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シェーンベルク 弦楽四重奏曲第1番/シェーンベルク弦楽四重奏団

2007年05月04日 21時08分37秒 | マーラー+新ウィーン
 とにかく筆舌に尽く難く難解な音楽だ。この作品番号7だから「ペレアスとメリザンド」のたった2つ後である。作曲年も1905年で「ペレアス」から再来年の作曲ということになるから、無調だの12音だのという新しい概念を導入した訳ではない。この時期のシェーンベルクはまだまだロマン派の範疇で作曲をしていたはずだし、複合的な要素を単一楽章に流し込むという循環形式のはヴァリエーションは「ペレアス」だって同様だった。なのに非常に晦渋さ、とっつきにくさはいったいなんなのだろうと思ってしまう。なにしろテーマは全曲に循環するテーマがやけ地味でほの暗いもので、ちょっと展開だのなるとすぐに主題を見失いがちだし、緩徐楽章やスケルツォに相当する部分も私には抽象度が高すぎて、なにか無味乾燥なものに感じしまうののだ。

 資料で調べると、「浄夜」とか「ペレアス」のような標題性の強い音楽は止めたということらしい。要するにこの作品からは、例えばブラームスみたいなより抽象度の高い絶対音楽みたいなもの作風を狙いはじめたということで、弦楽四重奏というフォーマットはまさに格好のものだっただろうが、その狙いはともかくとして、肝心の音楽の仕上がりといえば大傑作というにはちと厳しいのではないだろうか。自分は作曲などとは全く縁がない人間だが、そういうものを志す人がこの譜面を読むと、非常によく書けていると感心するのではないか、しかしよく書けているからといって、音楽として楽しめる訳でもないという典型的な例ではないだろうか。

 ちなみにこの作品、全体を自分なりに分けみると

・第1部 主題提示部-展開部
・第2部 スケルツォ-第2展開部-第1主題再現部
・第3部 緩徐楽章
・第4部 第2主題再現部

と、まぁ、大体こんな感じになると思う。難解さとしては第2部の後半あたりが最高潮で、このあたりで大抵音楽の行方を見失ってしまう(笑)。時に後の「室内交響曲第1番」あたりを予見するようなアブストラクトな音響的な場面も出てきたりするのが、そのあたりも難解さに拍車をかけていると思う(第2部の最後でようやくテーマが回帰した頃には、なんで、今頃?みたいに思ってしまう-笑)。第3部ではようやっとロマン派らしい普通の音楽になるのもつかの間で、いつの間に第2主題が再現されたのかもよくわからないうちに音楽は終わってしまうとい感じなのである。

 ちなみ今回聴いたのは、シェーンベル弦楽四重奏団による演奏で、「浄夜」をあれほどしっとりと、何気なく弾いた今時の楽団だから、ひょっとすると、この曲も非常に分かり易い普通の曲に聴かせてくれるのではないと期待もしたのだが、残念ながら難解なままである。不遜なことを書かせてもらえば、この曲、主題操作とかそういったものをもっと切りつめて、せめて時間的に半分、いや30分以内くらいなら、作品としてまとまりが出た思う。標題も切れ目もなしで、全体が45分の単一楽章というのは聴く方の集中力も限界を超えているように思うえるのだが....。ともあれ、私のような人間が、こういう曲に慣れ親しむには、それこそ吐くほど聴くしかないということなのだろう。
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