無知の知

ほたるぶくろの日記

感想など

2011-02-27 23:36:52 | 日記

今日は東京マラソンでした。ほどほどの陽気でマラソンにはよい日だったのではないでしょうか。トップランナーの方達のスピードはすごいものです。1kmを3分くらいで(!)走るそうです。ご近所にも仕事場にもアマチュアのランナーがずいぶんおられます。皆さん健康のために始められたようですが、やはり何らかの「達成感」が目的になっているようです。自分が頑張ったことの結果が目に見える形ででてくるというのがたまらん、と言っています。身体を壊さない程度に頑張って頂きたいとおもいます。わたしは早足で歩く程度。あとは仕事場でも家でもやることは沢山ありますので、こまめに楽しく身体を動かすのがモットーです。なるべく無理な姿勢をしない、ということにも気をつけています。関節を痛めないためです。年をとって関節を痛めますと回復に時間がかかりますから。

ところで、昨日要約を紹介した本は、現在の形になる以前の皇室の太陽信仰のことに行き着いていると思います。それも東村山市における白山神社の配置を調べるという、大変ローカルな調査から始まって、現代に残されている文献や伝承、小さな神社や祠、古代遺跡などをたどってそこまで行き着かれたのでした。おそらくこの方法での限界に近いところだったのではないでしょうか。

驚いたのは今もう本が手元にありませんのでどの章でのべられていたのか確かめられないのですが、白山中居神社の重要性にも言及されていたことです。この本を読ませて頂いて不思議に思ったことは、著者の安定した論の進め方でした。これまでわたしが手に取ったことのある古代史関連の本は、荒唐無稽とも思えるほどに論理の飛躍を重ねながらまるで何かに憑かれたように論をすすめているものか、逆に何事に関してもこうかもしれない、ああかもしれないと多くの可能性をあげ、結局は結論を棚上げするというものの2種類がありました。しかし、この本はそのどちらでもなく、直観的に何事かを分かっていながら、ひとつひとつ根拠を積み重ねつつ静かに論をすすめています。アジテーションのようなテンションの高さがないことが清々しく、印象深く思いました。


「白山神社と太陽信仰の研究」について

2011-02-26 23:56:27 | 日記

とうとう東京には春一番が吹いて、ますます春の気配が濃厚になってきました。この週末は花粉の第一ピークという予想でしたが、そのとおり。今日の午後から鼻水がでています。以前よりは大分軽くなったのですが、やはり今年の花粉の量は尋常ではなさそうです。せいぜい乳酸菌と春ウコンをせっせと摂取して、あとは良質のお白湯を頂くとします。

ところで先日の本の内容について、要点をまとめてみました。東村山における古代史を考察するうちに、中央史の謎に挑むことになった、という展開で書かれています。大変な労作でありながら、難解な言い回しを避け平易な文章で淡々と語られているのも好感が持てます。この本は「東村山市研究第三号」とあります通り、『武蔵悲田処に関する研究』『多摩郡衙・瓦塔・郡寺の研究』に続く研究です。そのため、本書を読んでいますとあちこちで、前二冊からの引用があります。自分も武蔵野で育ちましたし、興味深く思いました。残念ながら古くから武蔵野に住まわれている方々とのご縁はあまりありませんでしたので、この地の古い伝承などもよく知らずにいました。

『白山神社と太陽信仰の研究ー白山と伊勢神宮の関係を中心としてー東村山市研究第三号』(東原那美(東村山郷土史料編纂員)著 東村山市教育委員会 発行)
第一章 東村山の太陽信仰の図形にそって
第二章 白山神社と伊勢神宮の関係
第三章 日本列島デルタで結ぶ点と線
第四章 「心の御柱」考
第五章 緯度がつなぐ白山と都祈野
第六章 日置部の分布とその後裔
第七章 地名語源の考察


どの章もはっきりとしたメッセージがあるのですが、わたしにとっては第二章、第四章がとくに興味深く思われました。いわゆるこの分野の専門家のあいだでの「常識」=定説がどのようなものかもよく知りませんので、このかたの議論がどの程度新しいものなのかはわかりません。しかし、論説を読ませて頂く限り、論理的にはすっきりと飛躍もなく理解できるように思います。

