無知の知

ほたるぶくろの日記

2019年大晦日

2019-12-31 17:30:23 | 日記
今朝は何時にも増して静かでした。
大晦日らしい雰囲気でなにより。

この新しい年を迎えることは厳かなこと、
とは、子どもの頃に既に感じていたことです。
宗教に熱心な家ではなかったのですが。
社会心理的なものなんだろう、と若い時は思っていました。

今は、もう少し違った見方をしています。
日本の文化の深いところにある『畏れ多い何か』
この国に最後まで残っている、外せない『何か』
なのかな、と思っています。

クリスマスが流行ったり、ハロウィーンが流行ったりしますが、
やはりお正月は大切な行事として廃れることなく継承されています。

細かいしきたり、は変化しているかもしれません。
除夜の鐘もいつの間にか聞こえなくなりました。
それでもお正月は重要な行事として人々は大切にしています。


さて、今日は午前中に買い出しに行きました。
人混みに揉まれて、東京駅のお気に入りのカフェで一休み。

あれこれやっているうちに、大晦日が暮れていきます。


良いお年をお迎えください。

氏神様お参り

2019-12-30 18:32:22 | 日記
一昨年から夜中の初詣を止めました。
家人が暮れに大きな手術をしたためだったのですが、私も夜中の参拝を負担に感じていたので、止めることにしたのです。

そのかわり、年末に古札を納め、新しい神札を頂いています。年内はがらっがらですので、スムーズに参拝ができます。ということで、今日、もうすっかり年始の支度が整った氏神様へ参拝してきました。今年も無事に一年を過ごせたことは、本当に有り難いこと。感謝を奉納してきました。

今年は台風も多く、あちこちで甚大な被害がありました。
不自由な中でお正月を迎えられている方も多いかと思いますが、せめて静かで平安なお正月でありますように。


氏神様のお庭。ボケが咲いていました。

さて、休みは気が抜けて、一気に具合が悪くなります。今年は右背中から首にかけての凝りです。暮れにかなりPCワークがあって、変な姿勢を続けていたらしい。すっかりやられてしまいました。ストレッチやら何やらしています。

本当は歩きに行くのもいいんですが、後が怖い。体力に自身のない私はストレス解消にスポーツ系ができなくて残念。普通以下の筋力なんです。特に瞬発力を出す筋肉がダメです。これは子どもの時から。マラソンとか、長距離とか、は大丈夫なんですが。

子どものときに三輪車がうまく漕げず。スキーで足の踏ん張りが利かない。テニスでは瞬間的な強い握力が維持できないので、ボールとともにラケットが後ろへ飛んで行く。
もう、この辺で止めときます。ともかく、ダメなので、無理はしないことにしています。

まあ、そういうことで、早歩き系の運動をなるべくしています。あとはストレッチと姿勢。背中が曲がっているのを伸ばすよう、子どもに矯正されています。

でも仕事が忙しくなってくると、姿勢などに気を遣っている余裕が無くなり、元の木阿弥です。秋ぐらいは結構いい感じだったんですが。まあお正月休み中に頑張ります。


明日は朝からちょっと買い出しに行きます。どうしても明日でないとダメなのがありまして。。。毎年、気合いを入れて出かけます。
あと一日。大晦日を大切に過ごします。

平成が終わって令和最初の年末

2019-12-29 12:43:22 | 日記
仕事納めの金曜日は晴天でした。

大体、関東の冬はこういう日が続いて、カラカラになっていることが多いのですが、今年は雨が多くて久しぶりの青空。 左側の壁はイグナチオ教会です。


長く生きていると、ふと様々の違いに気付いて、眼のくらむような思いをすることがあります。

違い、にも主に二つあって
A) 時間的なもの つまり過去と今。
B) 空間、関係性的なもの つまり家族、地域、その他の関係性。

以前はB)の方が多かったのですが、今はA)の場合が殆どになってきました。歳をとってきて、サンプルが増えてきたんですね。

昭和、平成、令和と年号が変わることは時代を際立たせ、強調します。いろいろ議論はありますし、行政的には面倒なことこの上ないのですが、社会文化的にはなにか意義深いものがあるように思います。

