風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

ハイライト

2011年02月16日 | 出版
以前に書いた話かもしれないが、歳のせいか、そんなことも忘れている。ふと思い出したので、書き連ねることにしよう。
小生、若い頃、九州の某所で食い詰めてしまい、やむなく上京することにした。当時はまだバブルの余波が続いており、東京に出ればなんとかなるだろうというまだ牧歌的な時代ではあった。そこであるところに転がり込み、某西日暮里のマンションの一角に、住むところを与えられることになった。
ところが、そこには先住民がいた。その先住民とナシをつけなければならない。そこで某年4月のある日、そのマンションに出向き、先住民どもと話し合いをすることになった。当時、小生は愛煙家であり、とくにハイライトが好みであった。ところがあいにくタバコを切らしていて、JR日暮里の駅を降りそのマンションに向かう途中に自販機くらいあるだろうと思っていたら、まったく見当たらない。アリャー、しょうがねえなあ、ガマンするかと目的地のマンションへと向かうことになる。
そのマンションに到着し、しばし話し合うべき先住民どもが来るのを寝そべって待っていることになる。ようやくにして、黒ぶちのメガネをかけた、いかにもヘンなおじさんが現れた。そこで小生は意気込んで、これこれこうなんですよと事情説明をしようと思ったら、オッサン曰く「今からいろいろ人が来るから、ここで説明されても二重手間になるだろうから、あとで説明して」とボソボソとなかなか聞き取りにくい声で言う。
フーン、それならしょうがねえなあとこちらも思いつつも、見ず知らずのおじさんと沈黙したまま向き合っているのもいささか気まずい。するとそのおじさん、ハイライトを取り出し、それにフィルターをつけて、一人勝手にうまそうにタバコを吸い始めやがる。ついつい誘惑に負けてしまい、「すみません。そのタバコを一本もらえないですか」と言ってしまったことが、その後の小生の人生を大いに狂わせることになってしまった。
このオッサン、シラフだとろくにものをしゃべらない。ところが酔っ払ってくると、どうでもいいようなヘ理屈を次から次にこね始めるしょうもない、本当にしょうもないオヤジであったのだ。そのうえ、小生も決してヘ理屈がきらいではない。オッサンの挑発に乗るような形で、酒を飲んではくだらないヘ理屈合戦を繰り広げることになってしまった。それもこれも、そのときにハイライトを一本所望したことがきっかけなのだ。
実際に、そのハイライトはうまかった。しかし、タバコなんてものはすぐに燃え尽きてしまう。そこで、シラフの状態の黙然としたオッサンを前にどうしたものかいなと思いつつも、「すみません、もう一本」なんてやっているうちに、ようやく、先住民のほかの人たちが集まってきて、こちらで話すべきことを話し、とりあえず話も終ったので酒を飲むことになり、そのオッサンの不可思議な生態を承認することができたのであった。
そこで、先ほど述べたように、オッサンの酔っ払い話に付き合っているうちに、そのオッサンのへそ曲がりの精神、反権威的な精神性、論理を構築する創造性に魅了されるようになってしまった。それまで九州にいたときに、自分の話を通じ合える相手があまりに少なすぎるという鬱々たる気持ちを抱いていた小生であったので、そのオッサンとの出会いは、おんなじ匂いのする奴と久しぶりに出会えたという感じがした。東京に出てきたよかったと、率直に思うこともできた瞬間でもあったのだ。
以来、十数年、そのオッサンと付かず離れず過ごしてきたのであるが、ある日、オッサンが病に倒れてしまった。それはそれで自然の摂理なのだからしょうがないことだ。オッサンはまだ生きてはいるけれど、電話をしてもつながらない。オッサンには、苦しいときにお金を借りたことがたびたびあり、あと15万円を返済しないといけないのだけれど、その振込先の口座がわからなくなってしまった。といって、口座がわかってもすぐに振り込めるわけではない。これはこれで困ったものだ。
それはともかく、そのオッサンとの出会いは小生にとって幸福なことだったと思う。オッサンがどう思っているのかは知らない。でも、そのときにオッサンと出会っていなければ、小生にとっては、味気ない人生を送る破目になったのはないのだろうか。気恥ずかしいからあまり言いたくないけれど、オッサンには深く感謝している。そのおかげで、警察のガサ入れを食らったり、貧乏出版社を引き継がなくてはならない状況に追い込まれたりと、負の要素を多分にこうむったわけであるけれど、飽きもせずにいまだ生きているというのは、すべてオッサンとの出会いがあったからだ。オッサン、どうもありがとう。早く元気になってねと、心の底から謝辞を述べたい。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