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ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番/ハーン、ヤノフスキ&オスロPO (SACD)

2009年02月27日 23時19分24秒 | クラシック(20世紀~)
 さて、ヒラリー・ハーンのショスタコーヴィチ、ヴァイオリン協奏曲第1番である。ヒラリー・ハーンといえば、よく知らないけれど、若手の女流ヴァイオリニストの中では昨今一番人気のあるではないか。前回も書いたけれど、私はソロ・ヴァイオリンが苦手なクチだったので、若手でルックス的にも華のある話題の女流が出てきたところで、ほとんど関心がなかったのだが、この人はやはりメディアへの露出度が群を抜いていたのか、さすがの私も知っていたくらいだ(ちなみにサラ・チャンは全く知らなかった)。それにしても、バティアシュベリ、チャンといい、この人といい、今の若手はこういう高度な技巧を要するに違いない楽曲を軽々と弾いてしまうのは驚く。私はつい先日この曲を知ったばかりだから、たいしたことはわからないものの、おそらくこの曲は四半世紀前は恐るべき難曲だったに違いなく、そういうものをデビューからほどなく取り上げるというのは、テクニックという超えるべき壁をやすやすと克服してしまった今時なヴィルトゥーゾ達にとっては、格好の履修課題になってしまっているのではないかとすら思う。

 で、ヒラリー・ハーン(アメリカの人らしい)、蝋人形みたいな華奢で可愛らしいルックスなのだがら、ジャケの写真からしてアイドル的に売り出された人なのだろうと思っていたら大違い(笑)。唖然とするほどに正確無比、まるで精密機械のような演奏なのは当たり前という感じで、その上に多分、独特といってもいいのだろう、温度感の低い怜悧な歌い回しに、スポーティーなドライブ感まで持ち合わせて、もうアーティストとして立派に自己主張しているのだから、恐れ入ってしまう。第1楽章の瞑想的な雰囲気や第3楽章の哀感など、ことさら声を荒立てる訳でもなく、かなり冷静なタッチで歌い込んでいる印象だが、音楽的な充実感があって聴き応え十分である。
 また、動きの速い複雑なパッセージが次々に登場する偶数楽章は、まさにしく一部の隙もない正確無比さと高速回転する精密機械みたいなドライブ感で乗り切っていて素晴らしい。この人の良さというのは、ハメをはずだとか、暴走するとかいう言葉とはほとんど無縁な端正があるものの、なにか不思議なドライブ感があって、それが実に耳に心地よいと思う。最終楽章のホットな展開など、めくるめくテクニックを駆使しつつ、どことなくクールなのはそういった特徴がよくあらわれている。また、カデンツァの次第に高まっていくテンションの表現も、流れを断ち切らず実になめらかに上昇していく感じでその構成力は見事なものである。

 という訳で、ヒラリー・ハーンの演奏、実に素晴らしい。先日聴いたサラ・チャンの演奏もそれはもう見事なものだったし、ショスタコといえば、必ず取り沙汰される屈折感だの、複雑に表現された感情の吐露のような表現となると、そのあたりすら読み切っているという感じのサラ・チャンはほとんど完璧と呼ぶに相応しい演奏だったように思うのだけれど、あまりに完全無欠な感じがして、いまひとつおもしろみがないようにも感じてしまう。また、録音のせいなのか、なんだかヴァイオリンが鳴りきっていないようなもどかしさも感じないでもないの比べると、ハーンの方はまずピーンと張った抜けのいいヴァイオリンの音色自体に感覚的な心地良さがあるのがいい(ちなみにヤノフスキ&オスロ・フィルのバックも好演、ただし、この点だけをとりあげると、チャンの方のバックは当代一のラトル&ベルリンだから大分ポイントが高いかな)。
 という訳で、ハーンの演奏なかなか気に入りました。ほんとは一番聴きたいのは、もっとヴァイオリンが鳴りきり、豪快かつ奔放に演奏したバティアシュベリなんだけど、彼女のショスタコはまだCDないんだよなぁ....。
コメント (2)
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