昭和に生まれている私は、平成になったとき、ちょっとしたショックがありました。その時点でも、すでに子どもの頃と大分異なっている様々なことに改めて気付かされ、感慨深く思ったのでした。自分の社会における立場、のようなものを知らされた感もありました。

今回、令和になるにあたって、またまた感慨深いものがありました。平成は初めから知っています。平成をセットとして捉えることができるのです。終わったばかりで、まだ俯瞰的には書けませんが、そのうちには平成について書くと思います。

大体その前に昭和ですね。ほんとに明治から昭和については、掘り起こすべき現代の問題の原点がてんこもりと思っています。

何てことをぼちぼち考えながら、久しぶりにインドカレーを頂きました。


カレーのセット、スパイシーチキンカレーで。
右下の玉ねぎとバジルのかき揚げが、私は大好きなのです。
JR東系のエキュートに入っているインド料理屋さんです。ここのバスマティ・ライスも本当においしい。

さて、年末とお正月用の食材買い出しに行ってきます。

ここ数年を振り返ってみることに

2019-12-28 01:00:20 | 日記
今日は仕事納め。ということで、なんとなくここ数年のことを振り返ってみようかと。

1)親指付け根の痛みについて
私の親指付け根の痛みは2年前がピークでした。何をするのも嫌になるほど痛くて困りましたが、豆乳で劇的に回復しました。あの頃は本当に毎日豆乳を頂いていました。

しばらくして、半年後くらいでしょうか、ちょっと味に飽きてしまいました。特にある種の豆乳ドリンクでは舌に刺激を感じます。アレルギーに発展すると嫌なので、その頃からなるべく豆腐製品を頂くようにしています。

牛乳やクリームの代わりに使うのは、ちょっと?と思っています。何かの代用品として使うのではなく、豆乳に最適な使われ方があるはず。一番いいのは鍋やお汁、でしょうか。やはりお出汁と合わせると大豆の味が引き立って美味しいです。

さて、豆乳をあまり摂らなくなっているのですが、するとたまに親指の付け根に違和感のある時があります。そんなとき、何か大豆製品を摂る。今はその程度の対応でも何とかなっています。

先日も親指の付け根がしくしくしていたのですが、その時は何となく甘酒を頂きたい時で、甘酒、それから頂き物の柿で治ってしまいました。ちょっとびっくり。

一体、どちらかが効果したのか、相乗効果だったのかは不明。甘酒はビタミンB系がウリです。柿は皆さんおなじみのカロテノイド、ビタミンA。さあ、どっちなんでしょうか?

どちらにしても大変伝統的で、おばさんにぴったりの食物。しかも効果があるって、すごいわ〜。そうそう、ここで書いている甘酒とは、酒粕から作るものではないです。最近は醸造をやっている会社が甘酒をつくって売ってくれています。

ずっと以前からあるのは大関。ワンカップに入っていて、なんだか一杯やってる気分で頂けます。あれが最初だったかもしれません。あれ以来、醸造された甘酒を頂いております。
最近は大関以外、いろいろの会社がつくっています。いろいろ試して楽しんでいます。

伝統的な食材の力は本当にばかにできないと年々思います。


今日は関東の冬らしい抜けるような青空でした。

2)怒りの自己コントロールについて
ずっと以前、2011年2月に「90秒ルール」についての記事を書きました。

簡単に採録しますと、
怒りは2段階になっている。
まず、ある物事への反射的感情のフェーズ。
その後、自分の脳の中にある、怒りの対象に関する、何かしらの「物語」を思い出し、それを反復増幅するフェーズがくる。

最初のフェーズでは血流に乗って化学物質が体中を巡る。その収束まで90秒。
そして我々は次のフェーズへの選択をする。

自分の中にある物語を呼び出すのかどうか。
呼び出さなければ、怒りはそこで収束。
呼び出せば反復増幅することになる。

どうするのかは、自分次第だということ。
怒りの発作で自分を見失ったり、疲れたりは、非生産的。
どうすれば、第二のフェーズに入ることを止められるのか?

