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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ブラッド・スウェット&ティアーズ/ニュー・ブラッド

2008年08月11日 23時44分10秒 | ROCK-POP
  これも実に久しぶりに取り出してきて最近よく聴いているものである。BSTが72年に発表した第5作だが、あの時期にロックを聴いていたは知ってのとおり、BST第5作目にしてこれまでない凡作....というか、某巨大掲示板群風にいうと「BST史上最大のがっかり砲」なのであった(笑)。なにしろBSTは1971年に出した4作目の後、2枚目以降のバンドの表看板だったヴォーカル(作曲でも名曲を残した)のデビッド・クレイトン・トーマスが脱退、次いでBSTの理知的なアレンジを担当していたフレッド・リプシャスとデビッド・ハリガンまでも脱退してしまったのだ。例えていうなら、ストーンズからミック・ジャガーとキース・リチャーズが抜けてしまったようなものだろう。だから、この第5作はビル・ワイマンとチャーリー・ワッツ、あとミック・テイラーが中心になって、メンツを補強して作りあげたストーンズの新作みたいなものであった。

 なにしろ音楽的な中心メンバーがいなくなったのだから、音楽的な傾向は変わるに決まっている。どうも今、聴くと本作では前作までのような「ストレートで硬質なロック・スタイルとこれまた古典的な4ビートジャズの合体」というよりは、「ややレイドバックしたポップ・ロック+クロスオーバー風味」みたいなところに、明確に舵を切っているような印象なのだが、当時はまさにこのあたりが明確なバワーダウンとある種音楽の軟弱化を感じさせて、全く受けなかった訳だ。なにしろこのアルバム、日本での発売元であるソニーは音楽誌に大きな広告をのっけ、アルバムには豪華なブックレットを付け、大プッシュして期待を煽ったアルバムだっただけに、そのがっかり砲振りは逆に日本のファンには大きく焼き付けたという感もある。かくいう私もそのクチで、あまりにコレにがっかりしたせいで、あんに大好きだったBSTが、ほとんどの興味の範囲からはずれてしまったほどだから....。
 ともあれ、BSTはこのがっかり砲の後、ブラス・ロックのトップ・バンドの座はシカゴやチェイスに明け渡し、バンド自体はその後、デビッド・クレイトン・トーマスが復帰したりして、紆余曲折をたどりつつ継続したものの、かつての人気、勢いは二度と回復することなかった(もっとも現在でもバンドは存続しているらしいが....)。

 さて、そんなこのアルバムだが、先日レビュウしたチェイス同様、久しぶりに聴いてみるとなかなかいい。当時、あれほど抵抗を感じたジェリー・フィッシャーのボーカル(この人はロック史上、もっとも損な後釜役のひとりだと思う)もすんなり聴けるし、当時、ほとんど聴くに耐えないという印象をもったゴスペル風ポップの「タッチ・ミー」とか「ソー・ロング・デキシー」なども、「いい曲だったんだね~」と感心してしまう。また、前述の「ややレイドバックしたポップ・ロック+クロスオーバー風味」という点では、「アローン」と「スノー・クイーン」がよく出来ていて、ボーカルとインスト・パートのスリリングなバランス、ボビー・コロンビーのタイトなドラミング、ジョージ・ワデニスのジャズ・ロック風なギターなど楽しめる(コロンビーのドラムといえば「スノー・クイーン」のラストのドラム・ソロは当時からカッコ良いと思っていた)。ラストはハンコックの「処女航海」だが、まさにこれなどクロスオーバーそのものな出来で、当時のロック・ファンにはあまりに早すぎたとしかいいようがない音楽になっている。
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チェイス/黒い炎

2008年08月04日 23時58分15秒 | ROCK-POP
 私がロックを聴き始めたのは、1972年、つまり中学一年頃だったのだけれど、その前後の日本はいささか遅れてやってきたニュー・ロック・ブームのさなかで、洋楽というよりニュー・ロックとしかいいようがないヒット曲がラジオで沢山オンエアされていた。サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」、 シカゴの「クエスチョンズ67/68」 T.レックスの「メタル・グウルー」、アメリカの「名前のない馬」などなど、今でも懐かしく思い出す。そうした曲の中でひときわ印象に残ったのがチェイスの「黒い炎」だった。チェイスはBST、シカゴに続く「第三のブラスロック・バンド」としてデビューしたのだけれど、先行したふたつのバンドと似たようなブラスのフォーマットでは新味がないと思ったのか、トランペット4本という思い切った編成で勝負に出て、それが見事に図に当たりスマッシュ・ヒットになったのがこの曲なのだった。

 そのイケイケなノリで最初からハイトーンなトランペット群が豪快に鳴り響く様は新鮮そのものだったし、ほとんど下世話なほどにやみくもに突撃していくような曲調も痛快そのもので、特に後半のたたみかけるような展開からサビで一気に上りつめるようなめまぐるしい進行は、当時小六か中一くらいだって私の耳にも、「こりゃカッコよすぎる」と感じさせたものだった。おまけにラストについたジングルのようなリフがこれまた、とてつもなくカッコ良く、この曲にダメ押しのような魅力を与えていたと思う(確か当時のTV番組でこのパートを実際ジングルのように使っていた思うし、記憶によれば和田アキ子もこの曲けっこう歌っていた)。そんなあまりにカッコ良いヒットに釣られて、私はこのチェイスのデビュウ・アルバム、そしてそれに続くセカンドも購入したのだが、どうも「黒い炎」のようなカッコ良い曲にはついぞ出会えず、その頃ブラスロックとかいう余計な知識をどこかで仕入れてきた私は、チェイスよりもっと理知的で一流っぽいBSTの方に夢中になってしまってしまい、このチェイスの2枚のアルバムは早々とハンターに売り飛ばしてしまったのだった。

