風塵社的業務日誌

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わたしの新潮社物語 その2

2008年07月25日 | 出版
思えば、『週刊新潮』を不定期に読み始めたのは、中学生くらいだったと思う。当時は、父親が買ってきたのを盗み読んでいた。それ以来現在に至るまで、つまらねえ週刊誌という評価は微塵も揺るいだことはない。
どこかで女子高生が殺されるというような事件があると、「彼女の通っていた学校の裏には、よく使用済みのコンドームが落ちていましたよ」と、ガキでもホンマかいなと思うような目撃談が書かれていて、全編、「最近の若い者は」というトーンで貫かれている。あまりにつまらないので、ここ4、5年は手にとった記憶がないけれど、いまも同じ調子だろう。友人のひとりが、『週刊新潮』は落ちてても拾わないと言っていたが、それは小生も同様である。内容のどす黒さと全然合わないむかしの谷内六郎の表紙絵は、まったくもってウソくさかった(いまは誰だっけ?)。
どうしてそこまでバカにしているものを読みたかったのかというと、「黒い報告書」が唯一の楽しみであったからだ。いまとちがって当時の筆者は覆面で、男女のもつれから殺人事件に発展する過程を、独特のポルノ小説として描いていた。のちになって、井上光晴あたりが覆面作家として小遣い稼ぎに書いていたらしいという話を耳にするわけであるが、中坊にそんなこと知る由もない。
これが井上の筆なのかどうかは知らないが、中学生当時から現在になってもいまだに不可思議な表現があった。それは、「決して美人というわけではないが男好きのする顔立ちで」と女性の容姿を表現したもので、いったいどんな顔なんやねんとガキのころから疑問に思い続けている。
確かに、あまりに端正な顔立ちよりも、少々左右のバランスが崩れている方が、男好きすると思う。例えば、唇のゆがみ方とか、目の大きさとかが、左右で少々アンバランスな方が色気を感じるものだ。そういう意味なのかなあと、大人になって思い起こすことがあった。しかし、具体的にはどういうイメージなのか、いまだによくわからない。
ところで「黒い報告書」の場合、その女に男が入れ込んで保険金目当てに元の旦那を殺したりするわけなので、そうなるとその女性の「魔性度」なんてガキに理解できるわけがない。それは作家の描写不足というよりも、小生の人生経験不足であるわけであるが、ガキなので「男好きのする顔立ち」の女って恐いんだなあと素朴にワクワクしたものだ。場末の酒場に季節労働者がやってきて、男の汗の臭いに飲み屋の女が欲情するなんて話もあった(けな?)。
いまならばフィクションにしか思わないだろうけれど、ガキなのでそれで充分であった。さきほど「黒い報告書」をポルノと述べたが、それもこちらがガキだったから場面のエロさにチンポが思わずピンコ立ちしただけで、同じものをいま読み返したら、まったくなんの感慨も湧かないのかも知れない。最近は、覆面ではなく作家名を出した形で連載されている(と思うが)、数年前に読んでみてまったく面白くもなくガッカリしたものだ。
それにしても、こんなくだらない週刊誌がよく続いている。みんな「黒い報告書」のファンなのかなあ。しかし井上も、娘がなんとか賞を取ってよかったね。

今日は一日暑かった。ちょっと外に出ただけで、汗が出てくる。
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ついでに、危惧していたことがこういう形になった。
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マスコミは報道の仕方をもっと考えるべきである。今回も加害者の実家に押しかけて、加害者の父親が血祭りに上げられていたが、成人男性の犯罪なので親に罪はないはずだ。その程度の冷静な思考も保てないアホどもだから、被害者の家族にまで迷惑をかけて平然としていられるのだろう。また彼女の卒業文が紹介されるのかいな。もし小生の家族がこういう事件に巻き込まれたら、マスコミにはまったく応じたくない。

黒い報告書 (新潮クライムファイル)

新潮社

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