無知の知

ほたるぶくろの日記

ちょっとショックでした

2019-10-19 21:49:25 | 組織
○マ○シ会、という農業共同体があります。
戦後間もなく設立され、今まで70年余り続いている、不思議な集団です。
これがまた三重にある、というのも何とも言えない。

私もかつて学生だったころ、この共同体について少しだけ耳にしたことがあります。
まあ、ユートピアを構築しようとして、閉じた共同体を作っていて、内情を漏れ聞くに、思想統制、洗脳と思しき「余計なお世話」的、個人的思想への介入があるようで、ぞっとしました。



今回なんと某電子図書サイトを検索するうちに、その共同体の中で生まれ育った方が描いたマンガの紹介に出会い、久しぶりにその名を聞いてびっくりしました。

「まだ続いていたんだ。」

というのが正直なところ。そして、レビューから推測される、子どもたちの『虐待』ともとれる育てられ方に心底驚きました。また、レビューを書いている、マンガを読んだ若い方たちの感想が、大変興味深かった。

これって虐待?と拒絶反応を示す方もあれば、淡々としたマンガ著者のスタンスに興味を感じている方も結構いる。

虐待の中で生きてきた著者が、淡々とその虐待の状況を語る、のはそうならなければ生きて行けなかったから、という事実に気付いてください。

この共同体については「大人に対する『研鑽会』と称する会の実態は『洗脳』である」と某精神科医師も指摘している。私も過去にいろいろ聞いていたがその通りだと思っている。人間の個性を「癖」等と称して徹底的に破壊矯正しようとする。そして人々の情緒を破壊し、ロボットのように「淡々と目の前の事柄に対応して行く」人間を作ろうとしている。

擁護するわけではないが、おそらくは真に宗教的に「人の生きる、とは修業である」と観じ、「淡々と目の前の事柄に対応して行く」とは理想ではある。

だが、その両者の「淡々と目の前の事柄に対応して行く」精神的境地は全く逆である。前者は破壊された精神の行き着いた『果て』、であり、後者は積極的な『到達点』である。

最終地点の人間の有り様が似ているとは、皮肉なものである。

某宗教学者は著書の中で、「○マ○シ会の実顕地を作りだしたのは日本人であり、そこには個人を集団と融合させることに価値をおく日本的な価値観が生きている」とか「○マ○シ会は日本企業の究極形?」とか主張しているらしい。これは彼としては肯定的な主張なのだが、私はこの主張は否定的な意味で的を得ている、と思っている。

この「個人を集団と融合させる日本的な価値観」や「日本企業の究極形」が、まさに日本を衰退に導いている。もちろん「個人を集団と融合させる」ことは宗教的には大変高い到達点であり、境地であることは分かっている。

しかし、他人をそのような境地へ追い込むことは、虐待である。
許されない悪魔の所行なのである。どんな綺麗ごとや言い訳もあり得ない。
「基本的人権」は人間社会の叡智である。

原因追及の甘さ

2019-10-05 07:59:21 | 組織
今日はちょっと固めの話し。
ある経済学者(英国人)が日本経済低迷、「失われた20年」の原因について分析しているのをちらちら、と流し読みしました。
日本は中小企業が圧倒的に多いことが諸悪の根源、という分析結果。

ある意味で確かに。
企業体の規模が小さいと、賃金レベルが低かったり、それこそ有休も取りにくかったり、残業を減らしにくかったり、「コンプライアンス」遵守など軽視されたり、ということは起こりやすいでしょう。
経営という視点からみれば、非効率極まりない、でしょう。

彼は盛んに感覚的ではなく、科学的に分析され、判断されるべき、と言います。最近よく耳にするevidence based policy making (EBPM) ですね。そこは私も同意します。ただし、そういいつつ、彼の主張の根本は、やはり感覚的に到達した、「中小企業が多すぎるのが原因」という結論であり、その結論に向かってevidenceを集めてるのでは、と危惧します。

