しばらく前に録画してあったこの映画を見た。
色々考えさせられる。家族で一人だけ耳が聞こえて、普通に喋ることができるので、小さい頃から家族の通訳役をしていた女の子であるルビーに、実はずば抜けた歌唱能力があることを音楽の先生が発見し、レッスンを受け始めるが、家業である漁業をやっていくためには、船上でサイレンや警告を聴ける人が同乗する必要があり、ルビーは家と歌(奨学金での音大進学)の板挟みに合う。・・・が、父親は土壇場で彼女の才能を体感することができ、ルビーを受験会場に連れて行く・・・・
同じ聴覚障がいでも、兄は少し聞こえるらしく、スマホメッセージのやりとりで女の子を口説いたりする。
母は全く空気が読めないが、父はなんとなく読める人・・・そんな気がする。ルビーの出演する発表会に家族で行き、周りは拍手喝采・・自分達は全く聞こえないが周りに合わせて拍手する。家族で先生に挨拶に行くが、進学を諦め家業を手伝う決心をしているルビーのことを残念に思っている先生は泣きそうな顔をしている。その顔を見て感じ取ったのかもしれない。父はルビーに自分の前でもう一度歌わせて、彼女の喉に手をやり、振動を楽しんだ。そして翌朝・・・・。
家族を繋ぐのは手話。手話でこんなに細かな表現ができるなんて知らなかった。家族役の人には本当に耳の聞こえない人たちを採用したとのことで、とてもリアリティがある。撮影も手話でのコミュニケーションをしながら進められたそうだ。
娘を通訳として便利に使ってきた家族。でもそれは永遠には続かない。通常以上に子離れ・親離れのしづらい家族。それぞれが厳しい決断を迫られていく。
手話をしながら歌うルビーの姿は素晴らしかった。
耳が聞こえない、結果としてうまく喋れないことで怖いのは世間から孤立してしまうこと。ネット社会で文字情報を通じてある程度はコミュニケーションできるようになってきたが、まだまだ壁があるのだな。昔、職場に耳の不自由な方がおられたけれど、読唇術のできる方で、電話には出れないが、面と向かえばある程度のコミュニケーションが取れる方がおられた。様々な理由でコミュニケーションが取れない方とどのようにしたら心を通じ合わせることができるのか・・・、いろんな方法を試して、壁を取り払っていくことが求められていると思った。