 ただ、「黒い炎」のカッコ良さはやはり忘れられない。数年前によーやっとソニーからこのアルバムがCD化されたと聞いて勇んで購入してきて、ほぼ30年ぶりに聴いてはみたもたものの、やはり「いいのは「黒い炎」だけ」という感じで、オレにとってはチェイスってやっぱ二流バンドなんだよなぁ....などと考えないでもなかったのだが、先日、これまで入手困難だった彼らの三枚のアルバムが2枚に収まったアメリカ盤を入手できたのを幸いに、今一度、これを聴いてみたところ、これがなかなか良かったのである。とにかく改めて聴くと、今まで見えてこなかったところが聴こえてくるというか、いろいろ発見があるのだ。

 まぁ、このあたりについて、あまり詳しく書く気はないけれど、要するにビル・チェイスはこの時点でジャズ畑のベテランだけあって、このアルバムは商売としていろいろな要素をとりこんでいたということだ。このファースト・アルバムに濃厚なジャズ・ファンク色は通俗的というよりは、むしろマイルスの「オン・ザ・コーナー」とかああいった路線と少なからずつながりが見えてくるし(マイルスといえば、アルバム冒頭は明らかに「ビッチズ・ブリュウ」のエコーだ)、子細に聴けばBST的なテクニカルさも十分研究していたところも感じられ、このアルバムは知的な産物だったことがわかって楽しくけたというところだろう。そんな訳で、発売以来35年、このアルバムをこんなに楽しめのたは、個人的には快挙である。やはり人生、待ってみるものだ(大笑)。
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Produced By Trevor Horn <DVD>

2008年01月13日 21時28分51秒 | ROCK-POP
 2004年11月のプリンス・トラスト・コンサートのDVD。私はこの皇太子が主催するとかいう慈善コンサートが、毎年どういう経緯で出演者を選定し、また企画されるのか、よく知らないのだけれど、とにかくこの年はトレヴァー・ホーンの25周年記念コンサートだったようで、このディスクはその時の模様をほぼフルに収録したものである。
 トレバーホーンはミュージシャンとしてはベースとヴォーカルをやってきた人だが、なんといってもプロデューサー業で有名になった人なので、最初こそバグルスのベーシスト&ヴォーカルとしてメインで出てくるものの、その後は彼がプロデュースしたアーティストが、ほぼ歴史順に次々に登場して来るという趣向になっている。おそらく純イギリス的なセンスがベースになったコンサートなので、ワールドワイドな視点でみると、地味なコンサートかもしれないけれど、私のようなブリティッシュ・ロック愛好家にとっては、かなり凄いメンツではある。

 冒頭のバグルスはキーボードのジェフ・ダウンズはもちろんだが、アルバムにはクレジットされなかったブルース・ウーリーが参加しての完全オリジナル・メンバー、しかもバック・コーラスの2人はオリジナル・レコーディングに参加したメンバーも擁しているから最初から気合いが入っている。おまけにほぼ全ステージを通じて、バックを固める面々にはアン・ダッドリー、ロル・クレーム、フィル・パーマー、アラン・ホワイト、スティーブ・リブソンなど、実に渋すぎる面々が陣取っているのだから、これはもう観ていてつまんない訳がない。
 主要なゲスト陣を拾っていくと、まずはABCだが、マーティン・フライだけかなと思っていたら、女性ボーカルなどもいる現行ABCらしき布陣で、背後になんとデビッド・パーマーが居たのには驚いた。この人の超ジャストなドラムは今も健在だ。マーティン・フライは大分太ったが、パーマーの風貌も昔と変わらないのは驚き。続く、プロパガンダもオリジナルの4人で登場、実は動くプロパガンダを観るのは初めてなのだが、フロントの2人は、当時のような過激な風情ではなく、何故か行儀の良いコンパニンオンみたいな格好しているのがおもしろかった。

 イエスはジョン・アンダーソンがトニー・ケイがおらず、トレバー・ラビンが歌い、キーボードにジェフ・ダウンズが加わり、そこに何故かスティーブ・ハウも加わった、変形9012イエスのラインナップ(もうなんでもありって感じだな)での演奏。ペット・ショプ・ボーイズにはアート・オブ・ノイズの「ドビッュシーの誘惑」で入っていたオペラティックなソプラノの加わる趣向。ベル・セバスチャン&ベルは今時な脱色フォーク系ギターバンドだが、ちと浮き気味だったかも。また、Tatuはこういうプロフェッショナル集団の中では、新鮮なんだか場違いなんだかわからないところあったが、まぁ、ヘル・セバスチャン共々ひとつのアクセントにはなっていた。
 後半のハイライトとなるシールはもう貫禄というしかないパフォーマンスで、コンサートの音楽ムードをビシっとしめていたという感じ。再結成FGTHはホリー・ジョンソンがいないのはちと残念だが、新ヴォーカルはけっこうホリー・ジョンソンに声質にけっこう似ているためそれほど違和感はなかったと思う。ただ、まぁ、この賑々しいコンサートのトリにはちと役不足だったかも....といった感はなくもなかったが。

