無知の知

ほたるぶくろの日記

グローバリゼーションの対価

2021-01-30 16:51:52 | 日記
今回のコロナ禍のようなことは、これまでの人類史で何度も繰り返してきたことです。



生きた生物(ヒトもその一部)が大量に移動する、ということはそれに伴った大量の微生物も移動するということです。共生関係にある宿主には無害に近くても、他の生物には破滅的な微生物があります。

もっと狭くヒトに限っても、ある地域のヒトには特定の微生物に対して免疫があって、大したことのないものでも、他の地域のヒトには壊滅的な被害をもたらすことがあります。

今回の新型コロナウイルスは、おそらくは武漢の古い銅山があった洞窟に住むコウモリたちが持っていたウイルスが起源だろう、ということで、最近やっとWHOの調査団が中国に入ることができて、調査中です。

生きた生物の移動は本当に危険なことなのです。だからこそ「検疫」があり、植物や動物の移動に関しては、非常に厳しい監視が行われています。

本来はヒトにも、検疫がなされなくてはいけないのです。ただ、社会的、人道的、経済的な理由から行わないことになっています。

しかし、今のヒトの移動量は大変に危険な水準に達していると思います。

こんなことを言うと、後出しじゃんけんなので良くないのですが、これまでにたくさんの外国人が行き交う東京の街を歩きながら、「これはかなり危険なことだな」と思うことがよくありました。

ある方が地球の裏側からきて、今ここにいる。それは感動的なことなのですが、ロマンに浸っている場合ではない側面もあるのです。生きた人間は微生物を外にも内にも持っています。
危険と背中合わせの事象なのです。

グローバリゼーションのネガティブな一面です。ヒト界が微生物学的にも均一になるのは、地球上の地域的な特性もあるので、ありえないことかもしれません。そうなると、やはり、ある程度の検疫が必要になるのではないか、と思います。

今後は、ヒトの移動に何らかの制限をかける。あるいは検疫期間を設ける。などの措置がとられるようになるかもしれません。物流は衰えないと思いますが、人の移動は以前のようには回復させられないのでは、と思います。

幸いオンラインでのコミュニケーションが発達しましたので、そういう中でも我々はこれまで以上にグローバルに仕事をすることができるのではないか、とは思います。
これからの仕事の仕方、海外の方とのコミュニケーションの取り方、海外旅行のあり方、何か大きく変容していかざるを得ないと思います。

東京に雪

2021-01-28 22:53:50 | 日記
この辺りは積もらないようですが、寒いです。
どうも雪が降るらしい。


さすが真冬です。

COVID-19感染者数は若干減っているものの、重症者数、死者数はまだ増加中。以前より今のウイルスは病原性が高いのかもしれません。

あるいは医療現場が逼迫していて、重症者、急激に憎悪する方のケアができなくなっている可能性があります。今は本当に感染できません。

マスク、手洗い、食事は家族か一人で。
手洗いは外から帰ったら、すぐに。
外出中でもどこかに触ったな、と思ったら手洗いを。
手洗いのあとは保湿を。

大変だけど、生命を守るのは自分です。
暖かくなるまで頑張りましょう。

たまには外で

2021-01-26 20:52:45 | 日記
在宅勤務が多くなって、しかも最近は会議も多く、全く隙間がなくなってしまいました。

昼にちょっと外食とか、お持ち帰りを探しにいくとか難しくなってしまい、自宅でちゃちゃっと用意したランチで凌いでいます。

休みの日くらいは外でランチしたいよね、ということで子供と出かけました。が、先週末は残念な天気だったので、散歩、というわけにもいかず。運動はなしで、ランチに出かけて帰ってきました。

つばめキッチンさんのジャーマンハンバーグ

本当は運動してランチをいただくのが理想なんですが、そうはうまくは行きません。
ただ、気分が変わります。
それもすごく大事な要素なので、休日の過ごし方としてはありかな、と思っています。

変化の絶えない東京

2021-01-24 19:22:48 | 日記
本来ならば、昨年は東京五輪があって、海外からの旅行者を大量に迎え入れるはずでした。そのため、都内のいくつかの駅は急ピッチで改装が行われていました。都バスのバス停もあちこち綺麗なものに変わっていて、昨年の今頃は「へぇ〜」なんて思っていたものでした。

私が気づいている駅だけでも、新宿、原宿、渋谷(ここはいつでも変化している)、高輪ゲートウエイ、東京、銀座(をはじめとするいくつかの地下鉄駅)、上野です。おそらくもっと多くの変化があちこちにあるはずです。

先日は原宿で降りて、表参道を歩いて根津美術館へ行ったのですが、その途中、青山通りとの交差点で「ああ、とうとう」と思いました。その交差点にはずいぶん長らく営業していた店舗があったのですが、その建物がなくなっていたのです。

そこは何やら不思議な空間になっていました。


「RAIZIN R番地」
何となく、これが完成形なのか分からない感じ。大正製薬が『RAIZIN』をプロモーションするためにオープンしたところ、だそうです。
今回は入ってみなかったのですが、この次には行って見ましょう。

東京はともかくあれこれあれこれ変化しています。本当に目まぐるしく動いていて、今のように新しい日常を創ろうとしているときにはとてもいい場所です。常に何か新しいことが進行していて、よいアイディアを得ることができます。

あまり無理やり前向きに、とするのは心理的に危険なので、自然に任せています。大事なのは自分が何を求めているのか、心を研ぎ澄ませて注視することだと思っています。

ありがちで笑ってしまうこと

2021-01-22 08:50:52 | 日記
昨年末、片付けをしていたときにいろいろな懐かしいものを発見しました。子供が小さかったときに買ったものなどです。

その中の一つに「ろうせき」がありました。チョークのように綺麗に切られたろうせき。今でも建設現場などお仕事で使われているようですが、昔、自分が子供の頃は、遊びに使ったのです。今だって、使っているお子さんもいるとおもいます。

私は子供の頃、お小遣いなどもらっていませんでしたし、うちの近くにはいわゆる駄菓子屋などもなく「ろうせき」を自分のものとして持ったことがなかったのです。道路に遊びのための線を引いたり、絵を書いたりする時は友達のろうせきを借りたり、その辺りの石ころから書けそうな石を選別して使っていました。

そんなわけで、友達の「ろうせき」をいつもいいなぁ、と思っているばかりで、とても手に入れるのは難しい「貴重な」ものでした。「ろうせき」にはとても特別な思い入れがあったのです。

それが子供が小さいとき、どこかで袋入りのろうせきが売られているのを見かけました。綺麗に切られたものが20本くらい入っていました。私としては大興奮。即買いしました。子供も当然喜ぶもの、と信じていたわけですが、
あに図らんや、、、
まったく興味を示さなかったのです。

そしてそれがずっと残っていたのでした。
職場に小さいお子さんのいる方もいらっしゃるので、ひょっとして差し上げようか、と思い、職場に持っていきました。が、こういう時期ですし、ものを差し上げるのにもちょっと気が引けます。今、まだ机の引き出しに入っています。

根津美術館にあったキンカチャ(椿の仲間)葉脈がはっきりした葉が面白いです。

しかし、この「ろうせき」みたいなこと、結構あるあるかもしれない、と思っています。ある時期にはとても素晴らしく見えて、手に入り難かったものが、いつの間にかなんの苦もなく手に入るようになった。でももうその魅力がなくなってしまって、結局手に入れても使わずにそのまま、なんてね。

なんとなく面白く、哀しい思いです。そうなった今を嬉しく思う一方、必死で書ける石を探していたあの頃の情熱も懐かしい。