「ラン・デヴィル・ラン」に続く2001年の作品。先日も書いたように「ラン・デヴィル・ラン」は一種のカバー集だったので、これは「フレンミング・パイ」に続くオリジナル・アルバムといってもいいかもしれない。ただし、今回は「マッカートニー」スタイルによるひとり多重スタイルでなく、バンド編成によっている。多分、「ラン・デヴィル・ラン」で掴んだバンド編成で録音することのアクティティーみたいなものをそのまま持ち込んだんだのだろうと思うが、本作では「いちいち指図しなくて済む超ペテラン勢」ではなく、若手ミュージシャンを集めて作ったのが注目される。実際、クレジットを見ても集まった面々は知らない人ばかりだ。
全体としては基本的に「フレミング・パイ」の音楽を「ラン・デヴィル・ラン」の今風なギターバンド系のサウンドをプラスして仕上げたといったところだろうか。音楽的には大局的にはポールそのものだが、聴こえてくるサウンドは、紛れもなく90年代以降のギター・バンド系の音をしていて、時にグランジっぽかったり、アブストラクトなループが出てくるのは驚きだ。前作でのシャープでタイトなバンド・サウンド(時にハードロックまがいだったりした)も驚いたが、これもなかなかのものだと思う。ポールはサウンド的な面でいうと、「フレミング・パイ」以降、一貫してアンチ・スムース、アンチ光沢系のサウンドを指向しているようで、本作では更にそのあたりを徹底した音が欲しくなって、若手ミュージシャンを集めたのだろうと思う。そのゴツゴツとした感触は非常に新鮮な響きに満ち満ちている。「今時の音をフォロウしてみました」的な媚びたところが全くないのがいい。こうしたやり過ぎ感は、なんとなく大昔の「ワイルド・ライフ」でやらかしたハードロックまがいの音を思い出させたりすもする。
収録曲はどれも相変わらず渋い、「I Do」みたいないかにもポールらしい愛らしい曲もあるが、基本的に内向的で地味なものだと思う。「売れるためにはどういう曲で音にすればいい?」みたいな手練手管のようなものは、薬にしたくもないという感じだ。ボールといえば「地でやっもポップさがある人」みたいなイメージがあるが、案外地でやると、例えばホワイト・アルバムに収録された曲みたいに、意外と神妙でストイックな感じになるんだなぁ....と改めて感じたりもした。ともあれ、これは聴き何度も聴き返さなければいけないだろう。聴き込めば「フレミング・パイ」と同等の滋味あふれる作品になるような予感がする。
全体としては基本的に「フレミング・パイ」の音楽を「ラン・デヴィル・ラン」の今風なギターバンド系のサウンドをプラスして仕上げたといったところだろうか。音楽的には大局的にはポールそのものだが、聴こえてくるサウンドは、紛れもなく90年代以降のギター・バンド系の音をしていて、時にグランジっぽかったり、アブストラクトなループが出てくるのは驚きだ。前作でのシャープでタイトなバンド・サウンド(時にハードロックまがいだったりした)も驚いたが、これもなかなかのものだと思う。ポールはサウンド的な面でいうと、「フレミング・パイ」以降、一貫してアンチ・スムース、アンチ光沢系のサウンドを指向しているようで、本作では更にそのあたりを徹底した音が欲しくなって、若手ミュージシャンを集めたのだろうと思う。そのゴツゴツとした感触は非常に新鮮な響きに満ち満ちている。「今時の音をフォロウしてみました」的な媚びたところが全くないのがいい。こうしたやり過ぎ感は、なんとなく大昔の「ワイルド・ライフ」でやらかしたハードロックまがいの音を思い出させたりすもする。
収録曲はどれも相変わらず渋い、「I Do」みたいないかにもポールらしい愛らしい曲もあるが、基本的に内向的で地味なものだと思う。「売れるためにはどういう曲で音にすればいい?」みたいな手練手管のようなものは、薬にしたくもないという感じだ。ボールといえば「地でやっもポップさがある人」みたいなイメージがあるが、案外地でやると、例えばホワイト・アルバムに収録された曲みたいに、意外と神妙でストイックな感じになるんだなぁ....と改めて感じたりもした。ともあれ、これは聴き何度も聴き返さなければいけないだろう。聴き込めば「フレミング・パイ」と同等の滋味あふれる作品になるような予感がする。