しかし、では中小企業が合併されて、大企業になったとして、そこには何が待ち受けていると?個性を無くした商品や、サービスやらが溢れるのです。大きな企業体の判断は「無駄の排除」。

もう一つの問題は組織体の未熟なままでの大企業化。今だに組織の上層部では昭和的な(最近私の中では流行中)コンプライアンスがん無視の「暗黙の了解」や「何とかしろ」が通用している文化状況です。大きな組織の上層部人間をきちんと監視するシステムが無い。「信頼されている人間を上層部に迎えているので」なんてことが、まことしやかに言われるわけですが、、、本気ですか?

ともかく、今も某電気会社と某地方自治体の話しが表に出ていますが、組織論的な要素を抽出すれば、構造はいつも同じです。

コンプライアンス(あるいは人の道ともいえる)がん無視の「権力」者とそれにおもねり、忖度する周りの人間。

これは古今東西の問題ですが、これをどうやって防御するのか?
最近の大きな組織は「外部評価委員会」など組織の権力関係からやや離れた人々に「客観的な」評価をしてもらう制度を作っています。

委員会はある程度の規模にし、委員についてはCOI(利害関係)も調査した上で、身内で固められることのないよう選出する。ただし、どうしても評価される組織体が組織する委員会です。自ずと「客観性」には制限が生まれますが、ともかく委員会を組織する、ということは内部的な抑止力にはなります。

そして、この委員会にどのくらいの権限を持たせるのか?もまた重要。例の某西の方の研究所もこの「外部評価委員会」はあり、問題点は再三指摘されていたが、全て無視。我が道を行っていたところ、大事故に至ったという経緯。この評価結果はHP上で公表もされていたので、私も落としてみましたが、明確に問題点の指摘がありました。


ともあれこのように、大きな組織のガバナンスもダメダメの状態で、組織内格差も拡大し続けている大企業を観ていると、これは今のこの国の状況そのままであることが分かります。

ですから、中小企業を合併して、大企業化、というのが「科学的に正しい」解ではなかろう、と思ったのでした。もしかしたら、逆に日本は中小企業が多いから、まだ保っているのかもしれません。

経営効率的な観点、のみから日本経済全体の処方箋を書くのは大いに危険。
大概にして頂きたい。

何かを終わらせる論理

2018-01-07 12:00:30 | 組織

新年早々、考えているのは

「終わらせる論理」

何かを終わらせなくてはならない、ということがあらゆる局面であります。ところが「終わらせる」「やめる」というネガティブな結論は大概人々から忌避されます。もちろんそれは単なる「逃げ」であったり「責任放棄」であったりするために指弾されるわけですが、そういうことではない、どこからどう見ても終わらせなくてはならないコトというのが、世の中にはあります。

それも個人レベルから国家プロジェクトのレベルまで様々。最近は「終活」と称して個人レベルの終わり方、終わりへの準備がかなり積極的な方向性で行われるようになってきました。

機運としては、そろそろもう少し別のレベルでも「終活」の議論が行われても良い時期に来ていると思います。

積極的に「たたむ」論理が必要なのです。それは何かを始めるためにも必要。今まであった物を片付けなくては始まらないです。

最近植物をよく触るようになって、枯れかけた葉や花がらなどどんどん除いてやることが植物の活力を維持するために重要であることを実感しています。

それなのに、終わらせることに関して私たちはこんなにも不器用です。これではいけません。スマートに、きれいに、次へつながるよう、きっぱりとした終わらせ方を構築しなくてはいけません。なし崩し的な崩壊を待つ、とは愚かなことです。

今年のテーマとして取り組んで行きます。


トップダウン?

