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マーラー 歌曲集「大地の歌」/バースタイン&VPO、他

2009年02月13日 23時12分24秒 | マーラー+新ウィーン
 ゲルギエフがロッテルダム・フィルを振ったマーラーの交響曲第8番を観て、久しぶりにかの曲を聴いてみたくなり、クーベリック、テンシュテット、インバル、バーンスタインと立て続けに聴いたところで、「お次は....」とばかりに聴いているのが、この「大地の歌」である。私はかなりマーラーを愛好している方だと思うが、正直言って第8番と「大地の歌」はどうも馴染みがない。今回第8番の方は映像観て、いろいろと演奏を聴いたせいで、かなり馴染めた....というか、初めてうっすらと全貌が見えてきたような気もするのだが、ついでに聴いた「大地の歌」については、依然としてけっこうな難物だ。

 マーラーの交響曲をクロノジカルに眺めると7番までは、その音楽的な変遷やその必然性のようなものがある程度分かるような気がするのだが、8番以降はなにやら「生涯の総決算」とくくってしまえば簡単だけど、気宇壮大、西洋の祝祭的ムードが極限まで拡大されたみたいな第8番の後、どうして虚無的でしかも東洋風な「大地の歌」なのか?、まずそのあまりの落差のようなものが居心地が悪い。また、単体の曲としても、歌曲集と交響曲がないまぜになったような構成(ついでに書けば最終楽章だけ異様に巨大なのも)、そして随所に飛び出すちとあざといまでに中国風なエキゾチックな旋律など、個人的にはけっこう抵抗感を感じるのである。

 今回は、まずファリアーとキングをフィーチャーしたワルターとVPOによるモノラル期の名盤から聴いてみた。レコード時代から聴いていたものだが、改めて聴くとやはり音が貧相なのがつらい。また、ファリアーのリリカルだが深い感情を伴った歌唱も今の自分が聴くにはちと高カロリーすぎるような気がして馴染めなかった。そこでもっと録音が良く、もっと美麗なものということで、カラヤンとベルリンが70年代中盤に録音したものを聴いてみたが、こちらはとにかく録音が良いし、この時期のカラヤンらしく、滑るような美しさが出た演奏で、この曲のマーラー的なモノがいくらか見えてきたような気がしたので、そこそこ楽しんで聴いているところである。

 そんな訳で、調子にのってつい先日HMVで購入したのがコレだ。この演奏は通常アルトで歌う偶数楽章をフィッシャー=ディスカウが歌っている変わり種なのだが、実は「大地の歌」といえば、私が最初に購入したアナログ盤が他でもないこれなのであった。だからという訳でもないだろうが、「あぁ、コレコレ」とまでいかないものの、一聴して実にしっくりときた。バーンスタインの豪快さ、ウィーンのエレガントな音色、ありがちな絶叫調にならず、理知的にコントロールされたフィッシャー=ディスカウ....この三者のバランスが絶妙なのである(ついでに録音もデッカ最良の部類ではないか?)。という訳で、今の私が聴いて一番違和感のない「大地の歌」はコレだな。さて、実はこのアルバムと一緒にクレンペラーとフィルハーモニアによる有名なアルバムも購入したのだが、そちらはどうであろうか?。
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