私は過去に、このようなことがしばしばあった。私は主張し、相手を圧倒しているのに、それに伴って、会議の中で、自分がどんどん孤立していき、結局、自分の主張は曖昧に流され、採用されることがなかったことである。「まあ、まあ」などと言いながら、仲裁をきどる人の意見が採用されたりするのである。自分が言っていることは正論で、間違いがないのだが、他人の共感が得られないのである。あれだけ長く、議論したのは何だったのかと言う無力感だけが後に残るのである。藤井聡氏の著書『人を動かす「正論」の伝え方』という本があるそうだ。記事はその抜粋を乗せている。それによれば、自分の意見を上司なり、同僚の人たちに通したければ、その人たちが自分の意見を上司の意見なり、同僚の人の意見だと思わせることが肝心だと説く。難しいようだが、私のように、正論で、あるいは議論テクニックで相手を圧倒してしまってはいけないのである。欧米では議論で相手を圧倒することを教えているようだが、それでは相手から恨みや妬み、さらには反抗心を煽るだけなのである。では相手に自分の意見をそれぞれの意見だと思わせるにはどうしたらよいのか。つまるところは相手に話させることしかないのではないか。それができない自分である。(くちなし亭へようこそ、2022.10.10)
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