風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

年末をいかに乗り切るか 2018

2018年12月07日 | 出版
あ~ぁ、もう12月だ。つい先日まで暑い、暑いと愚痴をこぼしていたというのに、2018年ももう終わりとなる(ついこのあいだまで2017年であり、いまだに2017と記しそうになる自分がいる)。ここまで来たら、なんとか年を越したい。しかし、来年なら展望が開けるのかと自問自答すれば、これまたたいしてよさそうなこともなさそうだ。先日、A監督に「おまえのとこの本、売れているのか?」と質問され、「いやあ、なかなか厳しいですよ」と答えると、「それは、売れるものを必死に考えていないのじゃないのか?」と言われ、いささかムカッとしたものである。そもそも、業界天気図がドシャ降り状態なのであるから、その業界の端くれにいる零細企業としては息をしているだけで必死なのだ。
それにしても、どうしたら年を越せるか、最後の最後の見極めがまだできていない。裏技を駆使せず、単純に収支計算すればいささか足りないという感じである。困ったなあ。裏技といっても、天からお金が降ってくるわけではない。いかにして支払を延ばすかという算段でしかないのだ(つまりは問題の先送り)。今月の入金はだいたい見えているし、どうしたものかと案じているところに、某所から電話。ウーム、これを前金でもらえれば、余裕で年を越せそうだけれど、さて、どうやって切り出したものか。
こうした体たらくに陥っているのは、風塵社の活動として思い描いていることが8月からなかなか進んでいないところにある。原因は単純で、ある文章を小生が書けないからだ。ズーッとうなってはいるのであるが、その文章の核とすべきことがまったく思い浮かばない。事前のイメージとしては、その文章を仕上げ、そこからコピーやらなんやらを派生させていこうという作戦であった。ところが、肝心の文章が書けないのでは、作戦など絵に描いた餅。
おかげでこの数ヶ月、風塵社としては停滞してしまった。もちろん、ほかの仕事もこなしつつの話なので、弊社で抱えた仕事がなにも進んでいないという意味ではない。しかし、その以前からいろいろ布石を打ってきた戦略があり、それが停滞してしまって悩んでいるということだ。ウーン、どうしよう。ここで天啓など待っていたら、年を越してしまう。
もうずいぶんと前のことになるが、あるお笑い番組のディレクター(プロデューサー?)さんにインタビューさせてもらうことがあった。といって、インタビューイは小生ではなくあるお笑い好きの方で、小生はその後ろにノコノコ付いていっただけのことである。その方のお話は、お笑いにさほどの関心もない小生でもかなり面白かった。そして、モノ作りという面では、かなり勉強させていただいたという記憶がある。
その方からは感心する話が次から次に展開されていき、その一つに「自分の作品を、おのれの赤子と思うか、それともクソと思うか、どっちですか?」というものがあった。これは、あるライブ番組に有名映画監督を何人か招き、そして、その質問をぶつけるという趣向であったそうだ。赤子とはつまり、おのれにとってかけがえのない愛おしいもの、ということになるのだろう。クソとは、おのれが生きていくうえで必然的に生み出さざるをえないものである、と小生は理解した。
そこで大島渚はクソと答えだったのかな(?)。アリャッ、オチを忘れた。それはともかく、小生にしてみれば、ここに書き連ねている文章を筆頭に、小生なりの表現はすべてクソでしかない。しかし、そのクソをひねり出さなければ、小生はすでに死んじゃっていたわけである。50年以上も生きてこれたのは、こうやってクソを垂れ流してきたからこそなのだ。
そこで、以上概観したごとく小生の現状を点検してみれば、意外にも、小生は幸せものではないかという気もしてきた。とにかくクソを垂れ流していればなんとかなるのだ。以前、旧友のN氏と次のような会話をしたことがある。「腹巻さんはいいよねえ」「なに言ってんだ。金欠病で死にそうだよ」「だけどその代わり、人間関係でいやな思いをしてないでしょ」「だけどねぇ、金がなくて七転八倒しているのと、いやな奴に付き従って不愉快になるのとでは、金がない方がつらいように思うけどね」「それはどうかなあ?」
以前に述べたことかもしれないが、実はある日気が付くと、周りにいやな奴がいなくなっていたのだ。実の父親がとっくに死んでくれたのはうれしかったし、某社長はボケてくれるし、苦手な別の某社長は自己破産して小生の目の前から消えてくれるしで、浅い付き合いならともかく、深く付き合っている関係性において「こいつとは会いたくないなあ」という人物がいなくなったのである。そもそもは、小生に甘えてくる年長者がきらいである。そいつらがみなさん淘汰されたおかげで、N氏が抱えているような悩みを共有する必要がなくなっている。もしかして、ここに来年の飛躍への秘鑰があるのかもしれない。
ここまでただの思い込みかもしれないが、それがどうした。おのれが多幸感に包まれているという幻想こそが明日を変える(かもしれない)。

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