 個人的にやはり一番見所だったのは、アート・オブ・ノイズがオール生弾きで挑戦する「クロース・トェ・ジ・エディット」と、同様にほぼ生弾き状態で(しかもオーケストラが付く)、プロパンダがパフォーマンスする「マブーセ」あたりだったろうか。サンプリング音源は昔のものをそのまま使っているところも多いのだが、ほとんど生で弾いているところがミソで、何でもこだわるホーンがここでは、「メカニックな機械音を生のグルーブ演奏する」ことにこだわった結果だったのだろう。再結成AoNもそういうところはあったが、非常のおもしろくかつ楽しいパフォーマンスになっていた。という訳で非常に楽しめた1枚。
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ULTRAVOX / Quartet

2007年12月28日 23時27分17秒 | ROCK-POP
 この作品を忘れていた。ミッジ・ユーロの居たウルトラヴォックスというと、個人的には「ヴィエナ」と「エデンの嵐」の2作が印象深いのだけれど、どっこいこの82年に発表したサード・アルバム(通算では6作目)は大傑作である。なにしろプロデューサーにジョージ・マーティンというのが凄い。「エデンの嵐」というアルバムはレビューのところにも書いたけれど、セルフ・プロデュースという「自分等が見えない状態」というが災いしたのか、メリハリといい、ヴァリエーションといい、今一歩平板な印象をぬぐい去れたなかったのだが、おそらくそのあたりを反省したのだろう。同じEMIというメリットもあったのだろうが、ビートルズの音楽を売れるようにラッピングを施したジョージ・マーティンが起用されたのだ。

 実際のこのアルバムはよくできている。特に旧A面の4曲はマーティンによって彼らの魅力を上手に4曲に切り分けて、まるで「ベスト・オブ・ウルトラヴォックス」の如き雰囲気すら漂う。冒頭を飾る「Reap The Wild Wind」のストリング・シンセの乾いた響き、シーケンス・パターンの程よく後方に追いやり、ドラムスを全面に押し出したバランスなど、ポップなメロディー・ラインなど、既にテクノ・ポップを越えた突き抜けた明るさのようなものがあるし、「Serenade」は「New Europeans」タイプのダークな作品だが、これまたテクノっぽいリズムにとアコピからみが単調さを救い、実にメリハリのあるポップさを演出している。「Mine for Life」は、私の好きな「Passing Strangers」の続編のような曲で、中間部でドリーミーな展開になるのも同じで、本編ほどではないが、これも楽しめる作品だ。「Hymn」も傑作、ウルトラヴォックスのヨーロッパ的センスをややアンダーなトーンではなく、明るくまとめたところにマーティンのセンスを感じさせる。ジョージ・マーティンといえば、このアルバムのドラムがなぜか非常にリンゴ・スター的なノリを感じさせるのだが、これもマーティンの影響だろうか。

 旧B面の5曲はラストの「The Song」を除くと、A面の4曲に比べると若干落ちものの、「エデンの嵐」の諸曲に比べれば数段楽しめる仕上がりだ。という訳でこのアルバム全編に漂う明るさ、ポップさはおそらくジョージ・マーティン(そしてジェフ・エメリック)によって、解釈されたウルトラヴォックスという側面は否めないと思うけれど、なにしろここまで完璧に完成された音楽になってしまっては、バンド自身は何も文句はいえなかっただろう。ともあれ、ニュー・ウェイブからテクノ・ポップと進んでいったこのバンドのひとつの到達点がこのアルバムである。
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スーパー・セッション /Aクーパー,Mブルームフィールド,Sスティルス

2007年12月26日 23時35分07秒 | ROCK-POP
 ニュー・ロックにはいろいろなイノベーションがあったけれど、これもそのひとつの方向性を決めたマイルストーンとでもいうべき作品だ。その方向性とはひとこでいえばセッション・スタイルでやる即興....つまりインプロビゼーション主体のアルバムをロックでも作り、それが成功したということだったと思う。このアルバムの発起人は当時、BSTを脱退したばかりのアル・クーパー、その彼に呼ばれたのは若きブルース・ギタリストの巨匠マイク・ブルームフィールドだった。そして、その彼がセッションの後半にリタイアしたので、その代打としてスティーブン・スティルが入った....などという制作プロセスは、今では立派な「ロック神話」のひとつだろう(というかこの話は私がロックを聴き始めた70年代前半から有名だった)。

 私は子供の頃から自宅に「フィルモアの奇跡」があるという幸福なんだか、不幸なんだかよく分からない環境に育ったので、そちらの方はけっこう聴いた記憶があるのだが、アル・クーパーをフィチャーしたポップな作品はともかく、長い長いブルース・ギターのフィーチャーした作品はまるで垂れ流しのように感じでとても退屈したし、これの何が革新的だったのもさっぱりわからなかった。72年頃といえ既にロックで長いインプロは当たり前になっていたし、なにしろブルース・ギターというのは中学生が聴くには早すぎたのだろう。だから、BSTについては中学生のクセして、かなり入れ込んで聴いていた私ではあるが、「フィルモアの奇跡」に先んじて制作されたスタジオがこれだと知ったときも、あまり関心がわかなくて、実際に聴いたのはずっと下ってCD時代になってからだった。

 初めてこのアルバムを聴いた時、「なんだ、凄ぇいいじゃん、ブルームフィールドのギター最高」ってなもので、とにかくブルームフィールドのギターに圧倒された、また、BSTやソロであまり聴かせてくれないアル・クーパーのオルガンも素晴らしく、なんでもこんなに良いアルバムを今まで聴かなかったのか悔しい思いをしたものだ。まぁ、さすがに自分も20代後半ともなれば、このアルバムの意義だの、革新性だのといった余計なファクターをあまり惑わされずこのアルバムの音楽を素直に楽しめるようになっていたのかもしれないが、ともあれ、このアルバムで展開されるリラクゼーションと緊張感の狭間を行き交う絶妙なバランス、即興性に身を委ねたのびやかな感覚など、とにかく音楽単体か素晴らしく芳醇な味わいを感じたのだった。個人的な印象だが、その良さは「フィルモアの奇跡」より数段上だと思ったほどだ。