それが『90秒ルール』。
じっと自分を見つめ、90秒待つ。
怒りの発作が静まったところで「物語」を無視すること。
そうすることで自分をコントロールできる。

というものです。当時ストレスで私は怒りに振り回されていました。そこで、早速試すことにしました。 でもちっとも上手くいかなかった、という記憶が。。。

さて、それから5年後、2016年4月にはその後の報告を書いていますが、『90秒ルール』をすっかり忘れていて反省していました。(あはは、やっぱり。。)

そして、それから3年、最近ふと「怒らなくなったな」と思いました。歳のせいか?とも思ったのですが、それよりも「物語」が思いつかないことに気付きました。

つまり、第2のフェーズに入るのを選択しない、ということを繰り返していたら、「物語」が遠くのものになってしまった、らしい。 やりました!
これは結構なことです。心穏やかに過ごせます。

たまにむかついていますが、90秒です。それ以上は時間の無駄。
そのまま、放っておきますと、むかつきの原因がなんとなく見えてきます。無意識がとても論理的に、原因を探り出してくれます。そうなったら、しめたもの。
原因を解決するべく、行動する。

まあ、少しでも前向きに生きることができるようになった、ということでしょうか。
無駄に歳を取ったわけではなかった、と思うことに致します。

体性幹細胞について 2

2019-12-22 20:02:51 | 生命科学

再生は究極の治療だと思います。

プラナリア(ウズムシ)(可愛いので、是非ググって画像をごらんください〜)やヒトデの再生能力は古くから生物学者を魅了してきました。

植物だと、人参などは体細胞(例えば人参の赤い部分)を適切な植物ホルモンで処理しますと、透明なよくわからない未分化な細胞集団(カルス)へ変化し、そこからまた適切な培養をして行くと、人参そのものができる、という技術が確立しています。

もちろん、そんなことして人参を作ったりしますとコストが高くて大変です。農業的には普通に種から育てるのが一番効率的です。ただ、特殊な遺伝的形質をもった人参があった場合、上記の方法でその人参を大量に増やすことができます。研究にとっては大変重要な技術になっています。

(今日もこの辺り弱い雨が降りました。冷たい雨で、さぶっ)


さて、昨日びっくりした体性幹細胞の話しに戻ります。

昨日は舌足らずな表現で書いてしまいましたが、幹細胞を用いた治療法のすべてが怪しいわけでは決してありません。

今日は少し真面目に幹細胞関連の情報を探りました。2014年には例の大きな事件がありましたので、大分突っ込んで情報を集めていましたが、その後はすっかりご無沙汰していました。

それでも例えば、京都の高橋政代氏の「網膜再生治療」の情報はマスコミ報道を通じて把握しておりました。彼女の態度は一貫しており、信頼しています。彼女のグループはiPS細胞からの神経幹細胞を用いた治療法を確立しようとしています。独立され、会社を設立し、この事業を続けて行かれるようですが、今後も期待して見守りたいと思っていました。

今日は専らどのような「体性幹細胞」がどの程度実用化されているのか。調べていました。すると、次に上げるものが、既に臨床で使われていることがわかりました。(今年3月末時点)

重度の火傷の患者さんへ使用する皮膚シート、
培養軟骨、
(移植に伴う拒絶反応に対する)骨髄由来間葉系幹細胞、
(心不全に対する)骨格筋芽細胞。

また、2015年の文科省におけるライフサイエンス委員会の資料を見ますと、既に体性幹細胞治療の先行例として、上記のいくつかの例(造血幹細胞・角膜・皮膚等)が取り上げられています。体性幹細胞を用いた治療はそれなりに定着し、着実に改良が重ねられているようです。
素晴らしいことだと思います。

その他の幹細胞治療に関わる研究は、現在、米国を筆頭に中国、ドイツ、英国辺りと競争しつつ、日本の研究者もよく頑張っている状況です。その中で、文科省と厚労省が互いに協力しあい、基礎研究部分と臨床応用部分について遅滞のないよう、また資金的に必要かつ十分であるように調整を続けているようです。
(それがうまくいっているかどうかは厳しく評価して行く必要がありますが。。)

ただ、いわゆる美容系に関する応用は現状、あまりきちんとなされていないようです。そのような治療を考えている方がいらっしゃいましたら、いま一度、安全性について考え、セカンドオピニオンを取ることをお勧めします。

今回、この辺りの情報を探っていて、この5年くらいでかなり進んだな、という感触は持ちました。それでも我々の日常に関わる臨床応用へは、まだもう5年くらいの時間がかかりそうです。
楽しみに待ちたいと思います。