これは、先日宇和島のマンホール画像をくださった方と同じ方からいただいたもの。
描かれているのはもちろん那須与一。小学生の頃、何度も読み返していた古典童話集15巻の中に、平家物語があり、これと同じような挿絵が書かれていた。
ただその那須与一が、自分の頭の中でなかなか高松市と結びつかないので、あらためて調べてみた。那須与一が、平家の女性の掲げる扇の的を射るエピソードは源平合戦の中でも「屋島の戦い」の話の中で語られるもので、その屋島とは高松市に属するのであった。
この屋島であるが、江戸時代までは陸から離れた島であったがその後の埋め立てで、陸続きになったのだという。見かけは平べったく、屋根のような形状であることから、屋島とよばれるそうな。
実は屋島の戦い(1185年)よりずっと前、663年の白村江の戦いの後(667年)に屋嶋城が築かれ、山上の全域が城とされているらしく、ここへ行けば古代山城(朝鮮式山城)が見学できるようだ。
高松市には、日本100名城の高松城があるし、屋島には屋嶋城の他、八十八箇所の屋島寺もあるという。是非、これからも長生きして、足を運んでみたいものである。
描かれているのはもちろん那須与一。小学生の頃、何度も読み返していた古典童話集15巻の中に、平家物語があり、これと同じような挿絵が書かれていた。
ただその那須与一が、自分の頭の中でなかなか高松市と結びつかないので、あらためて調べてみた。那須与一が、平家の女性の掲げる扇の的を射るエピソードは源平合戦の中でも「屋島の戦い」の話の中で語られるもので、その屋島とは高松市に属するのであった。
この屋島であるが、江戸時代までは陸から離れた島であったがその後の埋め立てで、陸続きになったのだという。見かけは平べったく、屋根のような形状であることから、屋島とよばれるそうな。
実は屋島の戦い(1185年)よりずっと前、663年の白村江の戦いの後(667年)に屋嶋城が築かれ、山上の全域が城とされているらしく、ここへ行けば古代山城(朝鮮式山城)が見学できるようだ。
高松市には、日本100名城の高松城があるし、屋島には屋嶋城の他、八十八箇所の屋島寺もあるという。是非、これからも長生きして、足を運んでみたいものである。