 さて、このアルバムだが、数年前に出たリマスター盤である。売りとしては、後日オーバータブされたブラスセクションがカットされた「アルバートのシャッフル」「魔女の季節」、あと未発表曲が2曲が入っていることだろう。私はそもそもアル・クーパーをブラス・ロック・バンドのリーダーとして知ったクチだから、この2曲について「ブラスはジャマ」などとは全く思わず、むしろ「らしい」と思う方だから、ブラス抜きのヴァージョンがそれほどうれしい訳でもないが、確かにブラス抜きの方は音楽のメリハリ、完成度が後退してしまうかわり、素のセッション的な生々しさ、メンバー間の行き交う音楽的感興の妙のようなものがダイレクトに伝わる気もする。特にスティルスをフィーチャーした「魔女の季節」はカッティングやリフ主体のギターというスティルスのキャラのせいか、ブラスがないといささかスカスカな音になってしまっているが、これが逆にほどよい緊張感を感じさせるあたりはヴィンテージ化した音楽の妙といったところかもしれない。また、「アルバートのシャッフル」はまさにブルース・セッション的なライブ感があって、無条件の楽しめた。
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ULTRAVOX / Rage in Eden

2007年12月17日 23時28分55秒 | ROCK-POP
 先日なにげなく聴いたウルトラヴォックスの「ヴィエナ」だが、あの時はフォックス時代に比べ「なんとか楽しく聴ける」などと書いたけれど、実はあれからウォークマンに入れて何度か聴いたところ「なんとか」どころではなく「非常に楽しめる」に変わっていった。私は音楽における通俗味というのは満更きらいな質ではないと自分では思っているが、いかんせんフォックス時代の音楽な孤高ところがあまりにも印象的だったせいで、どうしてもミッジ・ユーロ期に関しては「通俗化したヴォックス」というイメージが強すぎてが辛くなっていたらしい。が、それもこれも初めて聞いてから四半世紀という時期が経過したせいだろう、ある程度独立した音楽として評価できるようになったかもしれない。とにかく、「ヴィエナ」の冷たいシンセの響きとドイツ風なテクノビート、そして全編に漂うにシニカルな哀愁みたいなところが非常に良かったのである。

 そんな訳で、あわてて「ヴィエナ」に続く「エデンの嵐」をネットで購入してきてみた。このアルバムはほぼリアルタイムで購入した記憶があるが、当時の印象としては「ヴィエナ」の出来の悪い続編という感じであまり良好なものではなかったと思う。今回「ヴィエナ」が久々に非常に楽しめたから、こちらもひょっとすると以前より良い感じで聴けるのではないかと思っていたのだが、ほぼ20年振りくらいに聴いたこの作品、やはり「ヴィエナ」には敵わないと思う。確かに1曲目の「Voice」は前作に匹敵する作品だが、全体に、「ヴィエナ」にあったインスト指向やドイツっぽい雰囲気が大分後退させ、「ミッジ・ユーロをフィーチャーしたテクノポップ」を全面に出そうとしたのか、結果的に似たようなリズム、似たような曲のオンパレードになってしまい、曲毎のメリハリがなくなってしまっているように思う。壮麗なシンセが印象的な「Voice」のあと、陰影ある哀愁の雰囲気を漂わせた「We Stand Alone」あたりまではいいのだが、「Rage in Eden」、「I Remember」、シンセベースとビコビコなるシーケンス・パターンがベースになった曲が続くといささか飽きてしまうのだ。

 旧B面に移っても、「Thin Wall」も「Stranger Within」と同様なパターンで続き、「Accent on Youth~Ascent~Your Name」のメドレーは「ヴィエナ」の後半のメドレーを再現したような仕上がりで、途中の「Accent on Youth」のインスト・パートがそのままブリッジとなる「Ascent」のスリリングさはなかなかだが、ドラマチックさ、スケール感、仕掛けの緻密などの点で、「ヴィエナ」のそれには到底及ばないという感じがする。ラストを飾るバラードの「Ascent」も今一歩盛り上がらない。このあたりを推測するに、どうも「ヴィエナ」という作品を傑作にしたのは、ヴォックス自身というよりは、プロデュースとエンジニアを担当したドイツの巨匠コニー・プランクのセンスだったのではないかという気がするのだ。いや、もちろんこの作品でもコニー・プランクは参加しているのだが、どちらかという副プロデューサーというポジションで、あくまでこのアルバムで聴ける音楽の主導権をとったのはバンド自身だったのだろう。どうもこのアルバムで聴けるヴァリエーションの貧弱さというのはバンド自身がブロデュースを兼ねた時の弊害がもろに出ているような気がするのだ。もっとも、それが故にこのアルバムは「ニュー・ウェイブ直後に確立されたテクノ・ポップの典型」として傑作という意見も当然あるだろうけれど....。
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Chicago VII

2007年12月06日 23時22分45秒 | ROCK-POP
 前作、前々作とポップ化、AOR化の進んだシカゴが、2作ぶりに出した2枚組のアルバムがこの「シカゴ7」である。いったいバンドに何があったのかわからないが、久しぶりに2枚組ということもあって、アルバムの開幕からしばらくは全くヴォーカルが登場しない、大インスト大会となっているのだ。なにしろ1曲目「Prelude To Aire」から6曲目の「Hanky Panky 」まで、つまりアナログでいえば1枚目の片面と半分くらいがインストなのだがら、その徹底振りはかなりのものだ。私はこのアルバムを初めて聴く訳だけれど、こうしたインスト指向のようなものは「シカゴ3」で、一応バンド内で解決済みの問題としてピリオドを打ったと思っていたのでけっこう意外であった。

