三笠宮は双子だった?
皇室ジャーナリストの河原敏明氏の 執念の真相探求本です。
大正天皇と貞明皇后の4男の 崇仁(たかひと 後の三笠宮)親王には 双子の妹君があった。
当時多胎は 畜生腹と言われ忌み嫌われていて、 特に男女の双子は 情死者の生まれ変わりと言われ 地方によっては夫婦にしたりしていたらしい。
ましてや皇室に於いては あってはならないことだった。
そこで密かに 崇仁親王の妹君は 里子に出され、 5才で皇室と縁の深い 奈良の円照寺に入山され 学校にも行かず 門跡となるべく教育を受けられた。
10世円照寺門跡 山本静山(じょうざん 1915~1995)がその人に当るという。
数々の逸話で 立証していくのですが その取材振りが凄い。
特にご本人静山に対するこれでもかの 追跡には もしそれが本当でも ご本人の与(あずか)り知らぬ所での出来事であり 気の毒とも思える。
ジャーナリストって 罪な職業だ。
「こいつは春から縁起がいいわい~」の科白で有名な 歌舞伎の『三人吉三巴白波』 大川端の場の 後の幕に 生き別れの男女の双子がそうとは知らず情を交わす、 畜生道に堕ちるという場へと続くのを思い出しました。
双子の兄に当る 崇仁皇子が 三笠宮となられるのは お妹御が門跡を勤められる円照寺から 三笠山が眺められるから というのが著者の推測です。
静山門跡は 著者の言うようにお気の毒だったのだろうか。
もし静山門跡が皇女であったとしても 今更こんなに執拗な取材(最後の方はむきになられているよう)で真実を明かすことにどんな意義があるのだろう。
門跡がまだ存命中のことだったし。
色々と考えさせられた
風呼r でした
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