に関する、数々の苦い想い出があります。この言葉の下に行われた政治的活動、文化的活動には実に様々なものがありました。人間の社会生活全てにおいて影響があったと思います。

しかし、1990年代頃から現実は思想を凌駕し、スローガンの下の硬直した政治的、文化的活動は顧みられなくなりました。私自身、この言葉を聴くのも書くのも殆ど20年ぶり位のように思います。未だにこのような言葉を使う方がいるのか、と驚きました。

1980年代はまだこの言葉の下の政治的、文化的活動が盛んであり、「先駆的な商業的女性雑誌」もこの言葉を上手に利用し、迷い悩む女性へ商業的立場からのメッセージを送っていました。そして、この頃から、何か女性蔑視、セクハラを指摘しますと、ある種の男性は「またアレですか、うんざりだなぁ」などと薄ら笑いをしながら「まあ、落ち着いて」などと言っていました。

その後、事態はさらに悪化し、「○○は文化だ」であるとか、健全な家庭、正しい社会生活を破壊するような言説が、あたかも「人間の自由」であるかのように流布するようになりました。上記のような男性は「家庭なんかに縛られないで自由を謳歌すればいいんだよ。フリー○○○だよ。」などという、恐るべき発言をしながら、いわゆる「自立した女性」を食い物にしてきました。女性がある社会的構造から自由になったとみるや、真の自由とは何の関係もない、次の軛に女性を繋いだのです。

私にとって上記の言葉とはここまでの歴史を走馬燈のように憶い出させる忌まわしい言葉です。

今回の都議会での品性に欠けるヤジの問題と上記の言葉とは何の関係もありません。人間として言ってはいけないことはいけないのです。家の中で一人つぶやくというのなら、それは仕方がありません。その方の人間性がその程度だということであり、社会的に問題を起こさない限りどうということはない。

しかし、最近痛切に思うのは、人間の善悪、というものは明確にしなくてはいけない、社会は育てなくてはならない、ということです。人ごとではないのです。この国の大人として、次世代の子ども達に、はっきりと明確に、何が正しく何が間違っているのかを示す責任があると考えています。

さて、最後に件のヤジを飛ばした都議会議員へ質問があります。

「あなたは独のメルケル首相が少子化対策について意見を述べているときにも同様のヤジを飛ばすことができますか?」

あなたのヤジが正当な正しい考えの下に行われたという信念があるならば、できるでしょう。そうであるならば名乗り出るべきです。そしてあなたの信念が何であるのか政治家らしく、開陳するべきです。

そうでないのなら、やはり政治家らしく、潔く名乗り出て謝罪をし、受けるべき社会制裁を受けるべきです。それができない無責任な政治的発言者であるならば、声紋分析から特定され、議員辞職を迫られる不名誉を甘んじて受けるしかありません。あなたには議員である資格はありません。


研究組織の自治について

2014-06-21 22:11:58 | 日記

理研の杜撰なガバナンス。

都議会の侮辱的ヤジ。

どちらも不正をした当事者は名乗り出ず、それを知っているものもいるはずであるが、告発しない。これらは全く別の事象ではありますが、構造的に似ているところがあります。

1)当事者が非常に卑怯な人間であること。

2)それを庇う人間集団がいること。

とくに2)の事象とは1)と同様の人間がある程度の数存在し、利益を共有しているということを示しています。

どうしてこのような情けないことになっているのか。

 

例えば理研CDBのトップにいる(いた)人々を私は以前から存じ上げているわけですが、個人的な部分で様々な社会的問題を持った方々です。ここではその詳細を明らかにすることは控えさせて頂きますが、まさしく週刊誌の題材に取り上げられるにふさわしい数々の行状は、かなり広く知られています。もう少し踏み込んでいうなら、上記の「行状」とは現代の言葉でいうなら「セクハラと女性蔑視」です。

それでも彼らは学者としてはある程度優秀であったため、そのような人間的に卑俗な部分は「ちょっと一風変わった人」という程度に解釈され、放置されてきました。しかし、そのような人々が人格的な問題をもったまま、研究所のガバナンスを担当する地位に就いた、ということは大きな間違いでした。

そもそも彼らが人格的に組織のガバナンスを担当できる人間ではないことを知りつつ、その任に就けてしまったのは誰だったのか。そのコミュニティにおいては彼らの「人間的に卑俗な部分」が「大したことのない問題」であったということかもしれません。しかし、一事は万事なのです。「人間的に卑俗な部分」は個人的生活における行状には留まらず研究所運営というところまで敷衍される、ということになぜ思い至らなかったのでしょうか?これらの行状を平然と行う方とは、人間としての根本が腐敗しているのです。それは必ず組織の腐敗を許容するのです。