「はじめに」の部分には全体を通しての要約が述べられています。著者による要約が一番よろしいのではないかとおもいますので、一部を抜粋させていただこうと思います。

 「白山神社は古代国家の重要施設のかたわらに祭られている例が多い。これをなぞるように当東村山が、古代の七街道の一つ「東山道」が通じる武蔵野の原の要衝・狭山丘陵の裾に位置して、安閑534年大和朝廷東国征覇の拠点となった「多摩屯倉(みやけ)」の設営地であり、ついで大宝二年(702)「多摩郡衙」、天長10年(733)『続日本後紀』に記載のある「武蔵悲田処」が設けられ、降っては鎌倉時代には「久米川宿」が設けられた。
白山神社はこれらの施設が群居する地の村の「本村(ほんむら)」に祀られている神社である。
全書の二書『東村山市史研究』第一号・第二号では、これらを掘り下げ、究明して、白山神社は古代朝廷直轄支配地・国衙寮の神であることを明らかにした。
 そしてこの度の『市研3号』では、これらの古代国家の重要施設の存在を裏付けるかのように、多摩郡衙の起点となったと思われる久米川白山神社の位置を拠点として、東村山の上に出現した正確な方程式をもって描かれた大三角形正三角形の上に、白山神社七社が嵌めこまれている図1の折込図形からみて、国家が祀るところの古儀信仰・太陽信仰の図形であると判断したものである。
東村山の上に出現した図形1に組み込まれているのが、七社とも白山神社であることから推察して、容易ならざる神社であることを確信し、上古時代、国衙領の神として白山神であったのは、いずれの神か、原神さがしを始めた。その過程で探し当てたのが『古事記』の冒頭に、創世神として、最高神の位置付けをもって登場している「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」であった。この神は『古事記』の冒頭に記されてあるものの、その後、いずれにも姿をみせない、その行方の知れない神である。
アメノミナカヌシが白山神社の原神であったなどといっても、現在、この神を祭神とする白山神社はない。しかしこのことは、天武天皇紀(673~)皇室が中国の古代哲学、天文学・道教を密やかにそして堂々と伊勢神宮の祭儀のなかに導入し、神宮の社屋まで道教観をもって配置した。そのことに素因があるようである。
(中略)
 白山の主峰御前峰に「高天原」があり、「天柱石」を称する磐座が存在し、ここ東経136度46分を垂直に降下すると、伊勢の海からそそり立つような伊勢神宮・内宮の東方に位置する「朝熊山(あさまやま)」につける。この線が宇宙の中心軸、「天の御柱」である。
ここに朝熊山を「大日本国の束根所(たばねどころ)」と位置づけ、「奥宮」と呼び、内外宮を「里宮」と呼ぶ習が生まれた。この由縁こそ朝熊山頂に「皇太神の御母」であり、「天地開闢のすべての母」として崇められていた太陽神・白山妙理大権現に由来するものである。
 この伝えは弘法大師の手になるという伝説をもつ『朝熊山儀軌』の『神鏡広博』に明白である。ここに共に「白鏡」を祭神とする、内宮摂社の筆頭に座す「朝熊神社」が生まれてきたゆえんであろう。これらを基に生まれたのが図19・27の折込図形である。
ここに白山の山岳を太陽信仰の中枢の山として、日本神話が構成されていたことが判ったものである。

(中略、さらにアメノヒボコの出身地、朝鮮半島新羅国にふれ、白山と「太白山」との関係にも触れている)