2017-04-13 07:33:48 | 組織

トップダウンと言う言葉、カタカナ外来語で耳障りよく聞こえますが、これは独裁につながる非常に危険な制度でもあります。何にでもバランスが必要ですが、組織のあり方として民主的運営と独裁的運営のバランスが重要です。

現在の国立大学では60年代後半の大学紛争以来スーパー民主制で、物事が何も決まらない組織になっている、とはこの20年ほど言われ続けてきました。ただし、このスーパー民主制とは教授会以上のものであって、それ以下はブラック企業もいいところ。セクハラ、パワハラ、モラハラ、アカハラ、あらゆるハラスメントの温床になっている点については何も手がついていません。

研究室の運営に関しては「教授」の裁量にまかされているためです。研究室内の労働に対する正当な報酬についても意識が薄い。自分以外は小間使いと思っている節があります。

この体制が変わらない限り、大学院生は増えないでしょう。また、若い研究者は育たないでしょう。

研究者の世界で恐ろしいのは仕事とプライベートの境界があいまいなことです。私は結婚相手まで押し付けられそうになって往生した経験があります。もちろんきっぱりお断りしました。以前はよくあったことです。昔の家内工業の親方、と言った風情。

研究の現場のあまりにぐだぐだな労働環境はもっと広く知られるべきでしょう。

今の大学には「教授」の自由はありますが、それ以外の方たちの自由はありません。一種の教授天国。大学院生の将来は教授次第。とても大学院生が自分のアイデアを膨らませるために教授を選ぶなどという組織にはなっていません。

たまに「物わかりの良い教授」もいます。しかしこういう方も要注意。よくよく観察が必要です。

大学の研究室組織に対する何らかの対策がなされない限り、研究不正も無くならないことでしょう。


崩壊中の組織

2017-03-20 10:17:09 | 組織

以前何度か記事にした某組織。その後もそこにいる方からたまにメールが来ます。

昨年度の終わり頃にも、久しぶりのメールを受け取りました。またどなたかが辞める、との話しでした。しかし、今回の話しはちょっと驚くべき内容でした。辞められる方はもう40代半ば。その方は4月から某大学の獣医学科に行って獣医になる決意をされたとのことでした。

もう仰天しました。その方は件の将軍様に大事にされているように見えましたし、将軍様直轄の仕事に勤しんでいました。そのためいろいろな面で大変ではあったでしょうが、有利な条件も与えられていたと覚えています。

その方までも、とうとう。こうなるかもしれない、とはうすうす予感していましたが、他人の不幸を予測するのは不謹慎なので表立って発言したことはありません。あまり考えないようにしていましたので、その情報を見た瞬間はびっくりしました。

しかし、残念なことですが、何年も前からこうなることは予想されました。ご本人も何年も考えた挙げ句の結論だったでしょう。そのことを知って、それでは当時の人たちで送別会でも、と声をかけたのですが、ご本人はおろかどなたからも手が挙がらず、結局その話しは流れました。その後、大分たってから聞いた話では、静かに、文字通り消えるように組織を去られたとのこと。

そして昨年末、また一通のメールが来ました。今回は辞める方ご本人からのメールでした。その方は将軍様の側近に徹底的にパワハラを受けていた方です。将軍様の側近とは、長らく将軍様に虚仮にされながらも歯を食いしばり、頑張っていた方で、将軍様さながらのパワハラを行うミニ将軍様でした。

私がいたころからよく泣きつかれたのですが、今回も大分酷いことがあったようで流石に辞める決意をされた由。何と言いますか、もう負の連鎖です。その他にもいろいろありますが、もうどうにもなりそうにありません。このままこの組織は崩壊して行くのかもしれません。

私にはこうして組織ごと例の将軍様を葬り去ろうとしているアカデミアの人々の「知恵」が裏に見え、若干不快でもあります。つまり現在の法制度、組織制度では公にどうにもできない、ということだからです。それで今回のような「ソフトランディング」を狙っている。それで犠牲者は出るが仕方がない、ということのようです。

若い皆さん、状況を良く見て、これはと思ったら早いうちに対処する。重要なことです。酷いことが起こっているのに周りがまるで反応しない時は、組織全体がもはや世界から見捨てられていることを意味します。判断の時です。