 もっとも、インストといってもかつてのようなサイケの延長線上にあるような野放図なものではなく、1974年という時流を反映してか、ラテン風味を加味したジャズ&フュージョン的な面を強くだしているところもあり、かつてのれ流しのようなインストに比べるととても聴きやすく、また充実していると思う。一方、従来の流れを更に推し進めたポップ&AOR路線は後半にたっぷりと収録されていて、これはいよいよ中期シカゴ風、あるいはソフト&メロウと呼びたいような音楽になっている。しかも、ボサ・ノヴァ風な「Life Saver」がでたと思えば、ビーチボーイズのドリーミーなコーラスをフィーチャーした「Wishing You Were Here」、ポインター・シスターズが参加したファンキー・ナンバー「Skinny Boy」、正統派シカゴといった感じの「Call On Me」などなど、人脈も内容も非常に多彩、しかも非常に楽しめるのがいい。前半のインスト大会には少々や驚くものの、それが過ぎてしまえばまぎれもなく前の続きのシカゴとなっている寸法である。そんな訳で、ここ数作のシカゴ作品としは一番気に入った作品となった。
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ULTRAVOX / Vienna

2007年12月05日 23時14分57秒 | ROCK-POP
 ウルトラヴォックスというと好きなアルバムはなんといっても、ジョン・フォックス時代の「システム・オブ・ロマンス」だ。1970年代末期、それまでのそれまでのビートルズ~ニュー・ロックに至る従来のロックをオールド・ウェイブとして一蹴したパンクやニューウェイブ系の音楽は、確かに斬新で小気味よいものがあったけれど、あまりにもガサツで性急、刹那的なニヒリズムに辟易するものがあったのも事実だった。そこに登場したのが「システム・オブ・ロマンス」だったのだ。ジョン・フォックスのもつ格調高いロマンティシズムとテクノ&ニューウェイブ系のサウンドを一気に限界まで推し進めたような構築的な音作りなど、あまたのニュー・ウェイブ系の音楽の中では群を抜いて芸術性があったと思う。私はこのアルバムを聴いた時、すでに20歳近くなっていて、ある意味「ロックすれっからし」状態にあったため、それほどショッキングな音楽だった訳でもないが、10代半ばあたりで聴いていたら、さぞや巨大な存在感を感じであろうことは想像に難くなかった。

 だが、この「システム・オブ・ロマンス」を傑作たらしめた張本人であるボーカルのジョン・フォックスがこのアルバムのリリースした後に脱退してしまう。ほとんど解散状態となったバンドはミッジ・ユーロという後任をいれてバンドを存続させることとなり、その新生ウルトラヴォックスの第1弾となったのがこの作品という訳だ。バンドのリーダーが替わってしまったから、「システム・オブ・ロマンス」とこの「ヴィエナ」の音楽は当然異なるが、この時点では前作の音楽を継承することも当然ポリシーとしてもっていたようで、冷え冷えとしたシンセの響きやテクノ風なリズム、ヨーロッパ的なロマンティシズムなど、いささか通俗化してはいるものの、けっこう継承している。しかも、世の中分からないのは、この通俗化というのが幸いしたのだろう、この作品は前作に比べセールス的に大躍進して、ウルトラヴォックスは時にニューロマ・ブームの先駆けとして人気グループのひとつになるのだからおもしろい。

 そんな訳で、後期ウルトラヴォックスというと、この後の作品となると個人的にはちとつらいというのが正直なところだが、このアルバムに関してはなんとか楽しく聴ける。「アストラダイン」のシンセの冴えた響きと流れるような展開、聴いているとなんだかヒッチコックの英国時代(戦前)のスリラー映画をみているような気になる「パッシング・ストレンジャーズ」、「システム・オブ・ロマンス」の展開された世界のまさに通俗化といっては身も蓋もないが、その構成があまりに見事な「ミスターX~ウェスターン・プロミス~ヴィエナ」の展開などはなかなかのものだ。ちなみにウルトラヴォックスはこの後、ミッジ・ユーロを全面にだし、私があんまり好きでない「ニュー・ヨーロピアンズ」「スリープウォーク」「オール・ストゥッド・スティル」といった、売れ筋のテクノポップを邁進することになり、YMOなどにも音楽的影響を与えることになる。
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Chicago VI

2007年10月27日 21時51分58秒 | ROCK-POP
 1972年というのはロック史上ではひとつの転機になった年だと思う。60年代後半のニュー・ロック的がより洗練され、ひとつのスタイルとしてほぼ確立した年だと思うからだ。シカゴにこれをあてはめると、72年に発表された「V」がそれに該当する作品ということになるが、前回も書いたとおり「V」はむしろそれまでの初期のシカゴ的な色彩を色濃く残していて、その後のソフトな路線の曲は「Saturday In The Park」くらいだったところからして、かの作品はやはり初期のシカゴをもっとも洗練された形でコンパクトにまとめた作品という気がする。一方、その次の年、つまり73年発表の「VI」はどうだろか。結論からいえば、この作品こそ本当にその後のAOR路線に舵をきった作品といえる。ここでのシカゴは、かつての攻撃的ともいえるダイナミックさや実験的なインスト指向のようなものは全く影を潜め、ほぼ全編に渡って、穏やかな起伏とメロディアスなセンス、そしてポップなコーラスを全面に出した音楽になっているのだ。