 これらを基本に据えて論をすすめ、皇室の宗教は7世紀、中国の天文学・道教へと変化したことから、最高神であり、世の中のすべてを二元構成で支配するというアメノミナカヌシの性格であったが、皇室に対しては「援助する」「従属する」という本来の性格に変化が起き、名実共に宇宙の中央に座す絶対の力をもつ「北極星」の性格に変わった。
日本の天皇は、自ら北極星の異称、天皇・大帝を名乗っていられる以上、日本という宇宙の中心、北極星の位置に当る白山の山岳にアメノミナカヌシをそのまま祀っておくことはできなかった。ここに伊勢神宮「外宮」の創建となり、北極星に対する北斗七星の性格に等しいアメノミナカヌシを「心の御柱」として、外宮に祀ったものとした。
(中略)
 白山神社の歴史はまさに歴史の謎であった。そもそも山名を「白山」としたことが謎であり、山岳の山名をそのまま冠する神社が、堂々たる社屋をもって、全国に分布しているのは白山神社だけである。古代を代表する二大仏教、天台・真言が競って白山神社との関わり合いを求め、地方の古代の官寺的要素をもつ寺院と一対の歴史をもつ白山神社が各地に見え、また古代国家の重要施設のかたわらにいわれあり気に祀られながら、その歴史がようとして分からずなぞにつつまれたままであった。
これらの不透明さの理由が、7世紀、皇室の宗教が秘密裡に変化したことにあるようである。白山の歴史は『古事記』にも『日本書紀』にも一字たりとも記されていない。このことは『記・紀』の二書が皇室の宗教の変化後に編さんされたものであり、8世紀の政治事情を天下にあまねくしろしめすために書かれたものだからである。」(以上抜粋終わり)

わたくしの感想はまた明日にでも。。。


変化する日々

2011-02-20 10:17:16 | 日記
梅が咲いて、どこからともなく良い香りがただよってきたりします。寒かったり、急に暖かいときがあったり気温の変化が激しくてびっくりします。太陽黒点数もですが、F10.7という太陽からのエネルギーの指標になっている数値がありますが、その数値も最近は高くなってきています。これまで70~90位を上下していたのですが、このところどんどん上がって、2月13日には100を超えました。太陽の全体としての活動度が上がってきているという印象です。先日は大変大きなフレアがあり、一昨日から太陽風の速度が上がっていますが、磁気の変化の方向が北向きであったため、地球への影響があまりなくて済んでいます。しかし、これが南向きになりますと、大きな磁気の乱れとなって様々な影響がでることでしょう。今後も注意して見守っていきたいと思います。

太陽活動の活発化とともに中東での変化も興味深いです。親米であるがために延命を許されてきた独裁政権が崩壊して、今後どうなっていくのか。それによっては米国をはじめ、石油に頼っている西側世界は大きな影響を受けることになると思います。つまり私たちも、です。ともあれ本当の意味での穏やかな生活を人々が取り戻すことができるといいな、と思いながら眺めています。

仕事場ではいろいろな変化が続いていますが、今は静観するばかりです。先日、急に辞めることになった方もおられてびっくりしたのですが、それもその方自身の問題のみではなく、別のところでの政治的パワーバランスの変化とリンクしていたのではないかと思われるフシがあります。それほどに、いろいろなことが起こっているということなのだな、と認識を新たにしました。今年に入り、仕事場のスケジュールにも大幅な変更があり、わたしとしては余計な仕事が減り、自分の仕事により集中できるようになりました。喜ばしい変化ともいえるのですが、これは嵐の前の静けさであると感じています。油断せず、今は淡々と仕事を進めているところです。個人的には現象の概念図が描け初めているという実感があり、佳境に入ってきていますので、楽しく忙しく仕事をすることができています。本当にありがたいことです。90秒ルールも実践中ですが、まだまだ意識して行うことが必要です。ただ感情というものがこんなにも身体の中の物質によって支配されているのか、と実感し、あきれている最中です。

先日図書館で『白山神社と太陽信仰の研究ー白山と伊勢神宮の関係を中心としてー東村山市研究第三号』(東原那美(東村山郷土史料編纂員)著 東村山市教育委員会 発行)を借りまして、熟読中です。以前からコメント欄などで取り上げられている本です。今、3分の2ほどまで読み進んでいるのですが、実に面白く、興味深い記述がたくさんあります。仕事とその他のことが重なって、この二週間は忙しいこともあり、なかなか要約を作ることができないのですが、なんとか要点だけでもおさえておきたいと考えています。まとまりましたらこちらに書いておきたいと思います。

