ボブ・ウェルチは有能なギタリストの相次ぐ脱退による解散の憂き目にあいかけていたフリードウッド・マックを救った人である。ただし、解散はしなかったものの、その時期のマックは売れていたとはお世辞にもいえない。どちらかといえば、ウェルチ在籍時のマックは通向きB級バンドといった感じで、そうそう売れる訳でもないが、そこそこ手堅いセールスを記録するバンドだったように思う、ただ、ウェルチ在籍時の最後の頃にはその後モンスター・グループになる彼らのひな形のようなものはしっかり出来上がっているのは興味深い。付け加えるとそうした傾向はクリスティン・マクビーの曲はもちろんだが、ウェルチの「シー・ビーロングス・トゥ・ミー」が一番それ的だったりすることからして、ある程度ウェルチはいわゆる「ソフト&メロウ路線」を敷いた上でマックを脱退したという気もするのだ。
さて、その後のウェルチはなにをトチ狂ったかハード・ロック系なバンド、パリスを結成するが(マック同様英米混合というところがウェルチらしい)、音楽的にはともかくセールス的には大失敗。起死回生の一作が、この作品、つまり77年の「フレンチ・キッス」だったという訳だ。
当時、マックはスティーピー・ニックスとリンジー・バッキンガムをフロントに擁して、まさに「世界一のピック・バンド」になっていたが、1曲目の「センチメンタル・レディ」はバッキンガムのプロデュース、ドラムにミック・フリートウッド、キーボードとバッキング・ボーカルにクリスティン・マクビーが参加するなど、ほとんどマックの全面的バックアップによる作品に仕上がっていて、これをシングル・カットして大ヒットさせたのである。ボブ・ウェルチが一気に大スターになった一瞬であった。
ところで、しばらく前に私はYouTubeをいろいろ検索しながら、ひょっとしてあるかしら?と見事探しだしたのは、カリフォルニア・ジャム2でのウェルチのステージだった。歌うは「センチメンタル・レディ」ではなく、「エボニー・アイズ」だったが、スティービー・ニックスをバッキング・ボーカルに従えて、意外にも70年代的なエキサイティングな演奏を繰り広げていて、ウェルチ・ファンの私は少しばかり感無量となった。なにしろウェルチはその後、セールス的には急速にフェイドアウトしてしまうのだから、このステージはまさにホブ・ウェルチがメジャー・シーンで一番輝いていた時の姿だったからである。
さて、その後のウェルチはなにをトチ狂ったかハード・ロック系なバンド、パリスを結成するが(マック同様英米混合というところがウェルチらしい)、音楽的にはともかくセールス的には大失敗。起死回生の一作が、この作品、つまり77年の「フレンチ・キッス」だったという訳だ。
当時、マックはスティーピー・ニックスとリンジー・バッキンガムをフロントに擁して、まさに「世界一のピック・バンド」になっていたが、1曲目の「センチメンタル・レディ」はバッキンガムのプロデュース、ドラムにミック・フリートウッド、キーボードとバッキング・ボーカルにクリスティン・マクビーが参加するなど、ほとんどマックの全面的バックアップによる作品に仕上がっていて、これをシングル・カットして大ヒットさせたのである。ボブ・ウェルチが一気に大スターになった一瞬であった。
ところで、しばらく前に私はYouTubeをいろいろ検索しながら、ひょっとしてあるかしら?と見事探しだしたのは、カリフォルニア・ジャム2でのウェルチのステージだった。歌うは「センチメンタル・レディ」ではなく、「エボニー・アイズ」だったが、スティービー・ニックスをバッキング・ボーカルに従えて、意外にも70年代的なエキサイティングな演奏を繰り広げていて、ウェルチ・ファンの私は少しばかり感無量となった。なにしろウェルチはその後、セールス的には急速にフェイドアウトしてしまうのだから、このステージはまさにホブ・ウェルチがメジャー・シーンで一番輝いていた時の姿だったからである。