 それは1曲目の「お気に召すまま」によく現れている。従来なら当然アルバムのラストに配置されそうなアコピに導かれた甘いバラード系の作品なのだが、こういう曲を頭に持ってくるあたりシカゴの変化を感じさせずにはおかないし、4曲目「ジェニー」のちょっとレイドバックしたようなポップさ、6曲目「誰かが僕を」のジェントルなたたずまいなども、このアルバムのそうした面をよく表していると思う。「ダイアローグ」風なヴォーカルの掛け合いをフィーチャーした5曲目の「輝ける未来」、ついでに9曲目「自由への扉」などもシカゴらしさと同時ファンキーさ妙にポップだったりするし、7曲目「ハリウッド」のまさにAOR風な味がある。一方、それまでのイキのいいシカゴっぽい曲はほとんど見あたらず、数曲あるブルージーな曲などはどちらかといえばノスタルジックな雰囲気すら漂っているほどなのだ。つまり、前作までのひたすら前を向いて疾走してきたバンドがここで立ち止まって、ふと自分の音楽をあれこれ考え始めたといったところなのだろう。話を戻すと、1973年という年はロック全体がそういう時だったのである。
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10cc /ミステリー・ホテル

2007年10月26日 18時15分33秒 | ROCK-POP
 10ccというとやはりケヴィン・ゴトレーとロル・クレームが居たころの作品が好きだ。それも似非オールディーズっぽいところが横溢した初期の2枚ではなく、ビートルズの実験精神とポップ性を70年に格調高く継承したような「オルジナル・サウンドトラック」と「ハウ・デア・ユー」がお気に入りだ。これはよく指摘されることだなのだが、この時期の10ccといえば、ゴトレーとクレームがパロディや実験面、エリック・スチュアートとグラハム・グールドマンがポップ面を担っていて、この2作ではそのあたりがほどよくバランスしているという感じなのである。これ以降の10ccはご存じのとおり、ゴトレーとクレームが脱退し、スチュアートとグールドマンが仕切っていくことになり、ストレートなAOR路線をとってセールス的にもある程度成功する訳だが、いかんせん前記の2作に比べると、中庸過ぎ、穏健過ぎて、私には少々食い足りないものがあるのだ。

 全く個人的見解だが、後期10ccは「愛ゆえに」あたりはまだ良かったものの、「ブラッディ・ツーリスト」「ルック・ヒア」と、その頃盛んにやっていたレゲエ路線とも相まって、個人的には全く面白みのないバンドになってしまったように思う。なので、この時期の10ccのアルバムはどれも印象の薄いものばかりなのだが、唯一、例外となっているのが「ミステリー・ホテル」なである。それというのも、このアルバム、ラストの2曲が抜群に出来がいいのだ。両曲ともエリック・スチュアートでなく、グラハム・グールドマンが仕切った曲と思われるが、「君は目を閉じて…」は巨大な落日のような黄昏感をもったバラード、「サヴァイヴァー」はスケールの大きいドラマチックな大作で、どちらも聴いていて心が熱くなるなるような仕上がりで、ほとんどこの2曲を聴くためにアルバムを購入しても惜しくない....と個人的には思っているくらいなのである。

 そんな訳で、この「ミステリー・ホテル」というアルバム、前述の2曲のせいで個人的には大好きなのだが(エリック・スチュアートの「恋のまわり道」も悪くない)、10ccの歴史の中でも最低迷期の作品という評価が定まってしまったのか、長いこと廃盤状態だった。個人的にはCD化を切望していたのだが、ふと思ってさきほど調べてみたら、なんと1年以上前に紙ジャケでCD化されていたのを発見した。さっそく購入しようとしたが、見事に完売状態であった。残念。紙ジャケとかいうギミックはいいから、本国あたりで普通に発売してくれないものだろうか?。
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CHICAGO V

2007年09月13日 11時04分12秒 | ROCK-POP
 1972年発表の5作目。それまで2枚組アルバム3作、それまでの総決算ともいえるライブ・アルバムは4枚組という大作を出した後の初シングル・アルバム、シングル・カットされ大ヒットした「Saturday In The Park」という曲の存在などから、このアルバム、その後大幅に強まるポップ、AOR的な方向へ路線変更をした作品というのイメージがあったのだが(おそらく巷の評価もそうだと思う)、実際聴いてみると、それほど方向転換した印象はなかった。

 なにしろ1曲目の「A Hit By Varese」はノイジーに始まる、なにやらB級ブリティッシュ・ロックを思わせるオルガンをフィーチャーした5拍子の曲で、「おいおい、何がポップだよ」という感じだし、6曲目の「While The City Sleeps」はインスト指向の強く、ダイナミックなブラスがふんだんにフィチャーされけっこうたヘビーな作品なのである。
 ポップな曲としては、2曲目の「Now That You've Gone」、7曲目のご存じ「Saturday In The Park」といった曲になると思うが、前者のいかにもウェスト・コースト然としたコーラスなどは、別段新機軸という訳でもなく、1作目から聴かせてくれていたし、後者のAOR的なセンスはアルバム中ではむしろ例外的な感じすらあるのだ。

 ともあれ、先に上げた4曲あたりを両極端にして、残りの全ていかにもシカゴらしいというか、70年代初頭の「ニュー・ロック」の香りがプンプンする4曲になっている。シングル・カットされた5曲目の「ダイアローグ」のはつらつした活気はもちろん、3曲目「Now That You've Gone」のくどさやしつこさ(テリー・キャス!)....といって悪ければ、音楽的情報量の濃密さのようなものは、70年代然としたの高カロリーな雰囲気が充満していて、初めて聴くのに妙に懐かしい。クロージングを飾るパラード「Alma Mater」のムードも本当に懐かしい。なんだか、フレアのジーンズをはいたロングヘアーの若者が新宿をたむろしている風景を思い出してしまう(笑)。

