無知の知

ほたるぶくろの日記

縁ある人々

2011-01-30 23:30:49 | 日記

今日は東京も小雪がちらつきました。寒い一日でした。日本海側のみなさんは大雪で大変を通りこし、命の危険を感じながら生活されているようです。また宮崎の方はは鳥インフルエンザと火山の噴火で本当に大変な日々をお過ごしだと思います。このくらいの寒さは何のこともありませんね。かの地でお過ごしの皆様には、心よりお見舞いを申し上げます。

最近つらつらと考えるのは、先日の出来事に限らず、心を煩わせられる人々とのやり取りがありますが、それはいったい何なのかということです。
変な話しですが、私が仕事場で一番苦手な方は過去におつきあいした方と誕生日が同じなのです。初めて知ったときは本当にびっくりしました。まあ、誕生日が同じだからといって、別に何かが理解可能になったわけでは全くありませんでした。ただ、縁の深さを感じた次第です。ああ、出会うべくして出会い、お互いにうんざりする修行をしているのだなと思ったわけです。ともかく「“黙って”愛情の視点で見る」ように心がけてみましょう。その方の何に気づくことができるのか楽しみです。


不甲斐ないわたくし

2011-01-28 00:23:59 | 日記

今日は夕方になって、訪問者があらわれました。ちょっと対応に困るようなかたでした。私が先日おこなったプレゼンテーションを聴いた方が、なんらかの誤解をしていらしたようでした。いわゆるクレームではないのです。それどころか、「私があることを理解していない」と感じられたようで、それを教えてくれようとしたようでした。確かに、その部分に関しては背後に入り組んだ関係性などがあって、説明に手間取ることもあり、また全ての方が理解する必要もないと思われる部分であったため、簡単に流したのでした。しかし、それをその方は「私が理解していないから簡単に流した」と解釈されたわけでした。

もちろん、簡単に流した部分の裏にあるいくつかの要素について教科書的にはきれいな説明がなされているが実はそう簡単ではないこと。最近の知見ではさらに複雑であることなどを説明しました。そして、私の発言の何をどう解釈し、何を説明しようとしていらしたのかを問いますと、「いやいや。。。」などと言って言を左右にし、そのまま「あ、それならいいです。」といって去っていきました。・・・・??

一体何をしにいらしたのか。まず、私が夕方時間のおしているときにもかかわらず、実験を中断してまで説明したことに対し、何らの挨拶もなかったことにあきれました。次に、何か言いたいことがあっていらしたはずです。そのために私の仕事を中断させたのです。それが何なのか、説明するのが礼儀だとおもいます。自分はこれこれと思ってきたがそうではなかったのか、あるいはやはりそれでも分からないところがあるからおかしいと思っているのか。何の説明もせず、いきなり「あれが分からないと言われていていたので。。。」といい、私がそんなことは言っていません。と言いますと「え?」という顔をし、こちらが説明をしている間黙ってきき、それが理解できたのかどうかも告げず「あ、それならいいです。」といって去っていく。

一方的に私に何かを「教えてやろう」として来たのでしょうか?どうやらその必要がなさそうだったので「あ、それならいいです。」だったのでしょうか?例えば、その方の仕事が今回の問題に近いものであったなら、その方がこだわる理由もまた分かります。しかしそうでもない。その方の仕事はかなり異なった分野の仕事です。それなのにどうしてそういう解釈が成り立つのか。。。自分の方がひょっとして理解不足だとは一瞬も思わなかったのでしょうか。。。ともかく謎だけを残してその方は去っていったのでした。

はっきり言って、わたくしほとんどぶち切れ(失礼)状態でした。いかんいかん、漏電してはいかん、、、、。帰りはずっとエネルギーの消耗をしないよう、頑張ったのですが。やっぱり、今ひとつではあります。こうして今、大漏電中。それでもこうして書かせて頂いていますと、ぶち切れのポイントが整理され、ややすっきりいたしました。つまり「君は何を言いたいんだね、こら」ということなんですね。勢い込んできて、他人の仕事を邪魔してしまったのですから、それに対してひと言あるべきだ、というのが私の怒りの原点なのです。このようなことは「礼儀」「作法」「エチケット」という類いのことかと思います。私もその時点ではっきりとそこを指摘できなかったことを不甲斐ないと思います。もう少し、しっかりしないといけませんね。