もちろん、研究世界の末端にいる方々が(自分も含め)それを許してしまった、ということも問題だったのかもしれません。もちろん人事に介入することはできませんが、少なくとも問題がある人物であることを知っていながら何ら公に発言をしなかった、とは隠蔽に等しかったのかもしれません。

しかし組織、あるいはその世界の末端に生息する人間にとって、それはとても難しい課題です。それでも、今回の事件はそれをやって行かなくては今後もとんでもない人間が組織のトップに就く可能性のあることを明確に示してくれました。

 

研究者社会は一般社会とは異なった特殊な価値基準をもった社会であるため、組織管理のためのトップを選出することに弱い部分があるように思います。問題になっている理研CDB上層部のある方は「どこを切っても金太郎飴のような人間ではよいサイエンスはできない。」というコメントをされていたそうです。この考え方は「多少人格的に問題があってもそれは「天才」なんだからしょうがない」「優れた科学者は道徳とは無縁だ」という解釈にも発展しかねません。実際そのような解釈を堂々と述べておられる方を何人も見てきました。

公的資金を投入している研究組織において、適切なトップを決定するためには、やはり研究者以外の様々な人間からなる外部評価委員会、経営委員会などの設置が重要でしょう。そして組織外部にコンプライアンス部署を設置することも必須です。残念ながら研究者社会は組織の自治を維持できる集団ではない、ということが明らかになってしまったのですから、これは当然のことでしょう。


品位のかけらもないヤジを飛ばした議員は辞任するべき

2014-06-20 22:42:04 | 日記

ヤジの一件はまことに酷い話しです。放っておいてはいけません。わたしも「東京都議会における差別発言を許さない市民一同」の署名をしました。

このような議員は税金で雇う資格なし。即刻辞めて頂きたい。本人が名乗り出ないなど、もってのほか。それなら周りで聞いていた議員がいるはずです。きちんと告発するべきです。

このまま許されて終わってしまうことは絶対にありえません。当該議員は特定されるべきです。隠匿することも同罪です。これがうやむやになるようなことがあるとすれば、日本はもう道徳のかけらもない国であったということです。

当該議員は即刻自己申告し、辞職するべきです。


理研CDB改革委員会の提言について

2014-06-18 21:47:40 | 生命科学

標記の提言をじっくりと読ませて頂きました。理研CDBのトップの方達を以前から存じ上げている私には、内状に踏み込んだ理研CDBの分析だと感じ入りました。

STAP細胞事件は起こるべくして起こったのです。何がおかしかったのか。再生医療へと動く資金があまりにも魅力的だったのでしょう。

 

そもそも「体細胞のストレスによるリプログラミング」はV氏が長年追求して来たテーマだったのだと思います。V氏は体細胞の中にあるスポアのような細胞の存在を主張していました。彼のスポア細胞の概念は、これまでも何度かここでも書いた多能性成体幹細胞である部分正しいことが証明されつつあります。

V氏がさらに体細胞のリプログラミングへと考えを進めたとしてもなんら不思議はありません。実際、彼はSTAP細胞のアイディアは自分がオリジナルだと主張していました。一月の論文発表の際、彼は論文に名前が入っているとはいえ、殆ど彼の寄与については触れられていませんでした。あたかもO氏が一人で考えついたかのような発表でした。そのことをV氏は知っていたのでしょうか?

たとえSTAP細胞が本当にあったとしても、クレジットはやはりV氏にあるといえます。この仕事が何か賞の対象になるとしたらV氏が受賞するはずです。しかしながら、一月の発表の際はあたかもO氏の発案であるかのように発表されていました。もしもV氏があの発表を観たら、怒ったかもしれません。

 

今日のニュースではO氏はW氏のラボで提供されたマウスしか使用していない、と言っていました。彼女が嘘をついているのではないとすると、ひょっとして誰かがES細胞を混ぜ込んだのでしょうか?まさか理研CDBが独自にO氏抜きで検証実験をしようとしていることと、関連があるのでしょうか?疑惑は膨らんで行くばかりです。組織内では真相が解明できない体であるのは明らかです。文科省に作られたタスクフォースの主導できちんとした検証がされることを注視していきます。