 ちなみに、ボーナストラックとして収められた3曲のうち「ダイアローグ」のシングル・ヴァージョンを除く2曲は、このアルバムがいかに無駄を省いてコンパクトにまとめたかがよく分かる「捨て曲」である。おそらくシカゴはこのアルバムを作るにあたっても、2枚組分のマテリアルを用意して、そこには「シカゴIII」までの作品にあったような垂れ流し気味の大作はカットしたことを伺わせるのだ。逆にいえば、そのくらい彼らは変わっていなかったともいえるのもしれない。
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フリートウッド・マック/ファンタスティック・マック

2007年08月31日 23時30分19秒 | ROCK-POP
 先月、フリードウッドマックの「噂」のところで書いたけれど、1977年の夏、私はフリートウッド・マックをふたつのアルバムを聴きまくっていた。ひとつは「噂」であり、もうひとつはもちろん本作「ファンタスティック・マック」である。「ファンタスティック・マック」というタイトルは、当時ありがちだった日本発の英語タイトルで、本当はシンプルに「フリートウッド・マック」というものだった。世代的にも音楽的にもこれまでとは明らかに異質な、ウェストコーストの新世代ニックス&バッキンガムを入れて心機一転、新生マックという意味合いもあったのだろうが、その目論見はおそらく当人たちの思惑をも越えた大ヒットを呼ぶことになるのだが....。

 さて、このアルバムずいぶんと久しぶりに聴いた。多分、15年以上は聴いていなかったと思うが、久しぶりに聴くとほとんど同格の作品のように思っていた「噂」と比べると、こちらはちと落ちるような気がする。もちろんこれも傑作には違いないし、とろけるようにメロウで、かつロック的な骨太感も失ってない音楽になっているあたりはさすがフリートウッド・マックだと思うのだが、音楽のメリハリ、ヴァリエーション、突き抜けたポップス性といった点で、こちらはちと平板というか、一本調子なところも散見するような気がする。「ウォームウェイブ」「シュガー・ダディ」、あとボーナストラックで収録されたジャムなどの曲を聴くと、カーウァンからウェルチにいたる中期マックのもっさりとしたところが、この時期はまだ残っていたようなところも感じられるし、「ワールド・ターニング」はバッキングガムが意図的に歴代ギタリストの後継者たろうとして、つっぱっているところもそうした残滓のようなものを感じさせる点なのだろう。

 一方、スティービー・ニックスの2曲は今聴いても「なにを歌ってもスティービー・ニックス」みたいなキャラは健在で、彼女をフィーチャーした「リアノン」と「ランドスレイド」は今もって彼女の最高傑作なんじゃないかと思う。おそらく前者は自他ともに認めるマスター・ピースだろうし、後者は個人的に清涼感溢れるアコスティック・サウンドにのって、彼女のいがらっぽい声がのるミスマッチングぶりが、妙に乾いた叙情を誘うところが良くで、最後のコーラスのところでちょっことフィルセットに声が裏返るあたりはとてもチャーミングで、今聴いてもちょっとばかり切ない気持ちになる。
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Break n' Bossa -Chapter 5 / various artists

2007年07月22日 19時43分10秒 | ROCK-POP
イタリア発のブレイク・ビート系のボサノバのコンピレーション・アルバム。チャプター5となっているので、おそらくこれで5枚目ということになるのだろうが、私はこれしか持っていないので、これ以前がどんなものだったのか、また、この後にシリーズとして続いているのか、よくわからない。イタリアのマイナー・レーベルのクラブ系の音楽は日本では受けが良いらしく、このアルバムより大分前になるが、アルマ・レーベルなんてのもけっこう流行ったし、これを出しているスキーマ・レーベルなんかも、おそらくはタワー・レコードあたりで独占輸入して、小さなカードにちょっとした解説をつけて、クラブ系の音楽のコーナーにでも、ずらりと並べてあった違いなく、私もそれがきっかけで購入してきたんだろうと思う。

 ディスクは1枚目がコンピレーションで計13曲、2枚目が24曲をノンストップでつなげたDJミックス風な仕上がりになっている。集められたアーティストは盛りだくさんだが、私はどれも全く知らない人ばかりである。おそらくイタリアで活動している、それもあまりメジャーでないアーティストばかりなのだろう。だいたいにおいて、選曲した人のセンスで勝負しているアルバムだろうから、音楽的には匿名性が極めて高く、まさにクラブ系の音楽という機能性に徹しているような感じである。内容的にはブレイク・ビートと一口にいってしまうと身も蓋もない感じだが、おしなべてハウス系のテクノ・ビート、ラテン・リズムを絡ませ、60年代後半~70年代初頭にかけてのファンク・ジャズあるいはジャズ・ロック的なサウンドを合体させ、黒人的なアクをごっそりと脱色したような音楽という感じで、時にアンビエント・テクノにかなり接近したりもする。5曲目「Existentialism (Milano Bossa Mix)」などなかなか心地良いし、2枚目のノンストップ・ミックスはジャズ的センスでまとめられていて、そのスムースな流れはなかなかのものだ。