粘菌おそるべし

2011-01-23 23:53:16 | 日記
Nature誌の最新刊に「農業する粘菌」についての論文がでていました。粘菌は細菌を餌にしているのですが、それが足りなくなってくると寄り集まってアメーバ運動し、胞子を作ります。その胞子には餌の細菌がくっついていて、胞子と同時に着地し増えていきます。胞子から出芽した粘菌は一緒に着地して増殖していた細菌をたべて大きくなる、というわけです。まあ、卵生の卵とコンセプトは同じです。生まれてすぐの栄養に困らないよう、お弁当(栄養物)付きでこの世への旅立ちをはじめるわけです。ただ、卵の中の栄養分はまさしく栄養分であり胎児は消化する必要はありません。粘菌のケースでは「食べ物を増やしておいて食する」=「農業する」わけで、そこは面白いですね。流石は粘菌!?農業というか養殖というか、これの起源は粘菌にあったとは。。。日本も農業をもっと大事にする国にしませんと、粘菌の大家南方熊楠先生が泣かれましょう。

東京は天気がよく、寒くて乾燥した日々です。そろそろかな、と思っていましたが案の定インフルエンザが流行り始めています。お腹に乳酸菌を養殖して備えるよう、子供にパンラクミンを飲ませています。そのほか発酵食品をなるべく摂ったりしています。鳥インフルエンザの情報もちらほら入ってきています。宮崎の方々には本当にお見舞い申し上げます。今のところ水際での攻防でなんとか人間界への侵入を阻んでいるわけですが、これも時間の問題です。なんとか鳥インフルエンザ=H5N1に対抗するワクチンができるといいなと思います。鼻からの噴霧、舌下への滴下、乳酸菌に組み込んで飲用、などの新たなワクチン摂取法も開発され、より不純物が少なく、粘膜での免疫獲得がしやすい方法へと進化しています。早期の実用化が望まれます。

左のリンクに新しく「「近藤がん理論」はどこまで正しいか?」を付け足しました。ご参考にしていただければ幸いです。

常に考える

2011-01-20 23:55:34 | 日記

最近朝のテレビで「引き寄せノート」だかなんだかの特集をやっていました。ちゃんと観ていたわけではないのですが、引き寄せ、という言葉に耳が反応してしまいました。あ~やってるな~と思いました。

「何かを手に入れたいのなら、そう強く思わなくてはいけない」というのは70~80年代のテーゼのようなものではなかったでしょうか。ハングリーであること。情熱的であること。
私はこのことにいつも悩まされていました。どちらかといえば淡白なわけで、どうしてもこの地位を手に入れたい、なんて思わないわけです。「それは甘いからだ!」と怒られたこともあります。

しかし○○な自分を想像してみる=妄想にふける、ことなわけで、時間のムダです。今やりたいこと、実質的に重要なやっておくべきこと、考えるべきことをしないで夢を見ているだけなのですから。前に進んでいないのに進んでいるイメージだけをもっていい気分になって、それでどうするのでしょう。イメージなど持たずに、今の目の前の少々情けなくも思える、片付けるべきことをやる。それを繰り返す。そうしたら、あら不思議、いつの間にやらチラっといいな~と思ったあの姿に自分はなっているではないですか。ということなのだと思います。妄想はエネルギーの無駄遣い。止めたいですね。


神の子羊

2011-01-19 23:38:00 | 日記

職場ではいろいろな変化が起こっています。これから春になればさらにはっきりとした大きな変化になっていくのだと思います。夏頃までには方向性が定まって、変化の全体も明らかになると思います。今は嵐の前の静けさ?大げさでしょうか?私もどういうことになるかはわからないのですが、まあ目の前のquestionに答えるべく努力していくだけです。できることはそれだけです。それを放ったらかして、あれこれ動き回ったり様子を探ってみたりしてもムダというものです。まあ、なんとかなるでしょう。

年末にお正月用の生花を用意しました。花のある生活はいいものですね。植物の色と形態は大自然を感じさせてくれます。どんな宝石にも匹敵する美しさ、儚さを体現しています。今回本当に感動しました。そして、お正月の花が松を除いて痛んできましたので、少し買い足しました。オレンジのチューリップ。淡いピンクのオールドローズ(香りがよい)。エンドウの花。それぞれふさわしい花瓶に差して置いてあります。花の生気が部屋に満ちてありがたいなと思います。

ところでキリスト教といいますと『原罪』です。とことん否定され、罪深き自分を救ってくださるイエズス・キリストということです。ミッション系の高校に通っていたこともありまして、これは本当に厄介なことでした。なんとか今あるのは御先祖様のお陰です。お世話になっております。。。ただ、この人間の尊厳を認めない(心の自由を認めない)キリスト教教義というものも、エラスムスの主張などをみますと中世以降の成立のように思われます。何かがあったのだと思います。

今日も一日無事に終えることができそうです。ありがとうございます。