移植雑感

2011-02-12 11:55:25 | 日記

昨日は東京も雪でした。子供の頃はクリスマス頃から降ることもありましたが、最近は年が明けてから初雪。積もるのはやはり二月が一番多いでしょうか。今年もやはり昨日になって雪になりました。朝のうちはみぞれのような雨のようなでありましたが、昼頃からはもっぱら雪になりました。それでも少しも積もらずに落ちてはすぐに溶けています。大人にとってはありがたい雪の降り方ですが、こどもにとってはがっかりなようです。それでも寒いのに外へ出たがって、雪を傘に受けてさらさらと音がするのを楽しんでいました。

ところで「移植」についてかねがね気になっていることがあります。輸血の場合、一定期間使用されるとなくなっていきます。赤血球も白血球も寿命がありますから、じきにご本人の血液に戻っていきます。それでもまだ未発見のウイルスや、存在していても病原性がないために知られていないウイルスの可能性もあり、輸血(=他人の細胞を一時的に体内に受け入れる)はある程度の危険性を持っています。輸血とは違って、骨髄細胞を移植しますと血液のもとの細胞(幹細胞)を移植することになりますから、一生移植された骨髄細胞から由来する血液細胞が血液を構成することになります。臓器の場合も同じことです。輸血時の危険性がずっと続くことになり、なにが起こるかは本当のところ未知の部分も多いと思います。

しかし、現実として医療技術は進歩し、様々な臓器の移植が可能になり、多くの方がこの技術によって救われています。この技術によって、われわれは何かを学ぶ=発見する必要があるということなのかもしれません。遺伝子の発現調節への干渉、微細なDNA、RNAのエディッティング(ミューテーションを含む)への微生物の関与はあながちばかにできないものがありますから。これからも頭を柔らかくして注意していきたいと思います。


ちょっとした発見

2011-02-05 18:50:09 | 生命科学

直観という不思議な脳の働きはじつに興味深いものです。理化学研究所では将棋の羽生善治名人などに協力して頂いて、プロ棋士の「直観」における脳活動の研究をおこない、2月1日付けのサイエンスに論文を発表しました。プロにおいては脳の深部にある、古い脳、大脳基底核の尾状核といわれる部位の活発な活動が観察されたということで注目されています。この部分はピアニストがピアノを弾くときのいわゆる「手が憶えている」という状態を司る部位です。判断や思考に関係するとは考えられていませんでした。このことは「直観」は訓練によって高められる、という仮説につながっていきます。この世で沢山の出来事を経験する=訓練することによって、様々の直観を高めることができるのかもしれません。あるいは知らず知らずのうちに高めているのかもしれません。私ももう少し、自分の直観を信頼し動いていけるといいのかな、と思いました。

ところで、脳つながりで少し書いておきたいことがあります。先日『奇跡の脳』(ジル・ボルト・テイラー 著 竹内薫 訳 新潮社)を読みました。著者は神経解剖学者であり、1996年、37歳のときに脳卒中を患いました。その後8年かけてリハビリをし、奇跡的な復活を成し遂げた方です。脳卒中を起こしたときの様々な現象を細部まで説明されており、非常に興味深い本です。彼女の脳血管には先天的な奇形があり(まれなことです)、その部分から左脳に出血し、大きな血腫はある程度の左脳の神経細胞を死なせてしまいました。右半身の麻痺、そして文字の認識、言語の理解、発語ができない状態になってしまったのでした。そしてその状態から少しずつリハビリを行い、8年かかってほぼ普通の生活が送れるようになり、2006年上記の本を上梓しました。日本語に訳され出版されたのは2009年です。当初から話題になっていましたが、やっと最近手にしました。

まず、脳の可塑性の素晴らしさに感動しました。多くの脳卒中を患っていらっしゃる方、そのご家族にはとても心強い記述だと思います。また、二つの言語中枢の連携部が傷害されることによって起こる様々のことが具体的に語られており、興味深いです。左脳が機能しなくなって一体彼女はどのように世界を認識するようになったのか?大変な状況にもかかわらず、心は静かで幸福感に包まれたとあります。「自己」を周りの世界から切り離す感覚がなくなり、自分の境界が分からなくなったそうです。世界と自分が融合している感じであったと。それを彼女は涅槃(ニルヴァーナ)と表現しています。約二週間後、左脳を圧迫していた血腫を取り除くことで言語はかなり回復しましたが、数字を操るニューロンは残念ながら失われていたようでした。足し算ができるようになるまでに4年。4年半で引き算とかけ算。割り算は5年経ってやっと分かるようになったとあります。新しいニューロンが一から数の概念を学んでいったようです。素晴らしいことです。大人になってもニューロンは教育可能なのです!(当たり前ではありますが。。。再認識)