 イタリア系のこの手の音楽は、下世話な通俗性とほどよく垢抜けたセンスがいり混じって、シャープなサウンド共々ぱっと聴くとすごくいいのだが、しばらく聴くとすぐに飽きてしまうのが欠点で、前述のアルマ・レーベルの作品などずいぶん買い込んだものだが、飽きるのも早くて、あっという間に色あせ、時代に置き去りにされてしまった。この作品は2002年の作品だが、その後あれこれ買い込まなかったところをみると、ワタシ的にはそれほど魅力的とは思わなかったらしい。この薄味さ、匿名性の強さからして、もう少し「立った個性」が欲しいといったところだろうか。
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フリートウッド・マック/噂

2007年07月20日 22時23分29秒 | ROCK-POP
そういえば今日で学生さんたち1学期も終了だ。先ほど赴いた八街でも終業式を終えたとおぼしき男女が開放感に溢れた表情?で、通りを闊歩していたけれど、千葉にとんぼがえりして、お昼近くパルコの前あたりを歩いていた時、ふと自分が高校3年生の時の1学期末のことをふと思い出した。私が高校生だった頃は、終業式は7月24日と決まっていたから、厳密にいえばもう2,3日後になるのかもしれない。それはたまたま終業式が土曜日で(今調べてみたら7月23日だった)、私と友達数人で、終業式が終わった後、わざわざ電車にのって千葉のパルコまできたのだった。なぜかというと、パルコに渋谷陽一氏が来るからなのである、当時、NHK-FMのロック系の番組で絶大な人気があった音楽評論だったから、その渋谷陽一氏の生DJを見に来たという訳だったのだ。

 今となっては、彼がどんな何を話して、またなんの曲をかけたのか、もはやほとんどが忘却の彼方ではあるけれど、確かフリートウッド・マックの当時出たばかりの新作「噂」から「ドリームス」をかけたような気がする。その頃の私はイギリスの暗くて重厚なロックばかりをマニアックに聴いている暗い学生だった訳だけれど、とういう風の吹き回しか、その頃フリートウッド・マックに突如入れ込み始めた時期に当たっていて、会場で聴けた「ドリームス」はなんだかとてもさわやかで新鮮に聴こえたような記憶だけが残っているのだ。当時、どうして私の好みが突如フリートウッド・マックに急旋回したのか、よくわからないのだけれど、理屈っぽく考えると、パンクとかニュー・ウェイブあたりが勃興して、私が好きだって往年の大グループたちの音楽が急速に色褪せ始めた時期だったからということもあるだろうし、当時はソフト&メロウとか呼ばれてブームになっていたこの種の口当たりが良い音楽に敏感に反応したということなのかもしれない。あっ、あと単純にスティービー・ニックスが素敵だったということあるな(笑)。

 ともあれ、その夏は「噂」、そして後追いで購入した「ファンタスティック・マック」を私は聴きまくったのだった。当時のフリードウッド・マックはご存じの通り3人のフロントを擁した最強のメンツだったし、音楽的にもまさに最盛期といえる時期で、この「噂」など確か3000万枚とか売れたような気がする。前述のとおり音楽は非エレクトリック系ともいえるシンプルなサウンドをベースしているサウンドw@、こんな当たり前な音がどうして新鮮なのか?と不思議に思えるとほど新鮮で、私は一夏通して「目から鱗」の状態が続いたのであった(「ユー・メイク・ミー・ラヴィング・ファン」のカッコ良さ、「ソング・バード」のメロディックさ、なんて好きだったな)。いや、おそらく当時は世界中にそういう人がいたのではないたろうか?。30年前の夏のことである。
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AME STRONG SA / Combat des Sens

2007年07月16日 12時24分15秒 | ROCK-POP
1996年のフランス・ヴァージンからリリースされた作品。Ame Strongというグループ?詳細は当時からわからないのだけれど、ジャケ写真やクレジットを見る限りフランス出身の男女のデュオで、もちろん女性の方がボーカルで、男性の方はおそらく打ち込みとアレンジなどを手がけていると思われる。音楽的にはフランス産のジャージーなソウルといったといったところだが、こういう路線の大先輩にあたるアンテナ(懐かしい!)などと比べると、いかにも「ソウルIIソウル以降の音」という感じで、ぶっといシンセ・ベースとチープな打ち込みドラムからなるリズムをベースに、アナログ・シンセやエレピがイナタく鳴っているのが、90年代を感じさせる。これにアンニュイな仏語の女声ボーカルがけだるくのっかるという訳で、当時、好き者の間けっこう受けていたように記憶している。確か当時、このアルバムはタワー・レコードの一角で大々的にディスプレイされていて、私もそれを見つけて購入してきたように思う。

 という訳で、なにしろオシャレだし、そういう音楽にありがちなセンスが良さみたいなものもそこはかとなくあり、購入直後はけっこう聴いたような記憶があるのだけれど、どうもこれだという個性や曲がなく、2,3年で忘れてしまっていた。私は例のフランス的にオシャレ感覚だとかセンスというものに、どうも実体のない空虚さを感じてしまう人間なので(笑)、このアルバムのように「汎フランス的なセンスだけで音楽を料理している音楽」だと、そもそもそうしたセンスがあまり好きでない以上、畢竟、繰り返して聴く気にならなかったというところだと思う。
 もちろん、こういう音楽が例えばクラブみたいなところでアンビエントとして流している分には、良い効果を発揮するだろうし、現に今これを流していて、書きながら聴いている分にはとても心地良いんだけと、正直、聴き終わったあと、どの曲が良かったとか、あのサウンドがカッコ良かったとか、ほとんど印象に残らないんだよね。まっ、アンビエントとかテクノとか同じで、ある種、機能性に徹した音楽ということなんだろうけど....。
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