風塵社的業務日誌

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宗像大社国宝展

2014年08月28日 | 出版
某日、妻が突然「こんなクソ暑い家の中にいたくない」と言い出す。「どうしたいの?」「出光美術館の宗像大社国宝展を見に行きたい」「じゃあ、そうしようか」「あんた先に行って、池袋の金券ショップで前売り買ってきて」「はい、わかりました」何度も書いていることであるが、我が家にはイエッサー以外の答えは存在していない。
池袋まで歩いていき金券ショップに寄ってから、有楽町で妻と落ち合い帝国劇場の地下へ。迷路のようなエレベーターの乗り継ぎをし、9階の美術館にたどり着く。さほど混んでもなく、なによりも冷房が効いていてありがたい。小生らの前であいさつのパネルを高齢夫婦が読んでいる。そのオヤジが突然、ブリッと放屁なされた。妻は小生がやらかしたと勘違いし、小生のボディにフックを打ち込みやがる。思わず、こちらもガスがもれそうになった。
「痛えな。わしじゃなかろうもん。前のオヤジやろ」「あんたはいつもところかまわずおならばっかりしているから、そういう目にあうのよ」こいつはどうして、おのれの過失を認めようとしないのかねえ。
それで、この宗像大社展なるものは、福岡県宗像市に宗像大社という立派な神社があり、その沖合いに浮かぶ沖ノ島を聖域としている。戦後、その発掘調査が行われ、その遺物は現在、宗像大社に収蔵されているのだけれど、その物品を中心とした展示である。そのほとんどが国宝だ。沖ノ島は古代から朝鮮半島と日本を結ぶ海の道の要衝にあり、航海の安全祈願などで古くから信仰の島であった。以前、NHKでその姿を紹介した番組を見たような気がするけれど、それほど鮮明に記憶しているわけではない。
そして、その宗像大社を中心にしていたのが、海人族である。その一派が阿曇(安曇)族と呼ばれ、各地に点在している(らしい)。さらにその中で日本海側を北上したグループが、信濃川を遡上し現在の安曇野の地を切り開いたといわれている。しかし、それが本当なのかどうかは、知る由もない。
小生はその安曇野の出ではあるけれど、もちろん、先祖代々の安曇族であるのかどうかなんていう確証があるわけもない。どうせ万世一系の水呑百姓であることに間違いはないと思うけれど、どこかの流れ者が安曇野に定住して小生のご先祖さんになったという可能性もあるし、安曇族に追い払われた縄文系かもしれない。
先日、SGが遊びに来て、いま読んでいるという新潮文庫の古代史の本を見せてくれた。なんでもそれによると、出雲の大国主命の息子で国譲りに反対したのがおり、彼が敗北して逃げていった先が諏訪大社なんだそうである。古代において信州と出雲や筑前とになんらかの人的交流があったことは推察はできるけれど、それ以上のものでもない。そこから仮説的ストーリーを作ることは可能ではあっても、たいして資料が残っているわけでもないから推測の域を出ないのであり、古代史って難しいなあと思う。それだけに、素人でも簡単に踏み込めるのかもしれない。
また、諏訪と安曇野とでは、現在は心理的な距離がずいぶんある。古代においてはどういう関係だったのだろうか。行ったことがないのだけれど、両者の間を和田峠というのが隔てており、そこは黒曜石の産地として有名なところである。先日諏訪に行ったとき、和田峠が諏訪に近いことを実感したばかりであった。その黒曜石の交易ルートから、縄文人も広いネットワークを持っていたことが知られている。したがって、縄文時代の末期には(弥生の草創期には)、縄文人と渡来人との交流があってもおかしくはない。
ところがしかし、小生はそれほど古代史に関心があるわけではないのだ。高校生のころは縄文少年だったし、普通の人よりは古代史の本を読んでいるのかもしれないけれど、それ以上の情熱があるわけではない。以前、某業界紙の社長曰く、「人間って年を取るとなあ、宗教だとか古代史が好きになるんだよ」と。笑っちゃったけれど、これには納得してしまった。死んだらどうなるのだろうという漠然とした不安が、ご先祖はどうだったんだろうとか、宗教心とかに関心を向けさせるのだろう。そうすると、小生が古代に関心を持つようになると、それは耄碌したということかもしれない。
そこで宗像大社展である。まずはずらっと並んだ銅鏡がお出迎え。黄金の指輪やら、ササン朝ペルシアから伝わってきたガラスの器の破片やらが展示されており、沖ノ島ってすげえなあとびっくりしてしまった。いただけなかったのは、伊勢神宮に奉納されているというものを、わざわざ展示していたところ。こんなつまんねえもの出してくるんじゃねえよと、ひとりむかつく。しかし、機織のミニチュアなんて、よく出土したなあと感心する。そもそも、機織を神に捧げるというのは、どういう心性によるものなのだろうか。中国の影響による皇后信仰のようなものがあったのだろうか。
古文書も何枚か展示されていたけれど、もうまったく読めなくなってしまっている。学生のころは少しだけ読めたけれど、み~んな忘れてしまった。毎日やっていないと、ダメだねえ。黒田藩の奉納品も展示されていたけれど、そもそも黒田藩って初代がいま流行りの如水で、二代目が長政になるのかな?妻にたずねたら、「そんなこと知らないから、大河ドラマ見ればいいじゃない」と言われ、「絶対に見ない」と答えておく。なぜなら、ドラマはしょせんドラマであり、史学ではないのだ。わざわざ色眼鏡をかける必要はない。

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