もう一つ、わたしがこの本で見つけた重要なメッセージは「言語野を中心とする物語を作る脳の機能を制御する」ということです。これはグルジェフのいう覚醒ということにつながってくるのではないかと思います。ジルは左脳の二つの言語野をつなぐ部分に傷害をうけたため、しばらく言葉のない期間を過ごしました。頭の中のおしゃべりがなくなり、静かな落ち着いた日々だったようです。そして手術後、少しずつ左脳の機能が回復するにつれ、言葉と論理性が戻ってくると同時に、様々な情動(どちらかといえばマイナスの)を伴った「物語」も蘇ってきたようです。これを言語能力とともにすべて受け入れなくてはいけないのか?と彼女は自問自答しました。そしてそれは言語能力とは関係なく、制御可能な思考ループに過ぎないということに気がついたのでした。つまり自分の脳が作り出した「物語」が反復再生され、それに思考が支配されていたということに気がついたのです。ちょっと本から引用してみます。

「左脳が真実だと信じこんで作る物語には、冗長な傾向も見られました。まるで反響しているかのように、心にくりかえしこだまする、思考パターンのループができてしまうのです。ふつう、こういう思考のループは頭の中に「はびこって」しまいます。そしてわたしたちは知らず知らずのうちに、最悪の事態ばかり考えるようになります。
 残念なことに、社会は子供たちに「心の庭を注意深く手入れする」必要をちゃんと教えません。」P176

そしてさらに「15章 自分で手綱を握る」 において

「わたしは、反応能力を、「感覚系を通って入ってくるあらゆる刺激に対してどう反応するかを選ぶ能力」と定義します。自発的に引き起こされる(感情を司る)大脳辺縁系のプログラムが存在しますが、このプログラムの一つが誘発されて、化学物質が体内に満ちわたり、そして血流からその物質の痕跡が消えるまで、すべてが90秒以内に終わります。
 たとえば怒りの反応は、自発的に誘発されるプログラム。ひとたび怒りが誘発されると、脳から放出された化学物質がからだに満ち、生理的な反応が引き起こされます。最初の誘発から90秒以内に、怒りの科学的な成分は血液中からなくなり、自動的な反応は終わります。もし90秒が過ぎてもまだ怒りが続いているとしたら、それはその回路が機能し続けるようにわたしが選択をしたからです。瞬間、瞬間に、神経回路につなげるか、それとも、現在の瞬間に戻って、つかの間の生理機能としてその反応を消散させるかのどちらかの選択をしているんです。」P178
「自動回路が行っている選択に注意を払うことによって、自分で手綱を握り、意識的な選択を増やすことができます。長期的に、自分の人生全般に責任を負うのです。」P179

これは「90秒ルール」として最近ときどき紹介されます。あらゆる情動は「90秒待つこと」でひと段落するはずなのです。それをやり過ごし、そこからどのようにするのかは自分の意志が決めることだということです。

「静観する姿勢」は具体的にいえば「90秒待って、どうしたいのかを静かに考える」ということだと思います。わたしは最近、癖になっている思考ループが押し寄せてくるのを一歩引いて眺めてみる、ことからはじめています。例えば、破壊的で悪意に満ちた思念がやって来るような事態に遭遇したとき、わたしはいつも通りカッとします。そして怒りが収まるまで90秒待って、いつもの悪意に満ちた「物語」が脳に響き渡るのを抑え、どうしたいのかを思い浮かべるのです。そうすると、実はとても平和的で建設的な結末を望んでいることに気づきました。一度それに気づきますと、もう怒りが続かなくなるのです!ごく自然に冷静になり、それ以上何も起こらなかったのでした。これはとても意識的に行わないとだめだな、と当初は思っていたのですが、どうやらそうでもなさそうな気がしています。これは現在進行形のことですから、またしばらくしたらどうなったかご報告したいと思います。乞うご期待。